精神医療に関する条文・審議(その108)

前回(id:kokekokko:20051122)のつづき。初回は2004/10/28。
ひきつづき、平成11年の成年後見制度制定・精神保健福祉法改正についてみてみます。

第145回衆議院 法務委員会会議録第20号(平成11年6月15日)
【前回のつづき】
○杉浦委員長 次に、漆原良夫君。
○漆原委員 公明党改革クラブの漆原でございます。発言の順序を逆にして、金参考人の方からお尋ねをさせていただきたいと思います。
 今の日野委員の方からお話があった件でございますが、そのまま続けていただきたいのですが、補助制度を設けることによって、逆に相手が不安を感じて、補助をつけていらっしゃいと、契約を結べなくなる可能性もあるのだとおっしゃっていましたね。この制度を設ける以上は必ずそういう問題は出てくると思うのですが、それが人権侵害の可能性がある、何か具体的にそれを解決するお考え、方法をお持ちでしょうか。いかがでしょう。
○金参考人 人権侵害につながるおそれを解消していくための方策としては、例えば一般不特定多数に向けた人権教育の取り組みということもあるかと思います。それと、ある程度特定をした団体、例えば企業だとかさまざまなそういう関係団体に対する人権教育の取り組み方策ということも考えられると思います。それは二本立てで私たちは考えていくべきであろうと思いますし、人権教育の研修プログラムの策定においても、やはり障害を持つ当事者自身の声がきちんと反映されるような研修プログラムを策定して、それに基づいて人権教育というものが、関係団体なり不特定多数の方たちへの研修が進められる、取り組まれるということが望ましいというふうに考えております。
○漆原委員 もう一点、法人後見について、金参考人は、本人が所属している施設、病院等を経営している法人は、利益相反の観点から、明確に成年後見人の欠格事由にすべきである、こういうふうに述べられております。私もこの点大変心配をしております。今まで御経験された中で、こういう利益相反の事例があったというふうな、具体的な事例があったら御紹介いただきたいと思います。
○金参考人 昨年秋に毎日新聞の調査結果が出たと思います。要するに、知的障害者などの各施設において、年金などの管理においてどのようになされているかということの調査をされた結果が新聞紙上に出されておりました。その中で、三分の一ぐらいは年金管理の使途不明の部分があって、明らかにされていないという結果がその報道において公表されたということがあります。
 それと、あと、知的障害者が働いている就労現場において、経営者、私たちから見ると非常に悪徳経営者でありまして、これは人権侵害事件としてもかなり社会的にも問題になって、裁判にもなりましたけれども、そういった経営者による、例えば本人の年金の着服、私腹を肥やすようなことにつながっていった。それはただ氷山の一角として私たちは考えておりますが、本当にまれな例としてではなくて、いつそういった事態が起こっても不思議はない現状であることは確かであろうと思います。
 判断能力のない知的障害の方たちに対する、日常の管理者の立場から、経営者の側から、なし崩し的に、裁量で本人の了解も何もなく年金の着服ということが行われている現状は、非常に潜在的には私たちは多くあると思っていますので、そういった意味では注意を促したいというふうに思っております。
○漆原委員 もう一点だけお尋ねしたいのですが、選挙権を認めるべきだ、保障するべきだというふうな御主張がございましたけれども、これは諸外国の例なんかを調べてみたらどんなふうになっているのでしょうか。
○金参考人 私たちも、今さまざまな資格制限などにかかわる欠格条項の問題に取り組む団体として活動しております。その中で、今現在十分な情報をまだ持ち得ていません。現在のところ、少なくとも日本よりは進んでいると思われる欧米諸国のそういった資格制限などにおいて、障害者の制度上の扱いはどうなっているかということの海外調査をしております。
 ただ、私たちが聞く範囲では、障害を持つことによって欠格扱いにする、いわゆる欠格条項というものが、アメリカ、カナダなどでは、そもそもそういう考え方そのものがほとんどない、制度上もない。実際にそういう資格を得る中で必要な能力だとか、適性は何なのか、そういう職務についていく上での具体的な、補助的な手段はどういうことが必要で、それがあれば可能なのかどうなのか、そういった観点から大体のことが検討されて行われているというふうに聞いております。
○漆原委員 ありがとうございました。
 次に、荒井元傳参考人にお尋ねしたいと思いますが、公的財政支援の話をしていただきました。その際に、今回の成年後見制度というのはいわゆる土台論なんだ、土台をつくって、後でその上にいろいろなものをつくり上げていくんだ、こんな話もあったわけでございますけれども、費用は申立人の自己負担になっておりますね。ここのところをきちっと国の方で面倒見ていくというふうな積極的な財政支援をしていかないと、いい制度をつくったんだけれども、結局画竜点睛を欠いてなかなか利用する人が十分な利用ができない、こんなふうにも考えておるわけですけれども、財政支援策についてお考えがあればお尋ねしたいと思います。
○荒井参考人 財政支援策という形で、いわゆる法務畑の方ではまたそういう支援システムがあるかと思いますけれども、その補助制度を完備するというようなことも大きなことだと思います。
 あともう一つは、厚生行政の中で、先ほど申し上げたものはずばり成年後見そのものの、厚生省の事業ということではなさそうですけれども、これは社会福祉協議会に限定されております。ことしが十億というか、そういう予算を組まれているそうですけれども、行く行くはもっと大きくなると思います。私たちとすれば、先ほど公的後見人というようなお考えの発言がありましたけれども、それと同時に、法人後見人で障害者団体なり当事者団体なりそういうものが、資格とか内容とか非常に重要でしょうけれども、そういうチェック機構を踏まえた上で後見人になれないか、そこに今、社協の費用がついたような形で障害者団体にもそういう補助がつかないかということを当面希望しております。
