ゲームの目標(3)

「ゲームの目標と終了」について、もう少し考えてみます。
ゲームにとって重要なのは、プレイヤーの意思決定、あるいは運です*1。目標とは、意思決定に意味を持たせるものです。どんな意思決定をしても(コマを左に動かすとか右に動かすとか)、あるいはどんな結果になろうとも(サイコロの目が6になるとか持ち点が相手を上回るとか)、それがなんら最終的評価に影響しないのであれば、意思決定は意味を失いますよね。意思決定に意味を持たせる存在が目標です。ある選択(あるいはある結果)にプラスの評価を与えてプレイヤーにその選択(結果)を取らせるように動機づけ、または、ある選択(あるいはある結果)にマイナスの評価を与えてプレイヤーにその選択(結果)を取らせないように動機づける。こういうことが、ゲームにおける「目標」の本質的役割であることになります。

少し話はそれますが、マイナスの評価が与えられてそれによりゲームが終了することは、通常、「ゲームオーバー」と呼んで、「ゲームクリア」とは区別されます。
つまり、ゲームオーバーは負の目標であり、そしてゲームオーバーにならないというのは、目標の一つになります。サバイバル型ゲームですね。一定時間の経過や一定点数の獲得を条件(持ち点)にして、それまでに敗北・破滅をひたすら避ける。「生き残れば勝ち」というのがサバイバル型ゲームです。
ところで、前で私はマインスイーパについてこのように考えました。

目標は全地雷原の特定です。そして全ての地雷原が特定された時点でゲームが終わり、特定されないとゲームが終わりません。というわけで、「ゲーム終了の条件は目標の達成のみである」ゲームなので「サドンデス制」です。

ここで視点を変えてみましょう。こう考えることもできます。マインスイーパにおいて目標は「生き残ること」であり、終了条件は全ての地雷原の特定、そして地雷を踏むことがゲームオーバーの条件である、と。こうなると、マインスイーパはサバイバル型になりますよね。
しかし、サバイバル型ゲームにおいては、通常、持ち点となる条件は、時間経過など「プレイヤーが調節できない受動的なもの」なんです。
おっと、この話はまだ早いのでいったん引っ込めます。とりあえずここでは、ゲームの目標について、複数の解釈が可能であるということを確認しておきたいと思います。
そして、マインスイーパのヘルプには、こうあります。

マインスイーパの目的
このゲームの目的は、地雷が隠れているマス目を開かずに、できるだけ早くすべての地雷を見つけることです。

マインスイーパの制作者は、ゲームの目標を全地雷原の特定と考えているようです。

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話をもとに戻します。
上のほうで「最終的評価」と書きました。ゲームでの評価とはどういうものでしょうか。たとえば野球においては、点数が高いほうがいい、というのが評価です。このように、評価は、制作者によって設定され、ルールに反映します。
前回、「プレイヤーが勝手に設定した目標は、ゲームの目標にはならない」と書きました。ですが、ゲームをプレイするのは制作者でも審判員でもなくプレイヤーなのですから、勝手に目標を設定してもいいはずです。目標が変わればルールも変わり、戦略も変わりますが、手段たる道具が変わる必要はありません。テニスも野球も、同じような大きさのボールを使います。将棋もはさみ将棋も、同じ盤を使います。となると、同じゲームソフトを使用しながら別物のゲームになっても、おかしくないはずです。
対戦相手がいるゲームでは、確かに、評価も目標も明示されておく必要があります。片方のプレイヤーは相手の王を取れば勝ちだと考え、対戦相手は相手の飛車を取れば勝ちだと考えたとすれば、このゲームは攻防が食い違うために面白さが半減し、そしてゲームがいつ終了するかについて争いが生じるでしょう。想像してみてください。相手の王を取ろうとがんばっていたら、とつぜん相手が「自分は今、あなたの飛車を取りました。よって私の勝ちです。ゲームはここで終了です」なんて言われたら、なかなか納得できないでしょう。そこでこの場合には、事前に相互に目標を明確にして、そして通常は、目標は統一されて相互に相反する(つまり「私の勝ちはあなたの負け」)ことになります。

一方、対戦相手がいないTVゲームでは、評価の基準はプレイヤー各自が決めることになります。スコアに価値を見出すプレイヤー、クリアまでの時間の短さに価値を見出すプレイヤー、取得した経験値の多さに価値を見出すプレイヤーなど、いろんなプレイヤーがいておかしくありません。
ただし、ゲームが終了する時点がいつなのかについては、ルールで決定されています。目標が達成されたかどうかは終了時には明らかになりますので、いつゲームが終了するかをプレイヤーは念頭に置いて、そしてゲーム終了時点には目標を達成しているように戦略を進めていきます。サドンデス制のゲーム(たとえば将棋)では、ゲームを終了させたほうが勝ちですので、普通は、少なくとも1つの目標を持つことになります。さもないと、ルール上、目標を達成しないのでゲームが終了しないからです。いっぽう、持ち点制のゲームでは、ゲーム終了までに複数の資源やスコアが変動することが、珍しくありません。それら資源やスコアのうち本来のものとは異なるものを、目標として設定することが容易である、ということになります。

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最後に、ちょっと整理します。
ゲームの制作者は、目標を設定して、その目標に適うようなルールと終了時点を設定します。
プレイヤーも同じく、目標を設定して、その目標に適うような行動を取ります。
それら両者の目標が食い違えば、たとえば、制作者がゲームオーバーと考えていたものがプレイヤーにとってゲームクリアになったり、あるいはその逆になったりします。

*1:余談ですが、何らプレイヤーの意思決定が関与しないもの、たとえばボールを遠くまで投げる遊びや、50メートル競走や、あるいは射的は、コスティキャンの定義では、ゲームではないことになります。これらは本人の運動能力や反射神経や技術や運のみが左右するからです。ですが、ゲームという語から受ける印象からは、「運」の要素が強いもの(たとえばスゴロク)は充分にゲームといえると私は思います。