論文を読む

■三田菜穂「明治三十八年「刑ノ執行猶予ニ関スル法律」(法律第七十号)について」(成蹊法学81号1ページ)
<概要>
・国際監獄会議の第4回会議(1890(明治23)サンクトペテルブルク)にて、刑の執行猶予(当時は「条件付判決」)が議題として上がった。当時弊害が指摘されていた短期自由刑にかわり、譴責と並んで「再ひ罪を犯すに至らされは前に申渡したる刑を猶予する」との議案が提出された。
・日本でも議論が紹介された。短期自由刑の効力が薄弱で財政負担が大きいこと、監獄の不備、累犯増加対策が理由として挙げられ、「犯罪必罰を守るに過ぎると、かえって累犯者を養成するに等しい結果となる」などと主張された。
・刑法改正作業において執行猶予制度が立案された。最初期の草案(横田案、明治25頃)では、初犯の懲役・禁錮6月以下の者(37条)、初犯で罰金刑を支払えず定役に服すべき者(38条)、他人に損害を生じさせなかった者、財産犯で自首し損害賠償した者(ともに39条)につき、情状により5年間執行猶予することができる、とされた。短期自由刑および貧困者(入獄により貧しさを助長させる、とされた)について、5年(期間は刑の時効を基準とした)の期間で猶予されるというものである。「他人に損害を生じさせなかった者」は主に賭博罪が念頭に置かれていたようである。「財産犯で自首し損害賠償した者」は当時の刑法86条(損害賠償で罪2等を減ずる)による*1
・執行猶予の関与者(検事のみか、裁判官も関与させるか)や、前科抹消の有無についても、議論された。刑の言渡しの失効よりも、刑の執行免除が採用されたのは、当時のフランス草案(1893)の影響がみられる。また、猶予判断基準に情状を採用した点は、イタリア法に依拠していると考えられる。
・その後、明治30年刑法改正案、明治33年刑法改正案が作成され、明治34年案が帝国議会(第15回)に提出された。提出された要旨では、予防目的による累犯対策として執行猶予を採用した、とある。その後に提出された明治35年案での議論では、執行猶予は特別法として試験的に運用するほうがよいという提案もあった。
日露戦争により刑法改正作業が見送られることとなり、執行猶予に関する規定により作成された法案が帝国議会(第21回)に提出され、若干の修正ののちに可決された。司法省、内務省が発した各種訓令により、猶予者の住所管理や警察による視察が決定された。
<読んで>
・最初期の草案から、議論が進むごとに対象者の範囲が拡大された点は興味深い。それだけ執行猶予制度が期待されていた(つまり、短期自由刑制度の弊害が問題となっていた)ということであろう。当初の狙いは条約改正のために行刑制度を国際基準に合わせるものであったが(議論でも、外国人入獄者が意識されていた)、その後、刑罰制度に関するヨーロッパ各国の問題意識が徐々に日本でも指摘されるようになった様子がうかがえる。
・「今後の課題としたい」としている保護観察制度がやはり気になる。猶予者の現実の監視が警察の任務として適切かどうか(この点、同時期の精神病者監護法などとの比較が参考になると思う)。執行猶予に付される犯罪は常習性が高い賭博や窃盗が多いため、生活を身近にする者による監督が有益であるという感覚は当時からあったはずである。
 
