旧刑法77条1項の「罪ヲ犯ス意」

前回(id:kokekokko:20050726)のつづき。
玄説の展開は以下のとおりです*1。まず、当時のフランスにおいて、犯罪の主観的要件として必要とされていた「人を害するの意」に対して、ボアソナードは「すべての犯罪に対して必要であるわけではない」と考え、通常の犯罪については「罪を犯す意」で足りるとした、とします。ここで、「刑法提要」における「悪害の生ぜさせる意趣」*2を「人を害するの意」と把握しています。そして、日本刑法草案会議筆録における第89条(玄論文では明確にされていないが、第一案89条を指しているのであろう)での「無意ニ出タル所為ハ其罪ヲ論セス」につき、「害意」と「罪を犯す意」の両方を含む、としています*3。さらに、旧刑法第77条での「罪ヲ犯ス意」は、日本側立法者が「害意」を「罪を犯す意」に含ませたものであろう、としています*4。というのが、玄説の概要です。
となると、ボアソナードが考えていた「罪を犯す意」と、立法者が考えていた「罪を犯す意」とではその内容が異なることになり、結局、旧刑法77条1項における「罪ヲ犯ス意」に何が含まれていたのは、依然不明のままであることになります。
  
ここで検討すると、鶴田文書では、「罪ヲ犯スニ無意ナルト害ヲ為スニ無意ナルトノ区別ヲ為シ難シ」とボアソナードが発言したのに対して、日本側委員が「【「無意ニシテ」の語には】罪ヲ犯スノ無意ト害ヲ加ユルノ無意トノ二ツヲ含ミ」としているので、この時点ではボアソナードは、犯意と害意との相違を意識していたようです。しかしながら、旧刑法77条に至って文言が変えられた際に、「害意」を削除したのか、それとも「害意」を「罪を犯す意」に含ませたのかについては、明確ではありません。となると、77条についてはもっぱら解釈に委ねられることになるわけです。
 
さて、旧刑法77条2項についてはどうでしょうか。

第77条2項 罪ト為ル可キ事実ヲ知ラスシテ犯シタル者ハ其罪ヲ論セス

これについては前回書いたとおり、斎野説と高山説とで見解が異なるところです。斎野説はこれを、ボアソナード草案89条2項

被告人犯罪構造ノ情状ヲ知ラサルトキモ亦前ニ同シ

と連続性を有する規定であり、事実の錯誤に関する規定(1項と異なる)であるとしました。一方、高山説では、草案註釈89条2項の「罪ノ成リ立ツ条件ノ存スルコト」(つまり犯罪を構成する事情)から旧刑法77条2項の「罪ト為ル可キ事実」へと変更されるにつれてそのニュアンスは失われた、としています。
ただ、鶴田文書におけるボアソナードの発言では、旧刑法77条第2項と同一文言である草案89条2項について、自己の傘と間違えて他人の傘を持ち去った場合を挙げていますが、これは現在でいう事実の錯誤の例にほかなりません。一方、草案89条1項では、遊猟の許可を受けた者が鳥獣を撃とうとして人を射殺してしまった場合に、「遊猟スヘキ場所内ニテ当然ノコトヲ為シタルモノナリ」として故意殺も過失殺も成立しない、としています。となると、これは事実の錯誤とするには異質なものであるといえます。私は、旧刑法77条2項が(1項と異なり)事実の錯誤についての規定である、という点では斎野説に同意です。

*1:玄守道「故意に関する一考察(一)」(立命館法学2005年1号)196ページ以下

*2:刑法提要原文「悪害ヲ故ラニ生セシメントスルノ意趣」

*3:玄・前掲注1・202ページ

*4:玄・前掲注1・204ページ