心神喪失者等医療観察法の条文・審議(その12)

前回(id:kokekokko:20060103)のつづき。
ひきつづき、連合審査会での質疑をみてみます。
【福島委員質疑】

第154回衆議院 法務委員会厚生労働委員会連合審査会会議録第1号(同)
○園田委員長 福島豊君。
○福島委員 本日は、私は、先般読売新聞に載りました、六月二十八日付でございますが、「論点」において、高木俊介さんという精神科医がこの法案についてのさまざまな指摘をしているわけでございます。実は、彼は私の同級生でございまして、いろいろと言われるとなかなか内心複雑なものがありまして、一つ一つ指摘されていることについて確認をしたいというふうに思っております。
 この中で、まず初めに、次のようなことが言われております。今回の法案は、問題の多い検察段階での責任能力判断の過程については、何の改善も図られていないではないかと。この点について、法務省としてどうお考えか、お聞かせいただきたいと思います。
○古田政府参考人 検察当局におきまして、精神障害の疑いがあると思われる方についての事件を受理した場合に、その事件の捜査に当たりましては、犯罪の内容等、こういうものをきちっと捜査することはもちろんでございますが、その上で、責任能力に関する問題、あるいは生活の状況、そういうふうな点も含めまして、犯罪の軽重でありますとかいろいろな要素を考慮し、必要に応じて専門家の意見なども求めながら適切に処分を行うというふうに努めているところでございます。
 その過程の中で、必要に応じて鑑定等の依頼をするわけでございますが、それは、ただいま申し上げましたような事案の内容等を考慮して、どういうふうな措置が最も適切であるかということを考えながらやっているわけでございます。そういう現在の鑑定のあり方自体について特に重大な問題があるというふうには私どもとしては考えておりません。
 しかしながら、もちろん、その事件の捜査処理におきます責任能力の判断、こういうものの重要性は当然でございますので、それについてできるだけ適切な判断が行われるよう、資料の提供その他について十分な配慮が必要でございますし、また、鑑定をしていただく方々との間のいろいろな意思疎通、そういうものも十分図っていかなければならない。そういうことにつきましては、いろいろな観点からさらに今後改善をしていく必要はあると考えております。
 なお、この法律案におきましては、この対象者として申し立てをするためには、心神耗弱あるいは心神喪失であるということを検察官として厳密に認定する必要が生じます。したがいまして、現在、例えば比較的軽い事件等につきましては、被害者の意向とかそういうことを考慮して、あえて心神耗弱かどうかというようなことを厳密に認定するまでもなく、刑事事件として見た場合に不起訴にするというようなことはあり得るわけでございますけれども、今後、この制度ができますと、そのような疑いのある事件につきましては、やはり心神喪失心神耗弱か、こういう点をきちっと鑑定によって認定した上で処理をするということになるわけでございます。
 なお、さらにつけ加えて申し上げますと、ただいま検察庁で行っておりますいわゆる簡易鑑定と申しますのは、これは本人の同意がある場合に限られるわけでございまして、現在までのところ、事件の内容によっては、同意がない場合に、あえて鑑定までの必要はないというふうなケースについては鑑定をしないケースもあるわけでございますが、今後は、この制度ができた場合には、先ほど申し上げましたように、そこをきちっと認定しなければならないわけですので、同意がない場合には、鑑定許可状を裁判所からいただいて鑑定をするということが必要になっていくであろうと思っております。
○福島委員 今まで以上に厳密に行われるという趣旨だろうというふうに思います。
 次に、先ほども漆原委員の方から御指摘ございましたが、再び対象行為を行うおそれ、いわゆる再犯予測ということでございますが、それができるのかどうかということについての指摘もあります。
 「「再犯予測」が可能なのかどうかということが、慎重に検討される必要がある。」というふうに高木さんは指摘をしているわけでございます。これに対して、坂口厚生労働大臣が、英国の精神医学の教科書に再犯予測は可能であるとあるというふうに答弁しておるけれども、「その教科書には、「(予測には)明確な誤りの可能性があり」、「(精神科医は)予測の能力に対して謙虚でなければならない」と書かれている。」と指摘をしております。また、「米国の代表的な教科書にも、「精神科医は信頼できる正確さをもって将来の暴力を予測できないことが、すべての研究で示されている」とある。」というふうに指摘をされております。
 この再び対象行為を行うおそれというのが要件として必要であるということについては、先ほど法務省から、自由の制約を課すわけであるから、治療の必要性、そしてまた同時に、その問題行動を起こすおそれという二重の観点で判断をする必要があるという指摘があったのだというふうに思います。それは、ある意味では非常に慎重に、こうした自由の制約を課す判断を下すときには臨まなければならないんだという意味で、私は理解できるものでございます。
 ただ、しかしながら、この問題行動を起こすおそれ、いろいろな表現があります。先ほどの大臣の御説明ですと、自傷他害のおそれ、また、再び対象行為を行うおそれ、これは基本的に同じ考え方であるという指摘があったわけでございますが、こうしたことが明確に予測できるかどうかというのは、予測でございますので、あくまで誤りの可能性があり得るんだということも同時に踏まえておかなければいけないんだと思います。ですから……(発言する者あり)御同意の発言がございますけれども、そういったことも要件として同時に加えるということは、慎重を期すという意味からは大切だけれども、ただ、そこのところの予測については、一〇〇%予測できるわけではないだろうという指摘については謙虚に受けとめなければいけないというふうに私は思うわけでございます。そしてまた、その誤りがあった場合に、適切に、事後的に対処される必要もあると思います。