 そのほか、家族等については、在宅介護手当とかそういうことを含めて積極的に図っていただければ、この制度そのものが実質的に国民全体に使われるのではないかというふうに考えます。
○漆原委員 もう一点お伺いします。
 公示方法として、今回は登記所で登録するという制度にしたわけでございますけれども、登記所で登録するという公示方法で被後見人の秘密が十分保護されるというふうにお考えなのかどうかということと、それから、実際に登記所は東京法務局一カ所だというふうに聞いておるわけですけれども、これで不便は感じないかどうか、不十分でないか、この辺お尋ねしたいと思います。
○荒井参考人 現実の行政機構の中でこの制度を受けていただくということで、登記所に手続をするということを伺っております。ただ、それと同時に、戸籍に記載されるとかそういうことがなくなったということは大きな前進だと私たちは評価しております。
 今、一カ所というのは、全国に一カ所の管理センターをつくるというふうに私たちは理解しておりまして、本人、後見人等いわゆる当事者がそこで申請すればその内容を見ることができる、証明を得ることができるという形で、プライバシーは守られるのじゃないかというふうに思います。
 ただし、後見人、補助について、そういう手続に登記所に行くというのは気が重いなというような制度も考えられますけれども、現行の機関の中でやっていくとすれば、そこを申請の窓口とするのは仕方がないのではないかというふうに考えております。
○漆原委員 久保井参考人にお尋ねしたいと思います。
 まず第一点は、先ほど利用者の範囲ということで、重度の身体障害者にもこの成年後見制度を利用させるべきではなかろうかというようなお話をされました。今回の制度は、事理弁識能力の程度ということで三類型を設けたわけでございますが、さらにそれを事理弁識能力とある意味では異なった重度の身体障害者にも適用するというのはどんなふうなお考えによるのでしょうか。
○久保井参考人 基本は、意思能力が不十分な人あるいは意思能力を欠く者を対象とするということであることは十分にわかっておりますが、寝たきりの病人とか老人が、判断能力はきちっと十分に備えておっても、その意思を伝えたりあるいは意思を実現することが身体的不自由のために困難な方々、つまりその人たちは、補助を必要とするという面では、意思能力に不十分な点がある方と基本的には変わりはないのではないか。だから、身体的な障害のために意思表示が十分できない人あるいは自分の意思表示を徹底し得ない人についても、本人が望むのであれば当然利用を認めてよいではないか。だから、三類型のほかにさらに四類型目を設けよという意味ではなくて、現在予定されております三類型の利用について、本人が望むのであれば利用の機会を与えてもいいのではないかという考えでございます。
○漆原委員 もう一点お伺いします。
 今回、法人後見ということを法的にはっきり認めたわけでございますが、先ほど金参考人にお聞きしたように、利害相反のケースも非常に多い。私も弁護士時代にそういう経験をしまして、大変つらい思いをした経験がありますが、この法人後見を認めるということについて、弁護士会ではどのような意見が出て、どのような経緯で了解されたのか、この辺をお尋ねしたいと思います。
○久保井参考人 法人後見人制度を認めた場合に、御指摘のような利益相反関係、本人の入所している施設自身が後見人になると、そういうことが不正の温床になるといいますか、不正につながる危険性があるということについては弁護士会としても十分に検討いたしました。
 しかし、結局、家庭裁判所が当該本人にとって望ましい後見人あるいは保佐人、補助人はだれかということについて個別に、一つ一つの案件において選任過程で十分に考慮の上選任するということになっておりますので、申立人が仮に法人を申請してきても裁判所の方で十分に検討した上で決定するのであれば、やはりケースによっては認めるということは、その余地を残した方がいいのではないかということで、制度として法人を選任し得るということについては賛成しているわけでございます。
○漆原委員 最後に、新井参考人に一点だけお尋ねしたいと思うのですが、現在の禁治産、準禁治産宣告の場合には必ず医師の鑑定を受けることになっております。
 イギリス、ドイツの方で、例えば補助の場合には医師の鑑定を受けるようになっているのかいないのか、どのような方法で認定しているのか、この辺を教えていただきたいと思います。
○新井参考人 ドイツの実務が参考になるかと思います。ドイツの場合は、鑑定は必要なんですけれども、例外的に必要のない場合というのがありまして、意思能力の喪失が明確であるというような場合あるいは本人が申し立てたというような場合は必ずしも鑑定を要しない、医師の診断書とか簡易な鑑定という形で代替することができておりまして、その点は日本の実務でも大変参考になるかと思います。
○漆原委員 以上で終わります。大変ありがとうございました。
○杉浦委員長 次に、達増拓也君。
○達増委員 まず、新井誠参考人に質問をしたいと思います。
 今回の民法改正等によりまして、成年後見制度、従来に比べて非常に柔軟でまたきめ細かい、そういう使い勝手、利用しやすい制度になるという反面、新しい制度が導入されますし、やはり使いこなす側の努力や工夫がかなり必要になってくるのではないかと思うわけであります。
 先ほどお答えの中で、ドイツの世話人協会の例を引いて受け皿づくりの話をされましたけれども、これはもう国民全体が意識を高め、深め、いろいろNPOの活動とかそういったものも巻き込みながらやっていかなければならない話だと思うんですが、特に、国や自治体、そういう公的機関の側で、運用面をきちっとやっていくため、制度を使いこなすためにどういう工夫、努力を行っていくべきか、御意見をいただければと思います。
○新井参考人 この制度をよりよく活用するための課題はどういうことか、そういう御趣旨でとらえてよろしいでしょうか。
