司法と行刑

というわけで本題です。

そもそも、行刑はなぜ司法権の範囲に含まれていないんだろうか。

とありますが、やっぱり歴史的経緯が大きいのかもしれません。司法が行政から明確に分離するよりも前から国家刑罰権という形で公権力が担ってきた刑事と、私人間の係争を解決する機構として司法が役割を担ってきた民事との差異あたりです。略式手続や税務関係などは、また様相が異なってきますが。
民事執行については、判任制の現行のルーツとなるのは裁判所官制(明治19年勅令第40号)での執行吏、あるいは裁判所構成法での執達吏あたりですが(たとえば染野義信「司法制度」(講座日本近代法発達史第2巻)、あるいは裁判所構成法の原案起草者のO・ルドルフの諸註釈)、刑事では既に明治初期に府県・警視庁による獄署・徒場が存在しており、これの内務省への移行は自然なものでした。
 
考えてみると、強制執行も科刑も、司法府の意思の実現という意味では共通しているのですが、当事者の利益確保行為をかわりに引き受けるに過ぎない(ゆえに、執行行為者に利益は帰属しない)執行手続に対して、刑事手続を抑制する方向への指揮制御(これがどれだけ現実に機能しているかはさておき)として司法が一定の役割を担う、と考えると、「訴追や科刑」と「裁定」とを分離するというのが理屈の上では筋が通っているのかもしれません。
 
なお、明治2年ごろには糾問司(司囹)の所管として囚獄が置かれている場所もあったわけで、裁判所による行刑も例がないわけではないです。また、刑訴472条1項(そしてもちろん第475条も)のような、検察官による執行指揮の原則は、フランス法が採用するものであり、ドイツ法では裁判官が執行を指揮したわけですから、日本においてももっと司法が行刑に関与できなくもないのですが、このあたりはまた後日に書きます。