 この点についての政府の見解をお聞きしたいと思います。
○古田政府参考人 御指摘のとおり、これは、危険性の評価といいますか、リスクのアセスメントでございますので、常にアセスメントに従った結果が起きるというものではないこともまた事実でございます。したがいまして、それができるだけ合理的と申しますか、確実に行われるようにいろいろな仕組みをつくっていくことが必要である、それはそのとおりでございます。
 この法案におきましては、まず最初の処遇の要否の決定の段階で、先ほど申し上げましたような十分な医療的観察が可能となるような仕組み、あるいはさまざまな観点からの資料、これが十分集まるというふうな仕組みを整えまして、要するに判断の基礎資料、これについて十分なものをまず用意する。さらに、対象者側からもいろいろな意見、あるいは資料の提出、場合によっては証人尋問の申し出みたいなものも含むわけでございますけれども、要するに、裁判所の判断に当たって一方的な資料に偏らないようにするということもあわせて配慮しているわけでございます。
 その判断がおかしいということになった場合には、これは上級の裁判所に不服を申し立て再審査を受けることができるというふうな仕組みにして慎重に考えておりますほか、その後、一たん処遇に関する決定が出た後も、入院の継続が必要な場合には六カ月ごとにさらに裁判所の確認を受けなければならない。あるいは、入院の必要といいますか、そういうおそれがあると認めることができないような状態になったときには直ちに退院の申し立てをしなければいけない。さらには、対象者の側からもやはり退院の申し立てができるということにいたしまして、それらの判断につきまして問題があるときには、やはり上級の裁判所の再審査を受けることができる。
 そういうふうなさまざまな状況、その人の状態に的確に応じた処遇が常々確保されるような仕組みを最大限考慮しているということでございます。
○福島委員 次に、また高木さんはこのような指摘をしております。英国の病院収容命令には再犯予測要件はない、この法案よりもかなり厳格であるけれども、こうした要件はないというふうに指摘をしておるわけです。ですから、今回のこの法案の構成を考えるに当たって、必ずしも再び対象行為を行うおそれというものを要件とせずに組み立てることもできたのではないかという指摘だと思うんですが、この点については政府としてはどのようにお考えでしょうか。
○古田政府参考人 イギリスの制度につきましては、入院命令、あるいは責任無能力になった場合に裁判所が義務的に入院を命ずる、そういう仕組みになっているわけでございますけれども、確かに、そのところだけとらえますと、いわゆる再犯のおそれとか、そういうふうなものは要件にはされていないわけでございます。
 ただ、一つ御理解いただきたいのは、その場合に、裁判所の方で、再び犯行を繰り返すおそれがあるということを認めたときには退院制限命令をかけるようになっております。退院制限命令がかかりますと、この患者の退院は医師あるいは病院の判断ではできなくなる。したがいまして、そういう危険のある場合については、いわゆる再犯のおそれ、これを裁判所で判断してそういう措置をとるという仕組みになっているわけでございます。
 一律に入院させるという仕組み、これももちろん全く考えられないわけではないわけですけれども、やはり特に強度の人身の自由の制約あるいは干渉が伴い得る可能性があるということからいたしますと、制度の立て方としては、イギリスで申しますれば退院制限命令がかけられるような、そういう方についてのみこの制度の対象にすることが適当である、そういう判断でございます。
 なお、イギリスの手続の方がより厳格というようなお話もございましたけれども、これはちょっとどういう意味でおっしゃっているのかよくわからないんですが、少なくとも処遇決定の手続というところについて申し上げます限り、ただいま御提案申し上げております政府案も非常に厳格な仕組み、慎重な仕組みになっているということは御理解いただきたいと存じます。
○福島委員 入り口の問題か出口の問題か、どちらにしても、入り口のところでない場合には、イギリスであったとしても出口のところで、いわゆる退院のところで、再犯のおそれという要件をもって人身の自由の制約というものについて対処しているというのは、そういう意味では共通だという御認識を示されたのだというふうに思います。
 そしてまた、最後に高木さんはこういうことを言っております。「改革のポイントは、精神医療が引き受ける範囲を明確にして責任能力判断の厳正さを確保し、その上で限定的な責任能力者への矯正施設での医療を充実させること」であるというふうに言っております。今回のこの法案に盛り込まれている中身というのは、実はこの改革のポイントということと共通しているんだろうと私自身は思っておるわけでございますけれども、政府の御見解をお聞きしたいと思います。
○古田政府参考人 責任能力に関する判断の厳密性ということが非常に大きなポイントということであろうと思うわけですが、日本におきます責任能力の判定というのが、では、例えばほかのドイツとかそういうところに比べてルーズかというと、かなり厳格な方であろうと考えております。
 それでまた、検察庁におきますいわゆる簡易鑑定の問題というのがあるいは一つのポイントになるのかもしれませんが、これまた御理解をいただきたいのは、検察官は刑事事件としてどう処理をするかということを考えるわけでございます。そうなりますと、事件自体が比較的軽いもの、被害者が処罰を望んでいない、特に精神障害による犯罪は家庭内の犯罪もかなり多いわけでございまして、被害者である家族も刑事事件とはしてもらいたくないというふうな気持ちを持っておられることもしばしばあるわけでございます。また、精神障害のある人にとってみましても、仮に責任能力があるといたしましても、やはり治療を先にした方がいい、治療を優先した方がいい、その方が目的を達するというような場合もしばしばあるわけでございます。