■新井勉「朝鮮総督府の笞刑について」(日本法学80巻2号1ページ)
<概要>
・律で定められていた笞刑は、日本では明治5年に廃止されたが、清国も韓国も身体刑を残していたため、日本が支配した台湾・朝鮮では便宜上、笞刑が定められた。朝鮮では明治45年制令13号「朝鮮笞刑令」が公布され、大正9年に廃止された。
・朝鮮刑事令(明治45年制令13号)により内地の刑事法令を依用することとしたが、同時に朝鮮笞刑令も公布された。対象者は16歳以上60歳以下の朝鮮人男子で、(1)3月以下の懲役・拘留または(2)100円以下の罰金で無住所または無資産の場合、情状により言い渡される。
・笞刑は監獄または即決官署で、非公開で執行する。細目は施行規則(明治45年朝鮮総督府令32号)、執行心得(明治45年朝鮮総督府訓令41号)に定められた。笞の細部は不明であるが、日本の新律綱領の笞が原型であろう。「執行者は打つ回数を発声して数える」という規定はあるが、打力についての規定はみられない。
・判決で笞刑を言い渡された者は、窃盗、賭博、傷害などが多い。大正8年には、保安法規違反が上位にあるが、これは3・1独立運動の影響であろう。裁判所・即決官署で笞刑を言い渡された者の総数は、約29万人である。
<読んで>
・偶然にも先の三田論文と共通するのは、短期自由刑・罰金刑の弊害である。笞刑は短期自由刑・罰金刑(留置)の代替として機能していたのかもしれない。しかし日本の律と比しても朝鮮笞刑令の規定は粗く、実際の運用は執行機関に委ねられていたあたりは、成熟した規定とはいいがたい。軽微犯罪については刑が警察署長により即決されていた点(総督府の警察幹部の多くは憲兵の兼務であった)を含め、内地での制度との差異は大きい。
・当時の原資料も、人数については正確に記されているが、「故障事件5名」(20ページ注17)など実態が不明な原資料も多い。そもそも執行が非公開なのでありやむを得ないのであるが、違法執行や死傷事故などの状況は不明なのであろう。

*1:なお86条は、「未遂に終わった者よりも既遂に達した者のほうが減軽の可能性が顕著であり不合理」として早い段階で削除が検討されていた。

論文を読む

きのうにひきつづき。
<読んで>の記述は、当該文献に対する言及だけでなく、かかる見解を敷衍するとこうなるかもしれないというものも含む。
 
■松原芳博「刑法と哲学」(法と哲学1号57ページ)
<概要>
・刑罰の正当化根拠のうちの応報刑論としては、(1)被害応報、(2)秩序応報、(3)責任応報が挙げられる。また、目的刑論としては、(1)消極的一般予防、(2)積極的一般予防、(3)特別予防が挙げられる。無目的な刑罰は現代の世俗国家において正当化されない。一方で、目的刑論に対しては、責任主義に反する(抑制要因とならない)と批判される。
責任主義の根拠としては、(1)責任の清算、(2)予防効果、(3)予測可能性の保障、(4)特別犠牲の受忍義務が挙げられる。社会的目的のために行為者に課される犠牲が受忍限度を超えないこと、および、その犠牲に対して補償がなされることが刑罰正当化の根拠となる。これが、行為者の責任である。
・正当化根拠は2つの視点から提示される。国家の側からの刑罰権の正当化根拠は、犯罪予防による法益保護に求められる。行為者にとっての刑罰受忍義務の正当化根拠は、自らの犯罪に対する責任に求められる。
・近時有力な見解は、刑罰制度の正当化を予防に求め、特定の個人に対する刑罰の適用の正当化を応報に求める(H.L.A.ハートなど)。しかし予防目的を立法段階に閉じ込め、また個々の裁判で絶対的応報刑論に基づく刑の適用・量定を正当化することになる点で疑問である。
<読んで>
・規範的責任論を貫徹させると、「責任とは、固有の実体というより、行為者と裁判官とのコミュニケーション過程において行われる判断である」となる。違法性の意識で主張される「責任の実質は、国家と行為者の緊張関係に(も)ある」という立場もその流れにあると思う。そうなると、国家と行為者の双方に、刑罰正当化根拠(刑罰を与える正当化と受忍義務の正当化)が存するというのは、確かにその通りであろう。
・その一方で、目的刑論が刑罰の歯止めとならないゆえに刑罰適用場面への流入を阻止しようというハートらの主張にも、納得できる一面はあるのであり、行為者の側からのブレーキが、実際の裁判過程においてどのように考慮されるのか、具体的に言えば個々の責任要素をどう判断するのかが検討される必要がある。
・ただ、責任の分野での学説の有力な流れは、「責任の過度の規範化の抑制」であり、上記の見解に対しては「責任は裁判官の頭の中にあることになってしまう」などと批判される。特に、違法性の意識の可能性と切り離された事実的故意になお責任要素としての地位を与える見解や、精神障害責任能力を直結させる立場は、これに依るところがある*1
・なお、刑罰制度の正当化を予防に求めると、法定刑の抑制原理が働かなくなるという疑問はなお残る。低い法定刑が存在する理由は、結局、他罪とのバランスだけになるのではないか。
 