 一つは、やはり受け皿づくりということで、これはもう先ほど私が申し上げたとおりで、弁護士会司法書士会、社会福祉士会、社会福祉協議会、それから今先生御指摘があったNPOですね。これは大分の方ですけれども、大分ネットというNPO、これは県の第一号の認可だそうですけれども、そこが成年後見を主体に活動していこう、そういうNPOもできてきております。ですから、こういうものに可能であれば少し公的なバックアップをしていくということが必要じゃないかというふうに思います。
 それからもう一つは、能力の判定、これは今まで精神科のお医者さんが担ってきたわけですけれども、必ずしも精神科のお医者さんに任せるのではなくて、福祉の専門家に生活状況の様子を見させるというようなこともアイデアとしては必要ではないかというふうに思っています。例えばドイツでは、医師の鑑定書のほかに、ソーシャルワーカーが生活状況報告書というものを出させまして、その二つを裁判官が考慮する。というようなことが必要だと思います。
 それから三番目ですけれども、やはりこの制度は何といっても、これは法的な制度、民法上の制度なんですけれども、福祉というものと非常に密接に結びついているものだと思うんですね。ですから、ソーシャルワーカーの持っている技術、そういうものが生かされる余地があると思うんですけれども、私の率直に見るところ、日本のソーシャルワークは、まだその面、必ずしも十分に発展していない面があると思うんです。ですから、こういう制度の創設を機に、ソーシャルワークの発展ということを期待したいと思うんです。つまり、保護を必要とする人にどういう生活支援をしていこうかというときの、そういういろいろなノウハウ、その蓄積が必要じゃないかというふうに考えております。
 これでお答えになったでしょうか。
○達増委員 利用しやすい制度にするための運用の工夫や努力については、荒井元傳参考人も、レジュメの4として(1)から(4)まで書かれていらっしゃって、先ほどのお話の中でも触れられましたけれども、荒井元傳参考人に伺いますが、こうした工夫について、さらに具体的に敷衍して説明いただければと思いますが。
○荒井参考人 自分たちの息子やその家族がこの制度を使えるのかということですね。
 私も相談業務などをしていたことがあるわけですけれども、今から十年ぐらい前に、新宿の歌舞伎町に二百坪くらいの土地を持った大学の先生がおりまして、もう八十でありました。奥さんが七十五で、有名な方でありましたけれども、まさに何百億という資産を持っていらっしゃって、息子さんが三人。二人が精神病でありました。一人は病院に入院して、一人は在宅だというような形。
 そんな中で、この方は有名な方でして、福祉の最高権威者にも病院をつくりたいとか相談しておりましたけれども、家族会ラインで私たちのところに相談に来ました。しかし、準禁治産禁治産というわけにもいかないし、任意後見という形で任意契約を全家連にすることもなかなか信用がならないということで十年たって、そのおじいちゃんも痴呆状態になってしまった。その方が一番望まないそのおじいさんの兄弟のところに多分財産が行ってしまったんではないかという話がありました。
 そんな中で、準禁治産禁治産というよりも、本当に自分たちの財産を苦労している障害者のために使うんだというようなことを含めたイメージチェンジが非常に重要だと思うので、家裁にというのもいささかという気持ちもあって、厚生省と法務省の一部が合体すればいいのにななんて思いますけれども、そういう意味では、そういうイメージの問題があると思います。
 それからもう一つは、精神障害に使いやすいんだというような幾つかの規定があり、それに監督が伴う、ここが非常に重要であります。法律に書いてあるということで、患者や家族は信用します。裁判所の監督があるということで、まさに使えるんじゃないかと思います。
 そういうことを含めて、任意後見等について、その辺の方策がきちっとなされながら、我々も、この制度を使うために裁判所にかかわるのかという、その辺のある種の偏見を飛び越えれば使いやすいものになるんではないかと思いますけれども、ただ、やる人、受ける人、この人たちに対する援助なり育成なり、そういうものが最大の問題であるというふうに思います。
○達増委員 続いて、久保井参考人に伺います。
 意思能力のみならず、身体的な事情で意思表示に困難を感じているような方々にもこうした制度を将来広げていくべきという指摘、実際、そういう必要性といいますかニーズというものは確かにあって、非常に不便を感じている方が多いので、何とかしなければとは思うんですけれども、一方で、法律的な整理の問題として、この成年後見制度は意思能力の欠ける部分を補う制度であって、意思能力は持っている人についてだれかがかわりを務めた場合、もし、もともと意思能力を持っている本人の意思との間に違いが出たときどうするのかというような、今回の改正される制度の中に入っていないような新しい問題も出てくるのかなと思うんです。これは整理の問題だと思うんですけれども、そうした法理論的な側面についてはどのようにお考えでしょうか。
○久保井参考人 あくまでも本人の意思が優先するといいますか最大限尊重されなければならないというのは、この新しい成年後見制の根本思想でありまして、重度の身体障害のために自分の意思表示が十分にできない、そういう方々が利用する場合には、その意思表示の内容については、これは本人の意思表示が最大限優先するといいますか、本人の意思を無視した形での後見、実際は補助人が多かろうと思います。
 補助人の場合は、そもそも、どの範囲内で同意権、代理権、取り消し権を与えるかということについては本人自身が決めるということができることになっておりますので、その権限の付与の段階でチェックは一つできると思いますし、仮に、付与した後の本人の意思と異なった、矛盾する行為を補助人なりがとろうとした場合でも、これは明らかに本人の意思を優先させるべく、双方が矛盾した場合には家庭裁判所がこれを決めるような規定も用意されているようですので、そこは実情にかなった的確な運用は十分に可能ではないかと考えております。
○達増委員 次に、金参考人に伺います。
 金参考人が指摘された、補助類型を後見制度として新設することによって、かえって消費活動の場面から障害者が排除される危険性があるのではないかというのは非常に重大な指摘だと思います。
