監獄法

全面改正の議論も最近されている監獄法です。まず、この法の第10条をみてみます。

監獄法(明治41年法律第28号)
第10条 本法ハ陸海軍ニ属スル監獄ニ之ヲ適用セス

「陸海軍ニ属スル監獄」。現在有効な法令だとは思えないような文言です。日本国憲法の制定とともに、軍事機構の存在を前提とした諸規定が廃止されていったなかで、監獄法10条は生き残った数少ない規定の一つです。もちろん現在は、かつての小倉の陸軍刑務所のような軍監獄は存在しません。
ところで、軍監獄に対して適用されていた陸軍監獄令(明治41年勅令第234号)・海軍監獄令(明治41年勅令第235号)が廃止された時点(昭和22年政令第52号)で、なぜ監獄法第10条が削除されなかったのでしょうか。このときには陸軍刑法などの法律も廃止されているので、監獄法の改正は可能であったはずです。おそらく、直接に軍事を扱う法令(軍事行政法・軍事刑事法)以外のものは、その法令自体の改正で対処するという方針だったのだと思います。ですから、

陪審法(大正12年法律第50号)
第4条 左ニ掲クル罪ニ該ル事件ハ前二条ノ規定ニ拘ラス之ヲ陪審ノ評議ニ付セス
 第4号 軍機保護法、陸軍刑法又ハ海軍刑法ノ罪其ノ他軍機ニ関シ犯シタル罪

刑法(明治13年太政官布告第36号)【旧刑法刑法施行法第37条により旧法31条は効力を有する】
第31条 剥奪公権ハ左ノ権ヲ剥奪ス
 第5号 兵籍ニ入ルノ権

なども残っているのでしょう。
監獄法は制定以来、細かな語句の変更などを除いた大規模な改正は一度もされていません(監獄法は制定以来8回改正されていますが、それらのすべてが、民法や犯罪者予防更生法などの他法の改正に伴う法改正です)。そんなわけで、軍監獄の規定を削除する機会もなく、この規定は残った、というところでしょう。
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さて、この規定は旧法令にも存在していました。

監獄則(明治22年勅令第93号)
第52条 此規則ハ陸海軍ニ属スル監獄ニ適用セサルモノナリ

監獄則(明治14年太政官達第81号)
第4条 此獄則ハ特ニ陸海軍ノ獄則ヲ以テ処スヘキモノニ適用スルコトヲ得ス

では、「陸海軍ニ属スル監獄」「陸海軍ノ獄則」にはどのような規定が適用されたのでしょうか。
現行監獄法によって念頭におかれていたのは先述の陸軍監獄令・海軍監獄令だったのですが、それ以前の法令としては陸軍監獄条例(明治27年勅令第3号)、海軍監獄則(明治23年勅令第115号)がありました。あるいはそれ以前の陸軍監獄則(明治16年陸軍省達乙第109号)、海軍監獄則(明治17年海軍省達丙第80号)が存在します。ですがさらに前については、いかなる規定があったのかはあまりはっきりしません。これにつき、以下のような説明があります*1

明治五年三月に陸海軍二省が設置され、陸軍・海軍各裁判所に軍法会議が設けられ、その手続法である陸海軍治罪法が制定されてより制度化が促されているが、明治二十年代までは軍監獄署という規模を成さず、各兵站での営倉的規模にとどまっていた。

軍監獄令は法律ではないためか*2、これを説明した文献は少ないです。ただ、明治初期の行刑施設は、条約改正をにらんで近代的監獄を志向した監獄則を制定する一方で、かつての人足寄場のままの施設を使用したり、所轄官庁が府県や警視庁などさまざまであったりと、なかなかうまく進まなかったようです。
これについては、また後日。
 
なお、次回からしばらくは、国会審議の資料をアップしてゆきます。

*1:重松一義「図説 日本の監獄史」(雄山閣、昭和60年)201ページ

*2:逆に、行刑施設の規則を法律の形式にすることは、当時は国際的に珍しかったようです。