ゲームの目標(2)

では、TVゲームはどうでしょう?
ここでは、「ドラゴンクエスト」と「スーパーマリオ」と「スターソルジャー」と「ウィザードリィ」をみていきます。最近のゲームは私は知らないので、それぞれファミコン版あたりを想起してください。
まずはドラクエです。もちろん目標は、最終敵(ラスボス)を倒してゴールへ向かうことです。シナリオ上設定された行為を取ることが目標となります。設定された場所へ行き、設定された行為を選択することが目標です。つまり、ある出来事が発生すればゲームが終了する、というサドンデス制なのです。
ここで問題なのは、プレイヤーが勝手に設定した目標は、ゲームの目標にはならない、ということです。プレイヤのレベルを最高に上げるとか、お金を限界まで持つとか、そういうものは目標にはならないのです。なぜなら、プレイヤキャラ(PC)のレベルを最高に上げても、ゲームは続くからです。

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さて、ここで前回の話を思い出してください。持ち点制のゲームは「ゲーム終了の条件が目標達成以外にある」のでしたよね。ドラクエはこの持ち点制のゲームに該当しないのでしょうか。つまり、野球でいうところの9イニング終了(持ち点が一定量になること)がドラクエでいうところのシナリオ達成であり、野球でいうところの得失点差(つまり目標達成判定の数値)がドラクエでいうところのレベル、あるいはアイテムになる、と。そうすれば、シナリオクリアまでにいかにたくさんの経験値・お金・アイテムを獲得できるか、というゲームなのだ、ということになります。この解釈は不可能ではなさそうです。
すると、困難なことが起こります。プレイヤーが自由な目標を設定して遊ぶタイプの「シムシティ」は、それゆえコスティキャンによって、「目標がないゆえにゲームではない」とされています。

シムシティ」には目標がない。ということは、これはゲームではないのだろうか。然り。デザイナー自身が言うように、これはゲームでなく玩具なのである。

パソコンの絵描きソフトはゲームではありません。しかしユーザーは、自分なりの目標を思い描いて、そのソフトを使って制作に取り組みます。そして目標が達成されれば、終了です。シムシティには絵描きソフトと異なって障害物が存在しますが、目標がないという点では絵描きソフトと同様です。自分なりの目標を描き、制作に取り組み、プレイヤーの気が済んだら終了です。

「ゲームにとって目標が大切だというなら、RPGはどうなるんだ。RPGには勝利条件がないじゃないか」という反論が出るかも知れない。
確かにRPGには勝利条件がない。その通りだ。しかし、RPGにも目標がある。おなじみの「経験点稼ぎ」とか、親切なゲームマスターが押しつけてくれたクエストを達成するとか、帝国を再建して恒星間文明の崩壊を防ぐとか、悟りの境地に達するとか、そういったことだ。

コスティキャンはこう書いて、ユーザーが自由に設定した目標もゲームの目標になる、と言っています。
でも、ちょっと待ってください。それなら、野球の目標だってプレイヤーが自由に設定できることになります。たとえば、多くの点数を取るとか、ホームランをたくさん打つとか。あるいは将棋の目標だってプレイヤーが勝手に決めて、ボクシングみたいに「相手をノックアウトすること」としたりとか、サッカーみたいに「90分間で相手の駒を多く取ること」としたりとか、シムシティみたいに「美しい矢倉を作る」とかにすることができるはずです。でも、相手の駒を多く取れば勝ち、というのでは、もはや将棋ではありません。それは、将棋の駒と盤とを使った別のゲームです。
目標が変わればゲームの種類が変わってしまいます。野球とホームラン競争とは、同じ道具を使いながらも別のゲームです。同様に、メガロポリスを作ろうとするプレイスタイルと、怪獣に都市を豪快に破壊させるプレイスタイルとでは、同じシムシティを使いながらも、別のゲームになりうるのです。となると、プレイヤーが目標を定めればそれはゲームになり、そして目標が変更になればゲームの種類が変わる、ということになります。
そうなると、疑問点が出てきます。
目標が異なれば別のゲームになるというのなら、経験値かせぎは本来のドラクエというゲームではなくなるのでしょうか。
続きは次回。