 一方では、悪徳商法被害というような、やはり補助のようなものを必要とするようなケースもあると思うんです。そうした、悪徳商法のような被害から後見を必要とする、特に補助を必要とする人を守っていくという問題のバランスと、一方では、そういう悪徳商法にはひっかからないくらいの見識や能力を持ってはいるけれども、ただ、補助みたいなものは必要とするかもしれない、そういう人たちにとっては、かえって補助制度によって不便が多くなる、そのバランスの問題だと思うのですけれども、この点いかがでしょうか。
○金参考人 確かに、そのバランスの問題ということは非常に難しい点だろうと私たちも承知しているつもりです。
 私たちはかねがね思うのですが、本人と成年後見人とのそもそもの前提になる対等な関係の確保ということが本当になされていくのだろうかという疑問を持っているところもあるわけです。
 そういった意味では、成年後見人の職務として与えられている代理権だとか同意権、取り消し権、そういったことで実際に本人に対する援助がされていくわけですが、その前に、私たちは、やはり成年後見人の非常に大事な仕事として、本人に対する情報提供と助言、アドバイス、そういったことが日常的にどれだけしっかり行われているかどうか。そのことによって、本人と成年後見人との信頼関係及び対等な関係の確保というものが実際にどの程度されているかということが決まってくるのではないかなと思っています。
 そのことがしっかりできていれば、本人がその補助人なら補助人をつけて取引をするということも十分にあるでしょうし、それは本人が納得の上でのことであれば、私たちは全然それはどうこう言うものではありませんし、むしろそれは評価すべきものではないかなというふうに思っていますので、その点のことをぜひ考えていただきたいなというふうに思っておる次第です。
○達増委員 再び新井誠参考人に伺います。
 荒井元傳参考人や金参考人の方から、低額財産保有者について公的援助をすべきだという趣旨の指摘がなされたのでありますけれども、財産保護に軸足を置いた伝統的な後見制度という点、また、本人の意思決定のサポートというところからは、本人の持っている財産の範囲内でということなんでしょうけれども、身上保護の観点を導入してそこを強調していくと、確かにそういう低額財産保有者について公的に補助をしながらこういう制度をやっていくということにもなり、これもかなり法理論的な問題も関連してくると思うのですけれども、この点についてはいかがでしょうか。
○新井参考人 意思能力が必ずしも十分でない人は、その所得にかかわらず、すべてあまねく保護していこうということは、おっしゃるとおりだろうと思うのです。一応この制度は、自立自助ということで、要する費用、例えば後見人の報酬については本人が支弁するというようなことになっているわけです。そうすると、低所得の方が制度を利用できないのじゃないかと。
 例えば任意後見契約、非常に制度はいいとしても、そのコスト面どうするのだということだろうというふうに思うわけです。これはやはり幾つかの工夫が必要だと思います。
 まず、手続面に関しては、法律扶助法というものが予定されているわけですので、手続面についてはそこで賄うというようなアイデアもあろうかと思います。
 実際にかかるコストの面について、手続外のコストについては、例えばこれは全くの私の私見ですけれども、例えば来年の四月から導入が予定されている介護保険、要介護の人を対象とする保険ですので、その中に、場合によっては成年後見制度を必要とする人のコストを、上乗せサービスというのでしょうか、そういう形で含ませることも可能でしょう。あるいは民間の保険、これは民間に限らないかもしれない。保険制度をつくって、例えば任意後見契約を締結するときに、自分が能力なくなったらサービスを使うときのその報酬を出してもらうというようなアイデア。幾つかアイデアがあると思うのですね、そういう工夫はぜひこれから必要だと思います。
 ただ、今は、これは民法の枠内での議論ですので、コスト面が出てこないというのはいたし方ないところで、ですから、私としては早期成立ということをお願いして、その上でコスト面をどうしようかという形の議論をぜひお願いしたいというふうに思っております。
○達増委員 以上で私の質問を終わります。ありがとうございました。
○杉浦委員長 次に、木島日出夫君。
○木島委員 日本共産党の木島日出夫でございます。
 四人の参考人の皆さん、本当に貴重な意見、ありがとうございました。
 私どもも、現在の大変硬直した制度を改めて、障害者の皆さんの自己決定権が尊重される、またノーマライゼーションが促進される、そして同時に本人の保護、これも万全な制度を創設すること、大賛成であります。なかなかいろいろな難しい問題もありますが、そんな観点からひとつ、新設される補助類型がどのように運用されるか、非常に大事なポイントの一つであろうかと思いますので、まずその問題についてお聞きをしたいと思うのです。
 金参考人から大変重要な問題提起がなされました。一つ、補助人の取り消し権の問題についてお伺いをします。
 金参考人からは、補助人の取り消し権を少なくとも認めない、取り消し権は本人だけにしたらいいのではないかという指摘がありました。また逆に、全家連の荒井参考人からは、悪徳商法などの被害から被補助人を救済するためには、売買契約でしょうか、こういう分野にも取り消し権を認めるべきではないかという指摘がありました。改正法では、これは取り消し権の対象にはならないと思うのですね。この問題についてどう考えるのか、千葉大学の新井参考人、それから日弁連の久保井参考人。そしてさらに、補助人に取り消し権を付与すべきかどうかの問題について、改めて全家連の荒井参考人にお聞きをしたい。金参考人の問題提起を受けてどう考えるかについて、御意見をまずお伺いしたいと思います。
○新井参考人 私は、金さんのおっしゃった趣旨は大変よく理解しているつもりですし、共感する面も大いにあります。ただ、法制度としてつくるときには、やはり補助人の取り消し権というのは認めて仕方ないというふうに考えております。