 したがいまして、検察官といたしましては、刑事事件として処理をする場合に、そういうふうな事案の内容、犯罪の軽重、そういうことを総合的に判断して処理をしているわけでございまして、もちろん心神喪失と判断される場合は別ですけれども、それ以外の場合に責任能力の問題がそう大きなウエートを必ずしも占めているわけではない、そういう実情ということを御理解いただきたいと思います。
 ちょっと長くなって恐縮ではございますけれども、例えば、事案が比較的軽くて、そういう精神障害等がない人であれば、示談ができれば起訴猶予あるいは罰金、あるいはごく短期の自由刑で執行猶予がつく、こういうふうなケースというのも非常に多いわけでございまして、こういうようなものについて、逆に、普通であれば罰金になるあるいは起訴猶予になるというような場合に、精神障害があるけれども責任能力が認められるという理由でそれを必ず起訴しなければならないとか、そういうことにいたしますと、これはかえって精神障害のある方に非常な不利益を与えることになるわけで、やはりその事案に応じた、刑事責任の面から見た処理というのは、これはぜひ必要でございます。
 したがいまして、高木医師のおっしゃっていることも、結局、刑事事件全体として見たときに、やはり処罰すべきものは処罰すべきである、そういうような観点からの御指摘としては理解できますが、責任能力だけの問題ではないということを御理解いただければと存じます。
 さらにつけ加えますと、先ほど申し上げましたように、罰金になる、あるいは短期の自由刑で執行猶予になる、こういう場合に精神の障害がある場合には、これはまたいずれにせよ精神医療の方で対応していただかなければならない問題でございまして、罰金を取ったからそれで済むとか、あるいは短期の執行猶予つきの自由刑になったからそれで済むという問題でもないということでもあることを御理解いただきたいと思います。
○福島委員 以上で、時間が終わりましたので質問を終わります。ありがとうございました。

【後藤委員質疑】

第154回衆議院 法務委員会厚生労働委員会連合審査会会議録第1号(同)
○園田委員長 五島正規君。
○五島委員 まず、両大臣にお伺いしたいわけでございますが、かつて、保安処分と言われているもの、昭和四十九年の治療処分の案、あるいは昭和五十六年にも保安処分の骨子等々が検討されたことがございました。この場合、保安処分という言葉ですが、精神病者に対する社会的差別を助長し、その世論を背景に、医学的、科学的根拠をあいまいにしたまま、人々の不安をあおり、社会防衛の名のもとに患者を選別し、管理し、隔離するその体制を保安処分ということで呼ばれてきたというふうに私は理解しております。過去にもこのような形の保安処分、決して精神障害者に対してだけでなく、とりわけ感染症の患者に対してはこのような形でなされてまいりました。
 今私が述べたこの文章は、昭和二十五年、ハンセン氏病の患者に対する日本の取り扱いについてWHOが出した勧告の内容でございます。既に、ハンセン氏病はもとより、例えばこのような形でさまざまな感染症の患者を扱ってきたということも、保安処分が日本の公衆衛生活動の中に非常に色濃くあったということの証左であると思っています。
 まずは、この保安処分ということについて両大臣はどのようにお考えなのか、その定義を含めてお聞かせいただきたいと思います。
○森山国務大臣 心神喪失等の状態で重大な他害行為が行われる事案につきましては、被害者に深刻な被害が生ずるだけではなくて、精神障害を有する者がその病状のために加害者となるという点でも極めて不幸な事態でございます。このような者について必要な医療を確保し、不幸な事態を繰り返さないようにするということによりまして社会復帰を図ることが肝要であるということを考えるわけでございます。
 昭和四十九年の改正刑法草案及び昭和五十六年の刑事局案におきます保安処分制度におきましても、その者の危険性から社会を防衛するために行われるいわゆる予防拘禁とは異なるものでありましたが、刑法に規定するということにしていたことから、社会防衛をもその目的の一部としていたものでございました。
 しかし、この制度による処遇は、対象者に対して継続的に適切な医療を行うこと等によりまして、その病状の改善及びこれに伴う同様の行為の再発の防止を図り、その社会復帰を促進することを目的とするものでございまして、社会防衛をその直接の目的とするものではなく、社会防衛のために社会から隔離するという制度ではございません。
○坂口国務大臣 法務大臣と同趣旨でございますが、別の角度から申し上げさせていただきますと、本法律案におきましては、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者に対しまして、その適切な処遇を決定するための手続などを定めることにより、継続的かつ適切な医療とその確保のために必要な観察、指導を行うことになっております。その病状の改善及びこれに伴う同様の行為の再発の防止を図りまして、もってその社会復帰を促進する、このことを目的としているわけでございます。
 したがいまして、本制度は、刑法に規定することとしていたために社会防衛もその目的の一つとしていた昭和四十九年の改正刑法草案でありますとか昭和五十六年の刑事局案における保安処分制度とは目的において全く異なるものと考えております。
○五島委員 保安処分そのものの位置づけについて、刑法との関連でしかお考えでないようですが、実は、日本の公衆衛生活動、行政の中においては保安処分が中心であったと言っても過言でない時期がございました。