瀧川裕英「死と国家」(法と哲学1号167ページ)
<概要>
ホッブズのいう自然状態は、動物的状態ではなく人間が名誉を求めて闘争する状態である。
・囚人のディレンマ状態では、ナッシュ均衡(最終的に両者が落ち着く状態)がパレート効率的(多い利得を得られる状態)ではない。
・解決方法としては、非協力的な者に制裁を与える(リヴァイアサン。国家刑罰権など)か、裏切りによる利得を減らす(シカ狩り)方法がある。しかし後者は、相手の戦略あるいは相手の合理性に対する信頼が前提となる。
・高慢な者(自分と相手との相対的優劣を重視する者)がいれば、シカ狩りであったとしても囚人のディレンマと同じく、非協力が均衡点となる。
・囚人のディレンマは、繰り返しゲーム(終わりがない)時には「相手が裏切るまでは協力的にふるまう」ことができるが、人間の場合には、死があるために繰り返しゲームとはならない。これに対しては、宗教、名誉、集団同一性によって、死をゲーム終了と捉えないとする方法がある。そのうえで、国家による強制力の担保が必要である。
<読んで>
・国家強制力が、宗教規範や社会規範(名誉など)に対する最後の砦となるというのは、確かだと思う。その一方で、これら規範が相手に対する信頼をどう置くのかが、問われるかもしれない。囚人のディレンマは、相互が相手の戦略を(採用しないまでも)理解する必要があるが、他者理解・他者信頼はしばしば、組織の内部同一性の強さと反比例する。
・囚人のディレンマでの問題点の一つは、「自分が協力的にふるまったが相手が非協力的であったとき」に自分の点数が低いことにある。これを「全体が得をしたのだからいい」「互いの利益を分け合えばいい」とする(本論文172ページ注9の「利他主義」)のは、現実には困難を伴う。自分と相手との差によって何かを測る、という価値観は根強い。自分と相手が同じ(と信じている)仕事をして「2人とも報酬1万円」という場合と「自分は2万円で相手が3万円の報酬」という場合とで、前者と比して後者に強い不満感を抱くというのは、あり得る。
・その意味で、功利主義的発想は公正と衝突するのであろう。「正義のためのコスト」に対する感覚の相違も、そこにあるかもしれない

*1:もちろん事実的故意に独自の意義を与える見解もあるが。

論文を読むことにしました。

最近読んでないな、と思って。
週5日、毎日1本のペースで1か月間を目標にしてみます。
 
■鎌田隆志「危険ドラッグ事犯における故意に関する捜査とその立証」(警察学論集68巻3号42ページ)
<概要>
・危険ドラッグには定義がなく、「規制薬物」(覚せい剤大麻など)と「指定薬物」(旧薬事法*1により、省令で指定される薬物)と、さらに「未規制の危険ドラッグ」がある。
・所持などにおける「指定薬物」の故意には、「規制薬物と同様の幻覚、中枢神経系の興奮・抑制等の作用を有する物質である」という意味の認識が必要。また、「規制薬物とは異なる」との意味の認識が必要。
・故意の認定では、被告人が「売人から合法だと聞いた」旨の弁解をすることが多い。
・しかし、所持の態様(隠している)、挙動、検挙歴や薬物使用歴などから故意を認定できることが多い。検挙歴とは、一度検挙されると「合法ですと売人が言っていたとしても実際には指定薬物であることが多く処罰対象になるということがわかりました。今後は、合法と言われても手を出しません。」という調書を取るので、以後「合法だと聞いた」と供述しても弾劾できるということ。また薬物使用歴とは、意識を失ったり前後不覚になったりする際に家族や病院関係者から薬物の違法性について説明を受けているということ、またそもそも意識を消失する体験をしておきながら当該薬物の違法性の疑いを抱かないことは不自然であるということ。
<読んで>
・気になるのは、重い罪の故意で軽い罪の結果を起こしたときの処断(逆は38条2項)。「規制薬物」(大麻)の故意で「指定薬物」(省令ドラッグ)を所持したときに、いかなる罪が成立するか。本論文46ページでは「軽い指定薬物所持罪の限度で同罪が成立するものと考えられる」とするが、その根拠はどこにあるか。「規制薬物」と「指定薬物」は、客観的にも異なり(医薬品法では「指定薬物」の定義で「規制薬物」を明確に排除している)、主観的にも「「規制薬物とは異なる」との意味の認識が必要」とするならば、なぜ軽い罪が成立するのか。通常この説明で用いられる「構成要件の重なり」にしても、今回は「指定薬物」が省令で逐一指定されており、また「規制薬物」を排除しているとできるのか。さらに、条例で規制される「知事指定薬物」については、条例で規制されるものが「規制薬物」を含んでいるということになり、条例にそのような制定権限があるのか。
・また、覚せい剤の故意の要件として「社会的な意味の認識」を挙げているが(45ページ)、「所持や使用が禁じられ」というのは、違法性の意識であり、「違反すれば処罰され得る」というのは可罰性の認識になってしまうのではないか。あるいは、「指定薬物」の意味が「指定されている」(≒禁じられている)ということであるということを正面から認めるものか。確かに、そうでないと「規制薬物」「指定薬物」「知事指定薬物」「未規制の危険ドラッグ」の各客体は、主観面では区別できないことになろう(薬理作用が類似しているため*2)。
 