 といいますのは、これは保護制度ですので、代理権のみで不十分な場合は同意権、取り消し権とワンセットにするということが必要だろうと思うのです。そうでないと、代理権だけだということですと、これは法定後見の後見の部分、保護制度に当たらないということになるのじゃないかというふうに思うのです。では、自己決定を侵害しているじゃないかということのわけですけれども、これは本人が望まなければこの制度は拒絶できるということですので、自己決定の尊重ということの確保もきちっとできているというふうに考えます。
 そして、御存じのように、現行の保佐人には取り消し権がないということが学説上も批判されているわけです。つまり、取り消し権がないと実効的に機能しないということが言われておりまして、私もその説に賛成しているものです。
 そうしますと、保護の制度ですので、やはり取り消し権という形は認めていたし方ない。この与え方も、全面的にすべて一律に与えるという形ではなくて、限定的に、しかも本人の自己決定に基づいて与えるという仕組みですので、私はこういう形でよろしいのではないかというふうに考えております。
○久保井参考人 二つの点についてお答えしたいと思います。
 一つは、補助制度がかえって差別につながる、場合によれば補助人の選任を取引先から要求されて、それが人権侵害にまでなるおそれがあるという御指摘。確かに私どもも十二分に検討していなかったといいますか、御指摘を受けますと、そのとおりかなと思う面もあるのですけれども、しかしながら、現在、あいまいな判断能力しかない、つまり重度の判断能力障害、保佐の場合は著しく判断能力を欠く場合ということですから、保佐と通常人の間のグレーゾーンといいますか、非常にあいまいな領域というのは広いわけです。
 その領域を、もし制度をつくらないとすれば、無理に保佐を適用するということにするか、あるいはまた今までどおり本人に行為能力、意思能力があるという前提で本人に行為をさせる、あるいはまた周囲の同居している家族等が事実上の行為、不動産の売却等重要な行為をしてしまうということ、現在の紛争が多発している領域をそのままにしてしまうということになります。
 したがいまして、やはり、痴呆性高齢者が非常にふえてきた、こういう状況下において、保佐の対象にならない、つまり著しく判断能力を欠くとは言えないけれども、しかし通常人から見ればかなり判断能力が落ちるという領域の人たちに対して制度を用意するということはどうしても必要なことではないか。
 だから、問題は、今までの禁治産とか準禁治産のような、そういう反人権的な評価、つまり差別につながるような評価を新しい成年後見制では徐々にやめていくといいますか、あくまでも本人支援のための制度であって、決して不利益な処分ではないという法意識をやはり啓蒙していく必要がある。そして、補助制度というものが国民の中に、望ましい制度、補助を受けるということは補聴器をつける程度のことだというように国民が受けとめるような啓蒙をしていく形で問題を解消していくべきであって、今のこの領域を放置するということはやはり実態にそぐわない、紛争の多発をますます助長することになるのではないかというふうに思います。
 それから第二点の、補助の場合には取り消し権を本人だけに限るべきだという御意見でございますが、それにつきましては、改正案では補助人に対して取り消し権を与えるかどうかについても当初の補助開始の段階において選択できることになっております。つまり、代理権もしくは同意権だけにして取り消し権は与えないということも改正案では可能ということになっておりまして、決してそこの選択をさせないということではありませんので、本件の場合、当該事案の場合には取り消し権までは与えなくていいケースだと裁判官が判断するならば、代理権のみあるいは同意権のみということをすれば、運用としては先生御指摘のような運用が十分に可能だ、そういうリスクを回避することは可能ではないかと考えます。
    〔委員長退席、山本(有)委員長代理着席〕
○荒井参考人 先ほども申し上げましたように、取り消し権を与えないということは、この制度そのものの実効性に欠くというようなことを申し上げました。
 ただ、法人の施設なり入所施設関係の後見なり、こういう問題なり、法律は性悪というような立場でいろいろな規定をつくるのでしょうけれども、家族やそういうところがある意味では権利侵害にかかわることもあるというようなお考えも含めて、当然、障害者の自律と権利というようなお立場の御発言かと思います。
 精神障害については、先ほども申し上げましたように、非常に判断力、疑うことの欠如というようなことも出てきます。それから、被害に気がついていないとか、自分がそのことのこだわりで逆に正しいと言い続けている状態もあります。それから、断ることが非常に下手というか言いにくいというようなことも出てきます。そういう意味で、委員会でも知的障害の家族の会からも意見が出たのですけれども、やはり取り消し権を持たなければ実効性は低いのではないか。と同時に、それのチェック機構とか、そういう意味での教育とか、そういうものを充実すべきであるというようなことであると思います。
 自己決定と同時に、それはそういう取り消しの責任もあるのではないかというような論理かと思いますけれども、障害者のケースは、やはりアンビバレンスというか、こちらの考えとこちらの考え、自律とそれから自分が障害や病気でやってしまうことと、それをどうも嫌だな、不思議だと思っていながらもその両方が同居するという、自律の気持ちもあるし、何かしでかしてしまうという悩みもあります。そういうアンビバレンスなものが障害であるというふうに私は認識しておりますので、やはりこういう自己決定の自律の思想と保護の思想が調和するような、そういう制度を考えるべきだということと思います。
○木島委員 ありがとうございます。
 時間がもう五分を切ってしまったので。