 例えば、新生間もない明治政府のもとにおいて、千葉県におけるコレラ騒動、軍隊が包囲して出入りを禁止し、焼き殺したという事例もございます。また、ハンセン氏病の問題につきましても、現実には日本においてほぼ解決してきつつある中において、昭和十三年、血の純潔運動というものが一生命保険会社から提唱されるや否や、政府もそれに悪乗りをしてあのような制度をつくってきた。あるいは、国民に対する医学的、科学的な根拠をあいまいにしたまま、疾病に対する不安をあおり立て、それによって社会防衛を進めていくという政策がとられてきたことも少なくございません。そうした体制全体が保安処分であると考えています。
 そこで、今回の法案が用意された背景は、池田小学校事件が直接の契機になったと考えています。池田小学校事件の被告人は精神病患者ではなく人格障害者とみなされており、心神喪失状態ではなかったことが明らかとなっています。また、この被告人は、かつて人格障害であるということによって犯罪に対して懲役刑の罰則を受けた経験がございます。この人格障害と言われている被告人が起こした事件、そのことを理由として今回の法案が作成されてくる土壌がつくられてきているということに対しては、非常に問題があると考えています。
 確かに、精神保健福祉法では、精神障害者を定義して、その中に、非常にあいまいで古い概念でございますが、精神病質者、精神病質というものが入っています。しかしながら、この精神病質ということをどうするかということについては、引き続き検討することとされておりますし、また、これに対して、今日の学問的な分類でいうならば、人格障害と言いかえるべきだ。しかし、人格障害という言葉に言いかえるならば、いわゆる触法ケースの処遇をどうするかということが宙に浮いてくる。矯正施設にも病院にも収容されないことがある。そうしたことについてどうするかの対応ができていないから、このように精神障害者の中に入れた。あるいは審議会の議論の中において、そうした人格障害の人たち、これを犯罪精神医学ということで言うのはいいけれども、こういうような人たちはとても医療の対象として対応できないじゃないかということがこの公衆衛生審議会の中でも議論されている。しかし、法律の中においては、精神障害者の中に精神病質が入っています。したがって、池田小学校事件の被告人が精神障害手帳の交付を受けていたということは精神病患者であったということを意味しません。
 そこで、厚生労働大臣にお伺いしたいわけですが、人格障害による心神喪失あるいは心神耗弱状態ということがあり得ると考えているのかどうか。また、とりわけこの被告人のような反社会的人格障害に対する医学的な治療方法というものが、日本においても世界においても確立しているのかどうか。あるいは、精神分裂病あるいは躁うつ病といった精神病と人格障害との鑑別、これが非常に困難なものだと考えておられるかどうか。その点についてお伺いしたいと思います。
○高原政府参考人 本制度におきます対象者の要件につきましては、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行ったことでございます。入院または通院の要件は、対象者について、裁判所において、継続的な医療を行わなければ心神喪失等の状態の原因となった精神障害のために再び対象行為を行うおそれがあると判断されることであります。
 したがいまして、人格障害のみを有する者につきましては、我が国では一般的に完全な責任能力を有すると解されております。心神喪失者等とは認められていないため、御指摘のとおり、本制度の対象とはならないものと考えております。
 反社会性人格障害の治療についてのお尋ねがございましたが、この治療は精神療法が中心となりますが、この障害を持つ者は治療意欲が乏しいことが多く、その治療は極めて困難な場合が多いというのは委員御指摘のとおりでございます。
 また、人格障害の中には、妄想性人格障害ないし分裂病人格障害など、精神病と鑑別が著しく困難な例もあるのもまた事実であります。
 しかし、精神保健福祉法の第五条において、「「精神障害者」とは、精神分裂病、精神作用物質による急性中毒又はその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有する者」と規定されており、委員御指摘のとおり、精神病質、すなわち人格障害も精神医療の対象としているものであります。
 このように、反社会性人格障害も含め犯罪を行っていない人格障害者の治療については、その困難さはあるものの、一般の精神医療の中で対処がなされているところであると承知しております。
 それとともに、心神喪失者または心神耗弱者ではない者については、今後とも事案に応じて適切に処罰するなどの方法により、その改善更生、社会復帰が図られるものと考えております。
○五島委員 今部長が言われたように、確かに分裂病型、妄想型、そうした人格障害については、しばしば合併していることもございますし、一定の治療効果もあると考えられますし、また、鑑別について一定の困難さを伴うことについてはそのとおりだと思います。
 ただ、こうした今回の事件のような、いわゆる反社会性人格障害あるいは非社会性人格障害と言われている方々、この人々と精神病との鑑別は、あえておっしゃらなかったけれども、簡単であるはずです。そして、今部長が言われたように、人格障害の人の起こした犯罪、これは医療措置ではないんだ、そのとおりだと思います。
 にもかかわらず、この法案を出してきた根拠の中には、そうした科学的な知見や治療方法、そういうものを無視して、あのような残虐な事件が起こった、この犯罪は精神病患者が起こしたに違いない、そういう誤ったデマゴギーが一斉にはんらんし、その結果こうした法案ができたんじゃないですか。
 そこのところを、なぜこういうばかげたことが起こってきているのか、それについて、法務省厚生労働省がどのようにこの世論の誤りを正そうと努力されたのか、後ほどお答えいただきたいと思います。
 そして、あわせて、こうした全く誤った判断がマスコミを通じて社会全体に流れ、精神障害者から起こるところのそうした凶悪犯罪があり得るんだ、そういう恐怖心からの社会防衛論をあおりかねないようなこのような法律をなぜ今日出されるのか。このような議論をされるんなら、もう一度検討を続けると言っておられた精神保健福祉法の中で、古い概念の精神病質というこの概念、これを早急に結論を得られる努力をされるべきではないですか。それはどうお考えですか、お伺いします。