■中村邦義「強盗殺人および強盗強姦殺人の擬律」(産大法学48巻1=2号115ページ)
<概要>
・強盗犯人・強盗強姦犯人が殺意を持って被害者を殺害したときの適用条文。
・強盗殺人については、240条不適用説と適用説があり、本論文は適用説を採用する。しかし強盗強姦殺人については、241条不適用説と適用説があるが、本論文は不適用説を採用する。181条2項(強姦致死傷罪)と同様。
・241条不適用説は、その処理により4つに分けられる。(1)強盗強姦罪殺人罪の観念的競合、(2)強盗強姦致死罪と殺人罪の観念的競合、(3)強盗強姦罪と強盗殺人罪の観念的競合、(4)強盗殺人罪強姦罪の観念的競合。本論文は(4)を支持する。理由は、法定刑の均衡、死亡結果の二重評価の回避、強盗の二重評価の回避。
・立法論としては、240条、241条ともに殺意の有無で書き分ける方向が望ましい。
<読んで>
・死亡結果を除外した「強盗」と「強姦」が成立するとして、ここに死亡結果を上乗せするから、「強盗殺人」と「強姦」になる、というように考えると、本論文の構成は確かに合理的ではある。なぜ「強盗」の側に上乗せするかといえば、「殺害行為」と結びつきがより強いのが「強盗」だから。
・傷害結果発生時には「強盗強姦」だけが成立して、そこに傷害結果を上乗せするのに、なぜ死亡結果発生時には「強盗」と「強姦」に分けるのか、という疑問は当然残るであろう(241条適用という前提からは特に)。
・あるいは、(3)の立場からの(1)に対する批判として「強盗がした殺害である以上は199条は適用されない」というものがある。これにならえば、「強盗がした姦淫である以上は177条は適用されない」と言えるのではないか。
・また、243条(241条の未遂)をどう把握するのか。240条の未遂としての243条は「殺意があったが死亡結果が発生しなかった強盗殺人未遂を指す」とし、241条後の未遂としての243条は「殺意があったが死亡結果が発生しなかった強盗強姦殺人未遂を指す」とするのが有力説だが、(4)だとその解釈がとれない。「強盗強姦は殺害と結びつかない」という(私もそう解するが)のが(4)の根本思想なのだがそれだと243条の解釈で苦しむのである。243条でいう「241条」は前段だけを指す、という解釈も可能だが、それは立法例と反する(id:kokekokko:20111102#p2)。

*1:医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律

*2:そもそも「指定薬物」は薬理作用を「規制薬物」に似せて作られている。

条文はこう読む ―特定秘密保護法の「テロリズム」をめぐる誤解―

http://bylines.news.yahoo.co.jp/sonodahisashi/20131227-00031048/

本法第12条2項1号に「テロリズム」に関する定義があり、次のような条文になっています。
「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。」
特定秘密保護法をめぐる議論において、この「テロリズム」の定義を誤って読んでいるケースが少なくありません。

