中絶と堕胎

以前書いたものはhttp://www.niwatori.net/ameni/log/c02.htmlにアップしました。
 
■境原三津夫「堕胎罪と母体保護法北海学園大法学研究科論集6号29ページ
いきなり最初の文章で「法律で堕胎を犯罪として規定したのは旧刑法が初めてである。」と書いているのですが、まず第一に、旧刑法は法律ではありません。そして第二に、もし「太政官布告も広い意味で法律なのだ」というのであれば、改定律例にすでに堕胎罪規定は存在します。

改定律例(明治6年5月太政官布告
巻一 戸婚律 立嫡違条例
第百十四条 凡故サラニ。堕胎スル者ハ。懲役百日。情ヲ知テ。薬ヲ売リ。及ヒ技術ヲ施ス者ハ。同罪。婦女ト雖モ。收【収】贖スルコトヲ聴サス。

それと、「堕胎罪は胎児の生命に対する侵害犯ではなく胎児の生命または身体に対する危険犯であると解されている」*1(32ページ)という文章に注が打たれていて、その注(48ページ注7)で大判大正11年11月28日が紹介されていますが、この事案は胎児排出後に作為でこれを殺害したものです。中絶法制のなかった時代なので「生育可能性」を持ち出す根拠がなく、排出後の殺害行為が独立の侵害であるかは何とも言えず、危険犯説の何かを補強したとはいえません。
むしろ、この論文では紹介されていない最決昭和63年1月19日(百選などにも紹介されていて評釈がたくさんあります)のほうが、見解がわかれる事案でしょう。
 
また、この論文の着眼点は、胎児条項(中絶の理由として「胎児が重い傷害を負って産まれる可能性の高さ」を含める、というもの)の導入の主張でしょう。ただ、これについては既に(境原論文では引用されていませんが)辰井聡子「生命倫理と堕胎罪・母体保護法の問題点」現代刑事法42号40ページ以下、また松尾智子「ドイツ人工妊娠中絶法における胎児条項をめぐる問題」ホセ・ヨンパルトほか編「法の理論19」65ページ以下などで言及されています。あるいは、妊娠初期の中絶については要件を不要とするべきである、という主張はたくさんあるわけです。
「胎児条項の導入は優生思想ではない」という一点を主張するだけでも、おそらく境原論文以上の紙幅が必要となるはずです。また、障害胎児を出産することを強制できない、という境原論文の結論では、妊娠22週以後の胎児であっても、障害が判明した時点で中絶できることになります。通常はこの場合には胎児の生命の価値が女性の決定権を上回ると主張するのですが、境原論文ではかかる記述がないうえに、「胎児の産まれてくる権利」について「わが国では胎児にこのような権利を想定することはできない」(47ページ)とする*2ならば、胎児固有の生命の価値が妊娠22週以後に質的変化をとげるのでしょうか。

今日はここまで。

*1:もちろん、排出行為によって胎児の身体への危険は実現されているのであり、「胎児の身体」に対しての「危険犯」といえるかどうかは疑問です。

*2:そのわりにはその後の記述で「胎児条項の導入を検討する場合には、優生思想と切り離し「女性の産む権利・産まない権利」と「胎児の生まれてくる権利」の問題として議論すべきである」としています。「想定できない」はずの権利をどのように問題にし、どう議論するのでしょうか。