○古田政府参考人 いわゆる池田小事件との関係についてのお尋ねでございますが、法務省といたしましては、その当時から、池田小学校の事件を精神障害による犯罪の問題と結びつけて議論することは慎重でなければならない、当初からそういうことを常々述べていたわけでございまして、これは、もちろん政府部内もそうですし、対マスコミとの関係でも同様でございます。したがいまして、私どもとしては、短絡的にそういうものと結びつけたとか、そういうものではございません。
 ただ、それはそれといたしまして、それをきっかけといたしましていろいろな議論が非常に活発になったということも事実でございます。それで、その前から、厚生労働省との間で精神障害による犯罪の問題をめぐって合同検討会を持つなどいろいろな作業をしてきたわけでございまして、そういうような作業の継続としてこの法案というのをまとめたわけでございます。
    〔園田委員長退席、森委員長着席〕
○五島委員 法務省は池田小学校事件について精神障害者による問題と結びつけることに対して慎重であったとおっしゃいました。
 しかし、現実にこの法案を一気につくろうよという話が盛り上がったのは、まさに我が国の総理である小泉さんが、この区別のつかないままにおっしゃったことが発端じゃなかったですか。そういう意味においては、今の説明は、法務省内部においてそうであったけれどもと言いながら、総理自身が全くその辺の区別もつかず、無知であって、そのことによっての放言がこういう法律に結びついたという事実を変えるものではないというふうに考えています。
 また同時に、この池田小学校事件の被告人が、過去において人格障害として懲役刑を受けておりながら、本人が、精神障害者であれば罰則を受けないよというふうに再三にわたって発言をし、そのようなおどし方をしてきたということも報じられております。そのことの中には、過去におけるいわゆる刑罰に処せられない段階におけるそうした犯罪行為、精神障害を持っているということでもって処理されてきた、処罰されずに済ませてきたという事実があったのではなかろうかというふうに思います。
 その辺はどのような経過で本人がこのようなことを方々で発言するに至るような経過が生まれてきたのか、お伺いしたいと思います。
○古田政府参考人 この池田小事件の被告人につきましては、これまで刑事裁判を受けたケースで心神喪失あるいは耗弱というふうに認定されたものはございません。
 ただ、検察官の捜査の結果、冒頭陳述ということでいろいろな経緯について明らかにしてございますが、それによりますと、この被告人につきましては、かつて強姦事件で懲役三年の実刑判決を受けたことがございましたが、その際に、逮捕を免れるために精神病院に入ったというふうなことがあるようでございます。しかし、実際問題としては特に責任能力に問題があるということではなくて、実刑判決を受けているわけでございます。
 そういうふうになるに至った過程は、必ずしも詳細にはわからないところがあるわけですが、かなり若いうちから病院等に行っているということもございまして、精神病、精神障害ということを言えばそのようなことがあり得るかもしれないというのは、ただいま申し上げました強姦事件で精神病院に入った、思わぬ逮捕を免れる目的で精神病院に入ったというころからもう既にあらわれているようにうかがえます。
 その後、幾つか比較的軽微な事件で起訴されたものもございますし、不起訴になっているものもございますけれども、不起訴になっている事件につきましても、当方で承知しております限り、責任能力はないという理由で不起訴にされたものはない、むしろその犯罪が軽いとかそういうことが大きな理由になっているものでございます。
 したがいまして、一般的に申し上げて、検察庁のその処理と申しますのが、事件の内容との関連で見たときに、精神障害ということを中心にしているとは必ずしも言えないわけでございまして、本人がそういうふうなことを考えるに至ったとすれば、それはただいま申し上げましたような相当前からのそういう本人の思い込みというのが非常に強かったのではないかというふうに考えられるわけでございます。
○五島委員 次に、病によって心神喪失状態あるいは耗弱状態にある人、その患者さんに対しては治療によって対処していく、そして、万一そういう方がいわゆる犯罪的行為に相当する事件があったとしても、それは治療によって対応していくというのは当たり前であり、一方、心神喪失ないしは耗弱状態にない者についてはそれを刑罰で対応するというのは当然だろうと思うわけです。
 そこで、問題になってくるわけでございますが、先ほどからも繰り返しておりますように、また、これは日本だけではなく、世界的にもいわゆる人格障害によるさまざまな行為というものはふえてきています。そして、我が国では、精神保健法の中において、精神病質という非常に古い言葉でありますが、人格障害精神障害者の中に取り込んでいます。
 しかし、これは福祉法ですから、それを取り込んでいるということについては別個な考え方があってもいいかと思いますが、人格障害を持っている方々に対して本当にこの精神保健福祉法の中に置いておいていいのかどうか。法案ができたときから検討するとおっしゃってきた。その検討の状態はどうなっているか。
 これは治療の対象でないというふうに、先ほども、いわゆる妄想型、分裂症型以外はと部長もおっしゃった。しかし、そこのところを人格障害という言葉と明確に分けて対応していかないと、今回のように病で苦しんでいる人に対する世間の、社会的防衛、根拠のない差別感をあおるということが起こってくるんじゃないか。それについて厚生労働大臣はどのようにお考えか、お伺いしたいと思います。