よくでる並列の問題です。
『Aを行う又はBを行う目的でC又はDを行う。』
という文言があるときに
「目的は、A又はB。」「行為は、C又はD。」と読む(つまり類型は、組み合わせると4パターン)のであって、
「以下の3つのうちのどれか。(1)Aを行う、(2)Bを行う目的でCを行う、(3)Bを行う目的でDを行う。」と読むのではない、というもの。
 
まあそうなると、たとえば

第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

からは、人種差別は無条件に禁止されているのではなく、あくまで「政治的・経済的・社会的関係」による差別のみが禁止されている、と解釈できなくもないわけですね*1

あと、以前書いた(id:kokekokko:20060203)のですが、平成23年法律第74号による改正前の刑法

第九十六条 公務員が施した封印若しくは差押えの表示を損壊し、又はその他の方法で無効にした者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。

だと、「何を」その他の方法で無効にしたのかがわからないんですね。

*1:もちろん、そう解釈されていません。通説も判例も、14条後半部は例示的規定であると解しています。

非嫡出子

前回(id:kokekokko:20131121)、戸籍法改正の議論で、死産の届出に関する規程も改正しようとしていたということを書きました。それについて、参議院の会議録がアップされています。
(第185回国会 参議院法務委員会第9号)(平成25年11月28日)

小川敏夫君 今日は厚労副大臣にお越しいただきました。厚労省で統計調査の際、死産があった場合にはその死産の届けの際に非嫡出子であることを明示して届けるというように扱っているようですが、この点はいかがでしょうか。
大臣政務官高鳥修一君) 厚労政務官でございます。小川委員にお答えを申し上げます。
 厚生労働省では、死産の届出を基に人口動態調査を実施いたしておりまして、その中で、嫡出子、嫡出でない子の別の死産の状況を把握するために、嫡出子、嫡出でない子の別に自然死産と人工死産に分けた統計などを作成いたしております。これによりまして、嫡出でない子につきましては嫡出子に比べ経済的理由による人工死産の割合が多いといった状況の把握に活用しているところでございます。
 また、当該統計は国立社会保障・人口問題研究所におきまして人口動向を把握し分析する資料として活用されているとお聞きいたしております。
小川敏夫君 まず、今の答弁の中で若干触れていましたけれども、嫡出の子と非嫡出の子となるべき者の死産ですか、これについて有意な差が認められるわけですか。
大臣政務官高鳥修一君) 今把握している数字を若干申し上げますと、嫡出子の死産につきましては約三五%が人工死産であるということに対しまして、嫡出でない子の死産については約八七%が人工死産であるということでございます
小川敏夫君 死産という言葉の定義ですけれども、これは、いや、じゃ死産という言葉の定義を説明していただけますか。どういうものが死産というのか。
大臣政務官高鳥修一君) 死産ということの定義でございますが、死産とは妊娠第四月以降における死児の出生をいい、死児とは出産後において心臓拍動、随意筋の運動及び呼吸のいずれをも認めないものをいうとされております。
小川敏夫君 だから、要するに、人工中絶というのがありますよね。そうすると、四か月未満ですと、これは中絶、まあ流産してしまうのもあるかもしれないけど、中絶という一般的な言葉であるから、それは死産に入らないわけですね、今の統計の話ですと。そうすると、四か月以降は中絶の場合もこれは死産に当たると、これはそういうお話ですね。それから、生まれ出た子供が、分娩で出た子供が実は呼吸しなかった、死んでいたというのも死産ということで、この今言われた死産の中にはちょっと幅広い定義があるわけですね。
 それで、差があるというのはどちらの方ですか。私が直感的に考えましても、自然の分娩で出てきた子供が死亡していたという死産の場合には、嫡出子であろうと非嫡出子であろうと差はないと思うんですよ。ただ、中絶の場合ですと、やはり様々な事情、要するに夫婦間でない子供でしょうから、中絶ということについては影響があるのかなと思うんですが。どうです、言わば死産という定義の中で分娩前の死産と分娩したときの死産とがありましたけれども、そこら辺のところで有意な差があるかどうかはどうですか。
大臣政務官高鳥修一君) お答えいたします。
 データとしては、今、死産の中で分けたものは持ち合わせておりません。
小川敏夫君 有意な差があって、統計上それが非常に統計を取る意味があるということであれば、そうした区別を付けることについては特に異を述べないけれども、では、更にその上に立って、非嫡出子という言葉を使うことの合理性も考えてみなくてはいけないと思うんですね。
 つまり、ただ単に非嫡出子という言葉を使わなくても、いろんな使い方があると思うわけですよ。つまり、死産をした母親が、あなたは婚姻中ですかという聞き方でも十分足りると思うんですよね。ですから、非嫡出子ですかという、そのような質問の仕方じゃない工夫も同じ目的を達することができると思うんですよね。母親は、あなたは婚姻中ですかという質問でも、生まれてくる子供が婚姻中なら嫡出子、婚姻中じゃなければ一般には非嫡出子ですから、非嫡出子という言葉を殊更使わなくても同じ目的を達せられるんじゃないですかと思うんですが、どうでしょう。
大臣政務官高鳥修一君) 先ほど申し上げたように、その状況を引き続き把握をするために、死産における嫡出子と嫡出でない子の別に関する統計は引き続き作成する必要があると考えております。
 なお、出生届と死産届は市区町村の窓口において一体のものとして処理されておりますので、もし仮に死産届の記載事項見直しをするといたしましても、出生届の見直しと併せて行うことが適当であると考えます。
小川敏夫君 だから、そういう統計上、嫡出子と非嫡出子について区別してその実態を把握するという意味があるということなら、その意味があるならという前提の上に立って私は質問したんですよ。統計上のそうした目的を達するためには、非嫡出子ということを、殊更用語を使わなくても、あるいは非嫡出子ということを書かせなくても足りるやり方があるんじゃないですかと聞いたわけです。ですから、一つの例えとして、母親は、あなたは婚姻中ですかという聞き方でも足りるんじゃないですかと聞いたわけです。
大臣政務官高鳥修一君) 嫡出でない子という用語は、あくまで法律上の婚姻関係にない男女の間に出生した子を意味するものとして用いられている法律用語と解しております。
小川敏夫君 婚姻関係にないと。だから、母親に、あなたは婚姻中ですかどうかという質問の仕方でも目的を達するんじゃないですかと聞いているわけです。
大臣政務官高鳥修一君) 繰り返しになりますけれども、出生届と死産届は市区町村の窓口において一体のものとして処理されていることから、仮に死産届の記載事項見直しをするとしても、出生届の見直しと併せて行うことが適当であると考えております。
小川敏夫君 私の質問に答えていただけないんですけれども。私の質問の趣旨をよく理解して、十分な検討をしていただきたいというふうに思いますが、これ以上押し問答はしませんけれども。