 そのこととの関係で、補助開始請求の申し立て権者がどうあるべきかについても金参考人から大変重要な指摘がありました。るるお話があった後、本人のみにすべきではないかという重大な指摘だと思うのです。しかし、本法案は、補助開始請求の申し立て権者は、本人は当然、配偶者、四親等内の親族、後見人、後見監督人、保佐人、保佐監督人、検察官にまで申し立て権を与えております。これに対してどうお考えになるか。恐縮ですが、ほかの御三人の参考人の皆さんに一分以内でひとつ意見を述べていただきたい。
 日弁連は、家庭裁判所にも職権で補助開始請求権、手続開始の権限を与えるべきだというところまで言っておりますので、簡潔にひとつ御三方から御意見をいただいて、そして、そういう御意見に対して簡単で結構ですが、金参考人から御意見などを最後に賜れば幸いであります。
○新井参考人 これは大変難しい問題なんですけれども、一分以内ということですので。
 検察官が入っていますけれども、実際に検察官が申し立てることはないだろうというふうに考えておりますし、実際には市町村長が申し立てるというようなこともあると思いますので、保佐、後見との平仄というようなことからしても、今回の改正についてはこれでよろしいのではないかというふうに考えております。
○久保井参考人 この問題につきましては、私どもの考えといたしましては、やはり本人だけでは足りないと考えております。
 つまり、本人が心身の事情によって寝たきりで申し立てをできない場合に、本人の世話をしている人、その周囲の者が補助その他の手続を開始できるようにするというのが現実的ではないかと思います。
 ただ、今日は非常にひとり暮らしが多うございまして、配偶者とか四親等内の親族といいましても、そのいずれにも該当しない近所のおばさんが世話をしている、あるいはもっと親等の低い、遠い人が世話をしているとか、そういうケースも大変多い時代になってきております。
 したがいまして、そういう方々から家庭裁判所に通告をすることによって、家庭裁判所が職権で開始の道を開くということができるようにしなければ現実的ではないのではないか。大勢の家族に囲まれた、古い、昔は四親等内の家族で十分カバーできたかもしれないけれども、ひとり暮らしの多い現代社会において、ますます家族の少ない本人が多い中で、やはり職権開始の道を開くべきではないか。
 また、そういうものにかわるものとして検察官とかあるいは市町村長ということも考えられますが、検察官の申し立ては実績から見てもほとんど期待できないし、精神保健福祉法に基づく市町村長の申し立て等についても、現実的にはなかなか小回りのきく形で運用が期待できないということからすれば、本人の身近な者から家庭裁判所に通報することによって補助その他の手続、こういう成年後見の手続が利用できる道を開いておくべきではないかという考えでございます。
○山本(有)委員長代理 それではごく簡単に、荒井元傳参考人
○荒井参考人 先ほどの発言と同様、やはり必要であるというふうに思います。福祉機関なり生活を一番よく見ているところ、そこの人たちがこれは援助が必要であるという手を挙げることだと思いますけれども、それはそういう形ですべきだと思います。
 ただ、やはり本人の同意ということに関して、そのことに関して、実効性をどう自律的な権利と調和させるか、これが非常に重要なことだと思います。
○山本(有)委員長代理 それでは最後に、ごく簡単に、金参考人
○金参考人 補助開始請求は、私たちはやはり本人のみにしてほしいというふうにお願いをしたいと思います。
 それは、要するに、どこでこういうことになるのかということですが、私たちの基本的なキーワードというのは、やはり障害者の社会的な自律ということから、そういう観点からこのたびの成年後見制度の改正を考えております。そういった意味でいうと、補助の対象者はある特定の法律行為を行う場合ということになっておりますので、そのある特定の法律行為について、それが本当に必要かどうかというのは、障害の軽い知的障害、精神障害の方たちだったら、少なくともその必要性があるかどうかについては本人自身が理解できるだろう、判断できるだろうというふうに私たちは思います。それができる以上は、その申し立てについても本人が申し立てできるように、むしろ周囲がそういう方向で援助すべきなのではないかというふうに私たちは思います。
 そういった意味では、障害者の社会的自律の問題と痴呆性高齢者のそういう保護の問題というのが、それはそれとして区別して考えられる必要があるのかどうなのかということも議論の余地としてはあると思いますが、やはり私たちの立場からいえば、そういった意味で、その主張を繰り返ししていきたいと思っております。
 あと、欠格条項の問題についても、補助の対象者は基本的に欠格条項の対象にしないという考え方もあると思うのですね。そういった見地からいっても、補助の開始請求については、本人のみが請求できるということは十分担保できるのではないかというふうに私たちは思っていますので、ぜひ御参考にしていただけたらと思っています。
○木島委員 ありがとうございました。終わります。
○山本(有)委員長代理 次に、保坂展人君。
○保坂委員 社会民主党保坂展人です。
 全家連の荒井参考人の方にまず伺いたいと思うのです。
 大変切実な、長い経過を踏まえた議論を聞かせていただきまして、いろいろ感じるところがあったのですけれども、特に精神障害者の財産管理をめぐる事例の中で、精神分裂のケースでいろいろお挙げになっていると思うのですが、一方において、いわゆる躁うつ症の患者さんもいらっしゃると思うのですね。
 この場合、本人の同意というのをどの時点で考え得るのかということを考えますと、うつ状態であるときには、社会活動、非常に意欲も低下していますから、いろいろな手続にしても、もう任せたということになるケースも多いのかなと。
 一方において、躁状態になってきたときには、高級な車をぽんと買ったりとか、さまざまな激しい消費行動ということが問題になってきて、家族あるいはその周辺の人間あるいは第三者で保護ということを考えるときに、うつ状態ないしはうつから躁への中間期のときに本人の同意を得ていたとしても、これがなかなか難しいのかなというふうにも思うのですが、そのあたり、経験に照らしていかがでしょうか。