○高原政府参考人 精神病質というような表現と人格障害という表現とは違いますが、人格障害とは、思考、感情、人と接する態度などが平均な人々より極端に乖離して固定しておりまして、このため、みずからが悩んだり周囲の人々が悩まされたりするものであって、国際疾病分類、いわゆるICD10でございますが、第五章、精神及び行動の障害として含まれておるわけでございます。
 また、人格障害精神障害者の定義に含まれているということによりまして、人格障害者がすべて精神医療ないし福祉の対象になるという誤解を受け、精神医療が混乱するという御意見もございます。しかし、精神保健福祉法第五条の精神障害者の定義は、精神保健福祉法で申します精神障害者の外延、一番広くとった場合の外堀でございますが、それを示すものでありまして、個々の制度や条文の対象となる精神障害者の範囲はその全部または一部であります。
 このため、人格障害を有する者が各制度や条文の対象となり得るか否かはその者の病状や障害の程度により個別に具体的に判断されるべきものであり、人格障害者がすべて精神医療の対象になるという誤解のため精神医療が混乱するためこれを外すということは必ずしも適当ではないのではないかと現在のところ考えております。
○五島委員 状態分類の中において、それを病態分類と言ってもいいのですが、国際分類の中に入っているということと、治療の対象になり得るかどうか、これはまさに刑法との関係においては非常に難しい、非常に大事なところです。反社会的あるいは非社会的人格障害者が起こした行為、これは明らかに、法務省もおっしゃっているように、これは心神喪失状態や耗弱状態じゃないわけですから、刑法で処理するのは当たり前です。
 しかし、現実において、この二つの区分が非常にあいまいに社会的に使われてしまった。往々にしてこの両者の間における犯罪行為も一まとめにまとめられて、精神障害者の累犯率がどうだという議論すらされている現状がございます。
 そうしたことを考えた場合に、ここのところをやはりきちっと分けていかざるを得ない。少なくとも人格障害を治療的施設において対応するということにはならないだろう。では、この人たちは刑法の世界で処理しますと。当たり前でしょう。
 刑法の世界で処理するときに、いわゆる再犯の予測をした上で刑罰を決めていくんですか。なぜ、最も重要なそういう部分をあいまいにしたまま、精神障害者が犯罪行為を、いわゆる自傷他害の行為をするかもしれないという予測がここの中へ入ってこなければいけないのか、それについてはどうお考えでしょうか。
○古田政府参考人 御理解いただきたいのは、刑罰は、ある違法行為をしたその責任に対する非難ということでございまして、再犯のおそれとかそういうものを根拠にして科すというものではございません。要するに非難として科すということでございます。そういう意味で、刑罰は、ただいま御指摘のような、再犯のおそれを中心にして構成されているものではない。
 人格障害とかそういう問題、それは刑の執行の過程でのさまざまな働きかけとか、そういうことは当然考える必要はございますけれども、そのことによって刑罰を科すとか、そういうことではないということを御理解いただきたいと存じます。
○五島委員 まさに局長言われたとおりでしょう。そうであるならば、病によって、幻聴幻覚等によって、不幸にして傷害事件あるいは自傷事件を起こした患者さん、この方に対しては一〇〇%医療の充実によってそれをいやしていく、そういう状態を変えていく。そこには裁判所や何かが介入する必要はないとすら私は思っています。
 まず、そうした前提のもとで現行の状態を見てみますと、法務省の方は盛んに、人格障害精神障害との分離がきちっとできているんだというふうなお話でございます。しかし、現実の簡易鑑定を含む例えば起訴前鑑定、この精神鑑定は本当に一貫しているのか。全国的にきちっと統一した基準でされているのか。
 これは衆議院の調査局の調査室の資料で見ましても、今年の二月の毎日新聞の記事が載っております。大阪や神戸では鑑定医一人で百名以上の鑑定をやっている。できるはずのないことをやらせているじゃないですか。そんなことをやっていて、本当に統一的な基準のもとで、今言われたようなそういう鑑定ができているんですか。したがって、起訴、不起訴率についても各地検において随分ばらつきがある。ここでも書かれている。
 局長言われたように、この二つの人たち、不幸にして病を持って、その結果自傷他害事件を起こしてしまった患者さん、また、いわゆる人格障害として起こしてしまった犯罪者、この二つを精神障害ということで鑑別していこうとするならば、このところにきちっとした、全国統一したクライテリアをつくり、その上で必要な鑑定人を一定の水準のもとで確保していく。民主党案にはその点はきちっと書かせていただいているわけでございますが、それは当たり前ではないか、今一番必要なことはそういうことではないのか、そのように思うわけですが、法務大臣、いかがですか。
○古田政府参考人 事実関係的なことを申し上げますと、簡易鑑定、いろいろな御批判も確かにあるわけではございますけれども、全国的に見た場合、その起訴率は、それぞれの地検によってそう極端にばらついているというような実情はないと考えております。おおむね〇・二%台を中心に分布している。
 もちろん、中には一部、起訴率といいますか不起訴率といいますか、それがそれよりやや高い部分もございますが、これはさまざまな地域の、あるいは何らかの特殊原因が作用している可能性はあるのではないか。これについて、ただ断定的なことは申し上げられません。
 いずれにいたしましても、簡易鑑定と申しますのは、ある意味では機能が実は三つございます。一つは、責任能力についてのある程度の目安をつけていただく。事案によっては、それはかなり明白な場合も多いわけでございます。それから、いわゆる鑑定留置をつけた、ある程度の長期の鑑定が必要かどうかという判断をしていただく。それからもう一つは、仮に事件の内容からして不起訴にするような場合に、二十五条通報等の医療的措置、そことのつなぎをとるべきかどうかというふうな御意見を伺う。大きく分けると、そういう三つの機能があるわけでございます。