糸数慶子君 嫡出用語と嫡出概念の撤廃について次に伺います。
 十一月五日の参議院法務委員会で、嫡出用語や嫡出概念は見直しを行うべきではないかという私の質問に対しまして、深山政府参考人は、嫡出という用語につきましては国連の各種人権委員会からその使用の撤廃を勧告されたことがあるというのは承知しております。各種の人権委員会からの勧告に対しては、条約締結国として誠実に対処する必要があるのはもとよりでございますが、他方で、このような勧告は法的拘束力を有するものではないというふうにも理解しているところです。嫡出でない子という用語は、あくまでも法律上の婚姻関係にない男女間の間に出生した子を意味するものとして民法、戸籍法で用いられている法律用語でございまして、差別的な意味合いを含むものではないと思っております。したがって、現段階でこの用語の使用を見直すための法改正をする必要まではないと思っておりますと答弁をされました。
 そこで、お伺いいたしますが、民法の条文上使われている嫡出でない子ですが、民法には用語の説明はありません。法律上の婚姻関係にない男女の間に出生した子を意味するというのも理解はしております。しかし、嫡というその言葉には正統あるいは正しく受け継ぐという意味もありますので、嫡出でない子は正統でない子となってしまうため、当事者から使用しないでほしいと求められています。ですから、国連の社会権規約委員会は二〇〇一年に嫡出概念の撤廃を、子どもの権利委員会は二〇〇四年に嫡出でない子という差別用語を使用しないよう求めたのだというふうに思います。諸外国を見ても、嫡出概念や嫡出用語の撤廃は行われております。
 二〇一〇年三月、法務省は、嫡出でない子の出生の届出に当たり、届け書の父母との続き柄の欄の表記等がされていない場合の取扱いについて通知を出されていますが、これは当事者への配慮があったからではないでしょうか。二〇一二年七月二十七日の衆議院法務委員会で、嫡出用語を見直すよう求められた政府参考人の原優民事局長は、民法で現在、嫡出である子あるいは嫡出でない子という言葉が使われておりますので、この言葉を今後、法改正をする場合にどうするかというのは検討事項だというふうに考えておりますと答弁をされています。民法にも最も精通した前局長の御答弁も差別的意味合いを含むとの認識があり、そのような答弁だったというふうに私は理解しております。
 用語の見直しが必要だと思いますが、谷垣大臣の御見解をお聞かせください。
国務大臣谷垣禎一君) 私は、日本語は言霊というものがあるという御意見がありまして、一つ一つの言葉が、何というか、中立的な概念として使われるという以上にいろんな陰影を帯びて使われるという局面があるのは承知いたしております。
 ただ私は、余りにも、頭の固い法律家だと糸数先生に言われるかもしれませんが、嫡出子という概念はあくまで法律上の婚姻から生まれた子というふうにとらえておりまして、それに特別なニュアンスというか陰影を余りにも付け加えて運用していくのは好ましくないと私は考えております。
 ですから、私は、あくまで嫡出概念というのは法律上の婚姻によって生まれた子であるかと。しかし、これは、ですから私の考え方からしますと、そこを改めるということは、法律婚から生まれた子と法律婚から生まれなかった子という民法の区別そのものを、何というんでしょうか、いじらなければなかなかできないのではないかと私自身はそのように考えております。
糸数慶子君 私、谷垣大臣は決して頭の固い大臣だとは思っておりません。
 当事者のやはり受ける印象、そして周りの社会的な状況から考えましても、やはりもうこの辺りでそろそろ変えていくべきだというふうに思います。それは以前の政府参考人からもそういうような、原優民事局長もそういうことをきちんと答弁をされた事実があるわけで、やはりもう少し頭を柔らかくしていただいて変えていただくということを要望したいと思います。

