全部改正と廃止制定

続・航海日誌さん(http://www.seri.sakura.ne.jp/~branch/diary0609.shtml#0929)に、死刑執行に係る法務大臣の命令の話題があり、それについて書こうと思ったら、9/11付で

有価証券業取締法(昭和13年法律第32号)【→ 証券取引法を改正する法律(昭和23年法律第25号)により廃止 (形式的には廃止制定方式なのにこういう題名なのは、戦後すぐということでご愛敬。) 】

とありましたので、こちらから先に書きます。というのも、廃止制定方式がこういう題名なのは、一貫した方針だったかと思うからです。
もちろん、現在はこのような扱いはしていません。

 「廃止制定」というのは、既存の法令を廃止すると同時に、これに代わる新しい法令を制定する方式であるが、全部改正と廃止制定は、例1【銀行法(昭和56年法律第59号)=全部改正】と例2【鉄道事業法(昭和61年法律第92号)=廃止制定】を比較してもわかるように、外観上は、次のような違いがあるだけで、ほとんど異なるところがない。
 (1)全部改正の場合は、「○○法の全部を改正する」という制定文がつくが、廃止法令の場合はこれがつかない。
 (2)廃止制定の場合は、附則で旧法令を廃止しているが(特許法のように、他の法律(特許法施行法)で旧法を廃止する場合もある)、全部改正の場合は、当然のことであるが、旧法令の廃止ということはありえない。
 【(3)(=経過措置について)以下略】
【「法令の改め方」(立法技術入門講座第3巻)昭和63年(ぎょうせい)161ページ】

ただ、当時の証券取引法(昭和23年法律第25号)は、証券取引法 (昭和22年法律第22号)を改正する法律で、官報での構成は以下のようになっています。

証券取引法を改正する法律をここに公布する。
 御名 御璽 
昭和二十三年四月十三日
 内閣総理大臣 芦田 均
 
証券取引法目次
 第一章 総則
 【中略】
 第九章 罰則
 
証券取引法
 第一章 総則
第一条 この法律は、【略】

つまり、
・同名の旧法を全改しており、以後引用される法律番号はこの番号
・しかし、公布文から取れる名称は「証券取引法を改正する法律」であり、法令全書の目次も「〜法改正」となっている
・にもかかわらず、本文の初めには「証券取引法」とある
・条文上、旧法を廃止する規定がない
という状態になっていて、現在でいう全部改正と廃止制定の間を取ったような形になっています。
これは終戦直後のhttp://www.shugiin.go.jp/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00219480710131.htm?OpenDocument刑事訴訟法)やhttp://www.shugiin.go.jp/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00219480715168.htm?OpenDocument少年法)、あるいは治安維持法昭和16年法律第54号)、鉄道敷設法(大正11年法律第37号)、度量衡法(明治42年法律第4号)、特許法(旧々法)(明治42年法律第23号)など、けっこう例が多くあります。
 
この場合、刑事訴訟法施行法のように

第1条 この法律において、「新法」とは、刑事訴訟法を改正する法律(昭和二十三年法律第百三十一号)による改正後の刑事訴訟法をいい、「旧法」とは、従前の刑事訴訟法(大正十一年法律第七十五号)をいい、「応急措置法」とは、日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律(昭和二十二年法律第七十六号)をいう。

と引用されることもありますが、通常、刑事訴訟法を引用する場合は「刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)」とします。
 
これにつき、以下の説明があります。

従前、すべての法令に題名をつけるというやり方がとられなかった時代には、法律については、国会に提案する件名および公布文の中に「○○法を改正する件(法律)」と、政令などについては、公布文の中に「○○令を改正する件(政令)」と表示され、それがある法令の全部改正であることを表すしるしになっていたが、現在では、国会に提案される件名も公布文中の引用も、すべて改正後の題名による。
林修三「法令作成の常識」日本評論社(昭和39年)103ページ】

なお、これについて、やや不規則なのが刑法(明治40年法律第45号)でして、
・同名の旧法の全改であり、以後引用される法律番号はこの番号
・上諭文は「刑法改正法律ヲ裁可シ」である
・本文の初めには「刑法」とある
ですが、条文上、旧法を廃止する規定があります。やはり別冊方式の法令は特殊なのでしょうか。

司法と行刑

というわけで本題です。

そもそも、行刑はなぜ司法権の範囲に含まれていないんだろうか。

とありますが、やっぱり歴史的経緯が大きいのかもしれません。司法が行政から明確に分離するよりも前から国家刑罰権という形で公権力が担ってきた刑事と、私人間の係争を解決する機構として司法が役割を担ってきた民事との差異あたりです。略式手続や税務関係などは、また様相が異なってきますが。
民事執行については、判任制の現行のルーツとなるのは裁判所官制(明治19年勅令第40号)での執行吏、あるいは裁判所構成法での執達吏あたりですが(たとえば染野義信「司法制度」(講座日本近代法発達史第2巻)、あるいは裁判所構成法の原案起草者のO・ルドルフの諸註釈)、刑事では既に明治初期に府県・警視庁による獄署・徒場が存在しており、これの内務省への移行は自然なものでした。
 
考えてみると、強制執行も科刑も、司法府の意思の実現という意味では共通しているのですが、当事者の利益確保行為をかわりに引き受けるに過ぎない(ゆえに、執行行為者に利益は帰属しない)執行手続に対して、刑事手続を抑制する方向への指揮制御(これがどれだけ現実に機能しているかはさておき)として司法が一定の役割を担う、と考えると、「訴追や科刑」と「裁定」とを分離するというのが理屈の上では筋が通っているのかもしれません。
 
なお、明治2年ごろには糾問司(司囹)の所管として囚獄が置かれている場所もあったわけで、裁判所による行刑も例がないわけではないです。また、刑訴472条1項(そしてもちろん第475条も)のような、検察官による執行指揮の原則は、フランス法が採用するものであり、ドイツ法では裁判官が執行を指揮したわけですから、日本においてももっと司法が行刑に関与できなくもないのですが、このあたりはまた後日に書きます。