 その中で、実際の検察庁におきましては、その地方での信頼の置ける精神科のお医者さんにそういう仕事をお願いしているということでございまして、その御意見を十分参考にしながら、なお検察官として刑事事件の処分のあり方としてどうあるべきかということを十分考えて処理をしているというのが実情でございます。
 人格障害みたいなケースにつきましては、これは先ほど厚生御当局の方からも御答弁がありましたけれども、そのことのみによって心神喪失あるいは耗弱と認定されている例というのは、これは現実問題としても一般にない。したがいまして、そういう意味で、仮に人格障害という判断が出た場合に、責任能力についての判断がばらついているというふうなことはないものと考えております。
○五島委員 全国でそれほど差がないとおっしゃいますけれども、これを見ますと、例えば大阪では一年間に、二〇〇〇年の状態ですが、簡易鑑定を受けた人を、二人の医者で二百五十七名やっている。神戸では一人の鑑定医が百六名の簡易鑑定を行っているという数字がありますし、一方、それが精神鑑定に回っていく比率を見てみますと、例えば東北地方、秋田とか山形あるいは福島とかというところでは、簡易鑑定を受けた人のほとんどが精神病として鑑定されているということで、非常にばらつきがあるのはこの数字を見ても事実ですよ。違うと言うんなら、これ、調査室の方に抗議しておいてください。
 これだけのばらつき、一人の医者が一名足らずの簡易鑑定をしている地検から百名を超えている地検までが一緒にあって、それで共通した結論が得られるはずがない。
 まして、私は、今回の池田小事件の被告人の状態を自分なりに考えますと、反社会的人格障害の患者さんというのは知的障害があるわけではありません。何回もでなくても、一回か二回こんなものを受けたことがある人であれば、簡易鑑定でどういうふうな答え方をすれば起訴が免除されるよねということは、私は簡単になれてしまうだろうと思います。
 そんないいかげんなことで、本当に最も大事な病者が病気ゆえにそういう事件を起こしたということとそうでない人との間で区別がつけられるのか。これがつけられないということであれば、大変な問題です。医学的にはつけられる、しかし、法務省の、あるいは裁判の執行過程の中においてつけられないということであれば、そちらの方を変えてもらわなければしようがない。そこのところについては、もう一度答弁をお願いしたいと思います。
○古田政府参考人 ただいまのお尋ねにお答えする前に、先ほど、全国の処理でそう一般的には大きなばらつきはないと申し上げましたのは、要するに、検察庁で受理した刑法犯、交通事故を除いたものでございますが、その中で精神障害者と診断されてかつ不起訴になった人、この割合がそう一般的には大きなばらつきはないということを申し上げたものでございます。
 それから、ただいまのお尋ね、趣旨を必ずしも正確にあるいは理解していないかもしれませんけれども、いずれにいたしましても、先ほど申し上げましたように、捜査、公判段階におきまして人格障害というものがあるという認定が精神医療的な判断であった、そういうふうな者につきまして、それを前提に責任能力が否定される、あるいは減弱されるということは一般的にあり得ないことでございます。
 したがいまして、裁判あるいは捜査の段階でそういう点については十分区別はされている。それは、ただいま委員御指摘の、一人の医師の方にお願いしているか、あるいは多数の医師の方に順番にお願いしているかということとは必ずしもかかわりがないものでございます。
 そういうことで、もちろん、簡易鑑定をお願いするに当たりまして信頼の置ける医師の方をそれなりに必要な数お願いするようにするというのは当然でございますけれども、それぞれの地域の状況等によりましてそこにある程度のばらつきというのが出てくるというのもまた事実でございます。
 そういうことからいたしまして、全国的な統一というふうなお話もございましたけれども、これはやはり精神科のお医者さんの専門的判断、専門的知見ということが大変重要なことでございますので、私どもの方からそういうことは、言ってみれば、そうできることでもないということも御理解いただきたいと存じますし、また、その場で判断がつかないときには、その場では判断がつかないというふうなことを率直に言っていただいているというふうに考えております。
○五島委員 非常に現状でうまくいっているんだと言いたいんでしょうが、では、現状でうまくいっているんなら、なぜ神戸事件のようなことが起こった場合あのような対応になったのか。
 先ほどのお話の蒸し返しになりますが、現実にあの池田小学校事件の報道があった後、六月の二十八日ですか、法務委員会で水島委員の質問に高原部長が答えておられますが、事実、地域の中において、精神障害者の方々の作業所やそういうふうなものの周辺地域との関係が非常に険悪な状態になった。
 本来なら起こるはずのないことが起こっているわけです。起こっていることは、結局、これまで法務省はちゃんとやってきました、そして厚生労働省の方もそこのところは制してきました、制してきましたと言いながら、反社会的人格障害の人たちの行動がそのまま精神障害者が起こした行動であるかのように伝えられ、そしてそれに政府が悪乗りをして保安処分的な法案をちらつかす、その繰り返しの中で、そういうすり込みを国民の中にやっているんやないですか。
 その辺のところを考えた場合に、今の局長のお話、一人で百名もの、いかに簡易鑑定といえどもできるはずのないことを押しつけている。どうも、できるはずのないことを押しつけるのがお好きなようでございます。
 例えば、医者に対して病状の変化や症状の改善について判断を求めることは当然です。また、その患者の疾病の再発防止に必要な方法についてその意見を求める、それは当然だし、医師はそれに答える義務がある。また、治療中断による症状の再発について一定の予測を述べる、これも当然医者の義務だと思います。