「あなたは婚姻中ですかどうかという質問の仕方」では「嫡出子か否か」の代替にはならないですし、かといって「死産子の父親はあなたの夫か」という質問をあわせてすることが適切かという問題もあります。一方で、「出生届と死産届は一体処理されているから、記載事項見直しは両者あわせて行う」としていますが、両者の目的が違うのでそれもちょっとどうなのかなという気もします。

非嫡出子

非嫡出子の相続分を嫡出子の半分とする民法の規定を削る旨の改正案が、法務委員会で可決されました。
婚外子規定削除を可決 衆院法務委 戸籍法改正では異例の自公分裂
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131120/plc13112013190009-n1.htm

 一方、民主党などが提出した、出生届に嫡出子かどうかを記載するとした規定を削除する戸籍法改正案には公明党が賛成したが、自民党が反対し否決された。与党で法案への対応が割れるのは異例だ。
 公明党民法改正と合わせて、戸籍法も改正すべきだと主張していた。「差別的規定は削除すべきだ」(幹部)との声が根強く、民主党みんなの党が提出した戸籍法改正案で賛成に回った。

ただ、この改正案(修正案)では、戸籍法だけでなく死産の届出に関する規程(昭和21年厚生省令第42号)(いわゆるポツダム省令)での規定も削ろうとしていたようなのです。

民法の一部を改正する法律案に対する修正案
民法の一部を改正する法律案の一部を次のように修正する。
附則第2項中「この法律による改正後の」を「第1条の規定による改正後の民法」に改め、同項の次に次の一項を加える。
 (死産の届出に関する規程の一部改正)
3 死産の届出に関する規程(昭和21年厚生省令第42号)の一部を次のように改正する。
  第5条第2項第3号中「及び嫡出子又は嫡出でない子の別」を削る