○荒井参考人 大変難しい問題で、委員会での議論のときから、同意というのが精神障害の場合どういう形で機能するのかなというのは非常に悩みつつも発言しておりました。
 まず、うつの、躁の状況というのは医療と治療のレベルだと思うのですけれども、そういうレベルの中で、これはもう治療行為というか日常生活行為という中で、医療と福祉と家族なり、そういう中で援護するというか保護するということだと思うのですね。そのときに、自己決定ということで本人の了解のもとにこういう手続をするということ自身は不可能ではないかなという感じはいたします。
 そういう意味では、医療機関なりそういう日常生活の援護のところできちっと対策を立て、落ちついたときということが、認めるかどうかわかりませんけれども、そういうことを含めて、その人の生活の中でそういう行為に関してどういういわば防止策を自分でとれるかというような話になるかなという感じがいたします。
 精神分裂病の場合も、やはりなかなか認めないという部分があると思います。これは入院の手続等々も同じですけれども、やはり周りの者の努力なり説得なりそういうことを含めて、そういう制度をかりて自分が地域社会で生きていくというようなノーマライゼーションの思想をやはりいろいろな形で伝達していくという以外にないかと思います。
    〔山本(有)委員長代理退席、委員長着席〕
○保坂委員 特に躁うつの場合は、とりわけ不動産の処分だとか権利譲渡だとかそういうことにまで走りかねないという部分があって、例えば家族が一生懸命いろいろ支えているというのが現状だと思うのですけれども、しかし、親が亡くなってお一人になる、残された財産というものがどう守られるのかというところで大変難しい課題をまだ残していると思います。
 もう一つ、最近話題になっている境界性人格障害、ボーダーライン症候群と言われる新しい類型というか、ございます。例えば知的にも非常に高度な識別能力を持っている、もちろん日常生活、買い物などは難なくできる、けれども、そこのところで、さまざまな不安と不満といういろいろなこだわりの中で、周囲の人たちと次々と衝突をしてトラブルを続発させていくという方々が最近ふえていると臨床の現場からも聞いております。
 こういった場合、事理弁識能力という意味では、事柄をいろいろ理解して、わかっているようにも見えるのですけれども、実際、不動産の処分だとか引っ越しだとか、あるいは日常生活で食事をしたりとかいう本当の基礎の部分において非常に危機的である。しかし、従来の福祉の枠組みでもこれはなかなか難しい人たちだと思うのですけれども、この点はいかがでしょうか。もう一度、全家連の荒井参考人にお願いします。
○荒井参考人 個々のケースについて余り詳しく私も経験してないものですから、やはり稼得能力とか自律とかそういうことを基本に、どんな原因で職場を転々としているか、いろいろな問題が起きるかというよりも、結果のいろいろな障害によって対応すべきだというようなところで、この制度そのものも、もし自己決定権なり判断能力がそういう疾病なり障害で落ちているとすれば、それは精神障害の中で、法案のいろいろな資料の中にも、自閉的傾向とかそういうのも含まれるというような資料がありました、そういう意味では、判断能力が事実落ちたというところであれば、その制度の中で何らかの形ですくい上げる。しかし、人的援助やそういうものについては、厚生行政になるんでしょうか、そういう意味での援護策はきめの細かなケース・バイ・ケースで必要だというふうに思います。
○保坂委員 それでは、金参考人に伺います。
 先ほどから問題提起されている件は非常によくわかるわけなんですけれども、金さんの指摘されている点と、今精神障害を持った方の同意の問題や取り消し権の問題、例えば次々と高額の商品を買ってしまうなど、気がついてみたらとんでもない買い物をしていたみたいなことも現実にはあるわけなんですけれども、その辺の兼ね合いを御本人の利益の擁護という立場でどういうふうに考えたらいいのか、ちょっとお考えを伺いたいと思います。
○金参考人 ただいまの取り消し権の問題については、私どもは、要するに、先ほどの議論にも返りますけれども、補助の対象者の方の問題でありまして、その場合には補助人の取り消し権はないでもいいではないか、本人のみが取り消し権を家庭裁判所に必要だと思えば請求をして、家庭裁判所の判断で許可がおりて、取り消しできるような、そういうふうな形に持っていくことができればいいのではないかなというふうに思っています。
 保坂委員が指摘されました、高額な買い物をどんどんやってしまうということになりますと、補助の対象者になるのかどうなのかということもあるかと思います。どこまでの判断能力の境目をつけていくかというのは、また難しい問題、診断書の問題がどういうふうになるかという問題もあるかと思いますが、私どもの理解では、いわゆる補助の対象者については、そういったことはまずは本人がその点についての判断はできるのではないかというふうに理解しているところがあります。
 あともう一つつけ加えれば、あえて言わせていただければ、本人にとっても、悪徳商法にだまされて不当な買い物をさせられた、そのことの失敗の経験というものは、やはり長い目で見れば、社会的自律ということにこだわって見れば、むしろ失敗する経験だって必要な場合があると私たちは思っています。それは障害者に限らず、どなたでも成人になっていく中でいろいろな失敗をしながら自分の生活基盤をつくっていくわけですから、そういった意味で、失敗を恐れてそういった自律というものが本当の意味で身につくのかどうなのか、そういった観点からも、私たちは、あえてリスクを本人自身も負わなければならないということを前提にそういう取り消し権の問題も考えていく必要があるのではないかなというふうに思っております。
○保坂委員 千葉大学の新井参考人日弁連の久保井参考人、お二人に伺いますけれども、保護を必要とする客観的な人数、二〇二五年には五百万人規模という数字も語られております。例えば、家庭裁判所の今の裁判官三百五十人、今までの制度が余り広がっていないから処理をできていたかもしれない、これが本当に幅広く使われるようになっていくと、その辺の体制整備は本当に急務だと思います。