 しかし、万一症状が再発した場合に自傷他害の行為をその患者さんが下すかどうか、そんなことの予測はできるはずがない。だれだって、前回そういうことがあったんだから状況によっては起こすかもわかりませんねという答えしかできないでしょう。それは、医学的根拠じゃなくて経験則です。これを医師の判断として求めることには無理があるんじゃないですか。
 病によって他害行為を起こした患者さんがある、幻聴幻覚によってそういうふうな行為を起こすということがあり得るのは事実です。事実、起こっています。その患者さんを、治療によってその症状が改善された場合、それが再発されないためにはどういうふうな措置が必要なんですか、これが医師に求められている判断じゃないですか。その患者はまた起こすでしょうか、放置しておいた場合再発する可能性があれば、医者としては、再発すれば今回起こしたんだから起こす可能性があるとしか答えようがない。しかし、再発させない方法はあるのかどうか、それは意見として求められない。こんなばかな医師に対する意見の求め方がこの法律ではあるわけですね。厚生大臣、こんなあほなこと、本当に医師の判断と言えると思いますか。
○坂口国務大臣 措置入院のときにも、これは自傷他害、いわゆる他害だけではございませんけれども、そのおそれがあるかどうかの判断というのは現在も求められているわけでございます。
 現在の精神医学によりますと、精神科医がその者の精神障害の類型でありますとかあるいは過去の病歴、現在及び対象行為を行った当時の病状、治療状況、病状及び治療状況から予測される将来の症状、対象行為の内容、過去の他害行為の有無及びその内容等を勘案しまして慎重に鑑定を行うことにより、再び対象行為を行うおそれの有無を予測することは可能であるというふうに思っている次第でございます。
○五島委員 どうも話がかみ合いません。
 今回問題になっているのは、他害行為を起こした患者さんが対象になります。その患者さんが一定の治療が済んだ段階で、引き続き医学的コントロールのもとに置かれていてもそれを起こすというふうにおっしゃっているのか、医学的コントロールから離れてしまった場合にそういうことを起こす可能性を求めておられるのか。全然違うわけですね。ところが、現在の日本の精神医療の体制は、全くその体制ができていないんです。
 もし、病に侵された患者さんに対して、措置を含む病院の入院医療が、本当に他の疾病と少なくとも肩が並べられる並みの治療体制がとれる体制をつくっていく、そして、退院された後も、医学、あるいは臨床心理士等々による患者に対する生活指導並びに投薬を含む医療指導が継続していける体制ができ上がっていった場合、その判断は変わってまいります。万一、日本でそうした精神医療についてまともな医療体制が整備され、入院医療についても、当然措置入院についても、あるいはそういう通院といいますか、入院後の患者さんのフォローアップ体制についても制度が整備された場合、この法案がまだそれでも必要だとお考えなのかどうか、両大臣にお伺いしたいと思います。
○森山国務大臣 御指摘のように、精神保健・医療・福祉対策一般の充実を図るということは大変重要でございまして、当然のことでございますが、この法律案に基づく制度をより効果的に運用する上でも、そのような対策の充実はさらに必要であると考えております。しかし、この点につきましては、この法律案と別に、厚生労働省におきまして総合計画の策定を進めていられるというふうに承知しております。
 しかし、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者につきましては、都道府県知事の判断にゆだねることなく、特に国の責任におきまして手厚い専門的な医療を統一的に行う必要があると考えておりまして、措置入院制度とは異なり、裁判官と医師が共同して入院治療の要否や退院の可否等を判断する仕組みや、退院後の継続的な医療を確保するための仕組み等を整備することが必要であると考えられますことから、このような者に対する新たな処遇制度の整備が必要不可欠なものと考えまして、このたびこの法律案を提出させていただいたものでございます。
○坂口国務大臣 措置入院の改善でありますとか、あるいは退院後の継続した治療の確保を図りますことは、これは重要な視点でございます。今後、精神障害者全般の保健・医療・福祉対策の充実を進めていく中で検討すべきものと考えております。
 しかし、本制度では、これは広く精神障害者一般をその対象とするものではなくて、心神喪失等の状況で重大な他害行為を行った者のみを対象としている、人身の自由の制約や干渉を伴うこと等から、医師と裁判官により構成される裁判所の合議体が決定する仕組みを整備した上で、国が責任を持って専門的な医療を統一的に行いますとともに、退院後の医療の中断が起こらないように、継続的な医療を確保するための保護観察所によりますところの観察、指導の制度を整備することといたしております。
 先ほど先生が御指摘になりましたように、十分な治療が行われていてもなおかつ必要かというお話ございましたけれども、これはケース・バイ・ケース、違うと思うわけでございますが、心神喪失者が重大な犯罪を起こしましたときに、その方が治療を継続していたことも想定されるわけでございます。治療を継続されていた上、なおかつそういうことが起こることがもしあるとするならば、それはやはり、さらに治療を行う中で、どうするかということが判断されるものと思っております。
○五島委員 時間が参りましたが、それは、適切な治療をやるということは医療界に課せられた最大の任務であるということであって、大臣のおっしゃっていることは矛盾しないと思います。
 また、今回の問題が、人格障害者が非常にふえてきている、その人によって起こされた池田小事件を契機としてこのような問題が出てきておりながら、非常に増加している人格障害と言われている人たちに対して、その要望なり対処策を全く考えないまま、ピント外れの法律を議論しているということを申し上げて、終わります。