戸籍法のほうは本法第2条で改正し、死産規定のほうは附則で改正しようとする方針はよくわかりませんが、「公衆衛生特に母子保健の向上を図るため、死産の実情を明かにすることを目的とする」(第1条)ために嫡出子か否かを届けさせるという規定が、法の下の平等に反するかどうかはなお検討の余地があるかもしれません(死産届出ではほかにも、世帯の仕事などについても書かせることになっています)。嫡出制度の存否とは別に、保健上の調査のために「法律上の夫婦からの子かどうか」を届けさせるというのは、合理性があるかもしれません(少なくとも、生きている子についての平等とは別の観点からの議論は必要でしょう)。

昭和21年厚生省令第42号(死産の届出に関する規程)
第5条  死産届は、書面によつてこれをなさなければならない。
 2項  死産届書には、次の事項を記載し、届出人がこれに記名捺印しなければならない。
  3号  死産児の男女の別及び嫡出子又は嫡出でない子の別

なお、当該規程は最近、非訟事件手続法改正によって改正され、第12条の文言が変更されましたが、しかしなお第11条はそのままであり、過料は500円以下です。

第11条  死産の届出義務者が正当の事由なくして期間内に届出を怠つたときは、五百円以下の過料に処する。
第12条  過料についての裁判は、簡易裁判所がこれを行う。

 
なお、埼玉県の春日部市が死産届をネットにアップさせています。http://www.city.kasukabe.lg.jp/shimin/kurashi-k/koseki/shussho/documents/shizan.pdf なのですが、よくみると「死産児の男女別」の項が「男/女/不祥」となっています。もちろん、「不詳」でしょう*1

*1:「不祥」の意味は、「不幸」というよりは「不吉」「不運」ですから。

危険運転致死傷罪

今日も法改正の話。http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00074.html
今回の法案では、危険運転致死傷罪の対象行為が増えます。これに際して、当該条文を刑法から特別法へ移すことになりました。改正後の規定のいくつかに政令への委任があり(たとえば運転に支障がある病気)、それが刑法典にあまりなじまない、というのが移行の理由のようです。
同時に過失運転致死傷も特別法へ移行することとなり、結局、刑法典のほうは昔の規定(危険運転致死傷罪の制定以前)に戻ることになります(法定刑に差異がありますが)。

自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律
(定義)
第一条 この法律において「自動車」とは、【略】をいう。
2 この法律において「無免許運転」とは、【略】をいう。
危険運転致死傷)
第二条 次に掲げる行為を行い、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。
 一 アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる行為
 二 その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為
 三 その進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させる行為
 四 人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為
 五 赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為
 六 通行禁止道路(道路標識若しくは道路標示により、又はその他法令の規定により自動車の通行が禁止されている道路又はその部分であって、これを通行することが人又は車に交通の危険を生じさせるものとして政令で定めるものをいう。)を進行し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為
第三条 アルコール又は薬物の影響により、その走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で、自動車を運転し、よって、そのアルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態に陥り、人を負傷させた者は十二年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は十五年以下の懲役に処する。
2 自動車の運転に支障を及ぼすおそれがある病気として政令で定めるものの影響により、その走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で、自動車を運転し、よって、その病気の影響により正常な運転が困難な状態に陥り、人を死傷させた者も、前項と同様とする。
(過失運転致死傷アルコール等影響発覚免脱)
第四条 アルコール又は薬物の影響によりその走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で自動車を運転した者が、運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた場合において、その運転の時のアルコール又は薬物の影響の有無又は程度が発覚することを免れる目的で、更にアルコール又は薬物を摂取すること、その場を離れて身体に保有するアルコール又は薬物の濃度を減少させることその他その影響の有無又は程度が発覚することを免れるべき行為をしたときは、十二年以下の懲役に処する。
(過失運転致死傷)
第五条 自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。
無免許運転による加重)
第六条 第二条(第三号を除く。)の罪を犯した者(人を負傷させた者に限る。)が、その罪を犯した時に無免許運転をしたものであるときは、六月以上の有期懲役に処する。
2 第三条の罪を犯した者が、その罪を犯した時に無免許運転をしたものであるときは、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は六月以上の有期懲役に処する。
3 第四条の罪を犯した者が、その罪を犯した時に無免許運転をしたものであるときは、十五年以下の懲役に処する。
4 前条の罪を犯した者が、その罪を犯した時に無免許運転をしたものであるときは、十年以下の懲役に処する。