ボアソナードにおける「故意」

前回(id:kokekokko:20050725)のつづき。ここでは、ボアソナードが念頭においた故意概念について検討してみます。
まず、旧刑法明治13年太政官布告第36号)の規定は以下です。

第77条1項 罪ヲ犯ス意ナキノ所為ハ其罪ヲ論セス但法律規則ニ於テ別ニ罪ヲ定メタル者ハ此限ニ在ラス
2項 罪ト為ル可キ事実ヲ知ラスシテ犯シタル者ハ其罪ヲ論セス
3項 罪本重カル可クシテ犯ス時知ラサル者ハ其重キニ従テ論スルコトヲ得ス
4項 法律規則ヲ知ラサルヲ以テ犯スノ意ナシト為スコトヲ得ス

(1)斎野説
斎野は、ボアソナード草案*1において「罪を犯すの意思」と「害するの意思」とが区別されている点に着目しました。

89条1項 被告人罪ヲ犯スノ意思ナクシテ罪ヲ犯シタルトキ又ハ罪ヲ犯スモ害スルノ意思ヲ有セサリシトキハ犯罪ナキモノトス
2項 被告人犯罪構造ノ情状ヲ知ラサルトキモ亦前ニ同シ
3項 若シ唯被告人犯罪ノ加重スヘキトキ又ハ数多ノ情状ノミヲ知ラサルトキハ之ニ該当スヘキ刑ノ加重ヲ受ケス
4項 法律又ハ制規ヲ知ラサル事ハ意思無キコトヲ証明スル為メニ申告スルヲ得ス

そのうえで、1項の「罪を犯す意思」は現在の「構成要件事実の認識としての故意」よりも広く、窃盗罪における利得意思のようなものも含まれるとしました。そして、2項・3項における「情状」は「犯罪構成事実」であるとして、2項を事実の錯誤に関する規定、3項を現行刑法38条2項に相当する規定であると理解しました。
そうなると、1項は、事実の錯誤ではない錯誤、つまり評価の錯誤についての規定であることになります。さらに4項が法規の認識に関する規定であることをあわせると、1項は、前法的評価に関する錯誤についての規定である、となります。

かかるボアソナードの見解は犯罪の本質を反社会性と反道徳性の二重的構造の中に求めようとしたフランス折衷主義の精華といえるものであった
【斎野彦弥『故意概念の再構成』(有斐閣、1995年)100ページ】

いっぽう、「害するの意思」(害意)についてはボアソナード自身もさほど重要性を認めていなかったので、旧刑法では削除されることになりました。

(2)高山説
高山は、ボアソナードの草案註釈*2において、1項における認識と2項における認識が異なる点を指摘しています。

89条1項 諸規則及ヒ法律ノ諸式ヲ怠リシノミコトヲ法律ニ於テ罰スル場合ヲ除キ被告人カ罪ヲ犯スノ意旨ナクシテ罪ヲ犯シタルトキヤ又罪ヲ犯シテ害スルノ意ヲ有セサリシトキハ罪ナキモノトス
2項 若シ被告人カ罪ノ成リ立ツ条件ノ存スルコトヲ知ラサリシトキモ前ニ同シ
3項 若シモ被告人カ罪ノ加等ス可キ条件ノ一或ハ二三ヲノミ知ラザリシトキハ彼カ其刑ノ増加ヲ受ケス
4項 法律及ヒ諸規則ヲ知ラサルコトハ罪ヲ犯ス意旨ノナキコトヲ証拠タツル為メニハ用達タサルナリ

1項の「罪ヲ犯スノ意旨」が行為意思や目的等をも含むものであるのに対して、2項の「罪ノ成リ立ツ条件ノ存スルコト」は犯罪を構成する事情であるとしました。そしてボアソナードが、当時のドイツ刑法が「構成要件に属する事情の認識」についてのみ規定している点を、不十分であるとしている、と紹介しています。
ここまでは斎野説と同様なのですが、高山説はさらに、その後の草案では「罪ト為ル可キ事実」との文言となってしまったので、前述の草案註釈でのニュアンスは失われたと考えます。その結果、旧刑法77条では一般故意概念は定立されていない、とします。

本書の解釈を前提とするならば、ボアソナードにとっては、後の学説と異なり、旧刑法七七条一項の「罪ヲ犯ス意」が故意の一般的概念規定ではない以上、これに法律の認識が含まれるか否かは決定的ではない。二項にあたる場合を一項と同じく無罪とし、四項の場合を一項と区別して扱うとしたにすぎない。
高山佳奈子『故意と違法性の意識』(有斐閣、1999年)11ページ注13】

(3)玄説
玄は、ボアソナードの講述*3を検討し、やはりボアソナードが故意を「害悪の意図」と「罪を犯す意」の両方の側面で把握していた点を指摘しています。
ですが、先の斎野・高山の両説は、草案の時点でのボアソナードの「罪を犯す意」は事実の認識よりも広いものであるとするのですが、一方の玄説では、「罪を犯す意」を現在でいう「事実的故意」(のようなもの)であると把握しています。
結論として玄説は、旧刑法77条1項の「罪ヲ犯ス意」の内容は決定されていない、としています。この展開はポイントとなるところです。
(つづく)

*1:司法省編『翻訳校正刑法草案註解 上巻』(1886年)348ページ

*2:ボアソナード氏起草『日本刑法草案直訳』(出版年不明)69ページ

*3:ボアソナード(井上操筆記)『〔法国〕刑法提要(復刻版)』(信山社、平成3年)156ページ