死刑にまつわる

法律に関する資料をアップしようとしましたが、それは後回しにして、今日は軽い話を。
□ 死刑執行の失敗
サイトをみていると、「死刑執行された囚人が、なんらかの原因で生き残った(あるいは蘇生した)場合」について議論がされていました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/death_penalty.htm
「死刑執行失敗後に再執行する説」が有力、とのようです。
 
死刑の方法について、現行刑法は「死刑は、監獄内において、絞首して執行する。」(11条、口語化前の規定は「死刑ハ監獄内ニ於テ絞首シテ之ヲ執行ス」)とありますが、旧法(明治15年施行)の規定は「死刑ハ絞首ス」(12条)となっていました。
この変更について、現行刑法の理由書では「絞首で生命を絶つことが目的であり、いったん絶命したのちに蘇生したような場合でも更に絞首できるようにするためである」*1と説明しています。
というわけで、この場合における「制定の理念に沿った判断」としては、再執行が正当でしょう。
実際には、明治5年に田中藤作が死刑執行後に蘇生した事例で、司法省が「天幸による蘇生だから無罪放免だ」と判断した、ということがあります*2。当時の絞殺は確実ではなかったようなので、ときどき死刑執行に失敗していたようです。
 
□ 軍刑法での死刑
さらにサイトをみると、「軍刑法での死刑はなぜ銃殺なのか」について検討されていました。
http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/000070.html
詳細はいつか書くとして今回は結論だけを書くと、ボアソナードの頃からすでに、ヨーロッパにおいて「陸海軍人に対しては銃殺をもって死刑とする」*3とされています。銃殺刑の規定をさかのぼると、明治14年の陸軍刑法では「陸軍において死刑に処する者は皆これを銃殺する」(19条)*4と規定されています。それ以前の軍刑法での死刑は、明治5年海陸軍刑律の将校の自裁、つまり切腹であり、いっぽう下級軍人については銃殺であったようです*5
当時の軍刑法に影響を与えたフランス軍事法制を参考にしたようです*6

なお、ヨーロッパと日本での、死刑の種類による名誉の差としては、

律令下で採用された処刑法のうち、絞は斬よりも一等軽い死罪に用いられた。明治初期においてもそれは倣われたが、この違い分けについては、五体満足に葬られないと魂が元に戻らないという考えから身体の切断を忌んだ、律令当時の大陸思想に基づいている。

逆に、窃盗犯や女性に対する死罪として絞首刑を施してきたヨーロッパにおいては、絞首は一種“不名誉”な刑だった。一九三三年ナチス・ドイツが「絞・斬・銃」の三死刑を採用、この中で絞首を一番重い罪としたのもそうした“残虐観”によろう。

という説明があります。
あと、仮刑律における絞首については、

律令時代の絞殺は、縛して坐せしめた受刑者の頸を二本の綱で挟み、その綱を縄をなうように轆轤で巻き上げ絞め殺すという方法だった・・・

そして一八七〇(明治3)年一二月の明治政府初の完成刑法典ともいえる「新律綱領」において、律令時代の絞殺法を踏襲したものと思える絞殺処刑具「絞柱」を定めたのだった。構造的には、律令時の人力による首絞め法を懸垂に変えたところに明治期としての工夫がうかがえる。

という説明があります*7
仮刑律は一般に公布されたものではなく、しかもかつての幕府天領にのみ施行されたものですから*8、絞殺刑が日本全土に普及するのはしばらく先です。絞殺刑の法定は王政復古の一環として行われたのであり、実際に絞殺刑の細目を制定しこれを実施したのは処刑道具が考案されてからのようです。

*1:「現行法ニ死刑ハ絞首ストアルヲ改メテ絞首シテ執行スト為シタルハ絞首シテ生命ヲ絶ツコトヲ明ニシタルモノニシテ絞首ニ依リ一旦絶命シタル後蘇生スルコトアルモ更ニ絞首シテ生命ヲ絶ツ可キコトヲ命シタルナリ」

*2:たとえば村野薫編「日本の死刑」など

*3:「陸海軍人ニ対シテハ銃殺ヲ以テ死刑ト為ス」、ボアソナード「刑法草案注釈(上巻)」171ページ

*4:「陸軍法衙ニ於テ死刑ニ処スル者ハ皆之ヲ銃殺ス」

*5:下士以下死刑ニ処スル者銃丸打殺ヲ用」・・・「銃手数人ヲシテ其眉間ヲ打タシメ」、松下芳男「明治軍制史論(下)」414ページ以下

*6:しかしフランスでもスパイ行為に対する処刑は背後からの銃殺であり、背後からという点が不名誉刑を象徴している

*7:いずれの説明も村野薫編「日本の死刑」より。なお、鶴田文書第一分冊77ページでも「絞首ニ処スルハ天然ノ身体ヲ具備シ置クヲ以テ斬首ノ身、首処ヲ異ニスルニ勝レリト為スノ主意ナリ」とのこと

*8:手塚豊「明治初期刑法史の研究」3ページ以下