 そのときに、NPOや民間団体との情報交換や協力協調、あるいは地域からの参加、そういった点でまだまだ、今骨格ができたばかりだと思いますけれども、何が課題となっているのか、時間が余りありませんけれども、お二人にお願いしたいと思います。
○新井参考人 これは、受け皿づくりということで、いろいろなところが受け皿になってほしいというふうに考えております。それで、その受け皿同士がネットワークをつくって情報を交換していく。もちろん、その核に恐らく家庭裁判所があるんでしょうけれども、家庭裁判所を中核にしていろいろな団体が受け皿になっていく。
 そういうことで、私は、日本の福祉も、権利擁護のあり方も、あるいは、福祉の方でよくクオリティー・オブ・ライフというふうに言いますけれども、そういうものも徐々に変わってくれるんじゃないかなというふうに期待しております。
○久保井参考人 現在、司法改革が非常に大きな問題に取り上げられ、司法制度改革審議会設置法案が先般国会を通過したという状況にありますが、家庭裁判所が現在の規模では足りなくなるであろうということは御指摘のとおりであります。
 現在は、家庭裁判所というのは、離婚と相続、少年事件が中心の裁判所ということが一般の評価であり、事件の中でもそれが中心を占めているということですけれども、これから高齢化社会がどんどん進んでいく中で、家庭裁判所の後見裁判官、後見裁判所、つまり後見制度を運用する裁判所、後見判事というようなものが非常に家裁の中心機能になっていくだろう。現にドイツでは後見裁判官とか後見裁判所という名前で呼ばれておりますけれども、司法改革の中で家庭裁判所を大幅に充実させる必要がある。それは量の面でも質の面でも充実させる必要がある。
 ドイツなんかでは、裁判官が自転車に乗ってあるいは自動車に乗って個々の本人の自宅の見回りをしたり、日常的にやっているようですけれども、日本の家庭裁判所の裁判官もどんとふやして、かつ、高齢者、障害者の現に生活しているところにみずから出向いてその生活状況を観察し、それに最もふさわしい援助を与えていくというような、意識改革といいますか、そういう面での改革も必要だろうと思います。
 もちろん、裁判所の改革だけじゃなくて、御指摘のとおり、民間団体、NPOとの提携、あるいは弁護士会とか司法書士会とか、専門家団体の方での努力、あらゆる面での受け皿づくりが進められなければ、結局、土台をつくっただけで中身はないというようなことになりますので、私どもとしても尽力していきたいと思っております。
○保坂委員 大変限られた時間でありましたけれども、ありがとうございました。これで終わります。
○杉浦委員長 以上で午前中の参考人に対する質疑は終了いたしました。
 各参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。
 【略】
○杉浦委員長 内閣提出、民法の一部を改正する法律案、任意後見契約に関する法律案、民法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案及び後見登記等に関する法律案の各案を一括して議題とし、午前に引き続き、参考人から御意見を聴取いたします。
 午後の参考人として大阪大学教授久貴忠彦君、日本公証人連合会法規委員長佐藤繁君、弁護士山田裕明君、東京都心身障害者福祉センター福祉指導職野沢克哉君、以上四名の方々に御出席いただいております。
 この際、参考人各位に委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人各位には、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 久貴参考人、佐藤参考人、山田参考人、野沢参考人の順に、各十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。
 それでは、まず久貴参考人にお願いいたします。
○久貴参考人 久貴でございます。
 本日、このような機会をお与えいただきましたこと、まことに光栄に存じております。委員長初め諸先生方に厚く御礼申し上げます。
 それでは、時間が限られておりますので、早速本論に入らせていただきます。
 今回の改正法案の最大の眼目は、私自身、公正証書遺言の方式の改正にあると考えております。したがいまして、本日これからは、それを中心にいたしまして申し述べさせていただくことにいたします。
 現行民法の施行は、実は明治三十一年、一八九八年の七月の十六日ということで、あと一月ほどでちょうど施行百年を迎えることになるわけなんですが、この間、遺言(ゆいごん)――学問上は遺言(いごん)という言い方もしたりするんですけれども、ここでは遺言(ゆいごん)という表現で統一させていただきます。遺言に関します規定は、実は実質的な改正が一度も行われたことがございません。今回、もしこれが実現いたしますならば、画期的なことになろうかと存じます。
 それで、ごく簡単なものでございますが、レジュメをつくらせていただきました。お手元に参っているかと存じますので、それに基づきまして申し上げさせていただきます。少しごらんになりにくい点があるかもわかりません、お許しいただきとう存じます。
 現行規定、公正証書遺言は九百六十九条であるわけなんですが、この現行規定で生じる問題といたしましては、先生方既に御案内のとおりだと存じますけれども、あえて申しますと、証人二人以上の立ち会いのもとで、遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授と言っていますが、口述で申しまして、それを公証人が筆記いたしまして、それを遺言者及び証人に読み聞かせる、そういう方式をとっております。しかも、秘密証書遺言とは違いまして、発言不能である人についての例外規定というふうな規定はございません。したがいまして、口のきけない方とか耳の聞こえない方には現行の公正証書遺言の方式がとれないということになります。
 レジュメの二つ目になります、普通方式、自筆証書遺言、公正証書遺言、秘密証書遺言、この三つそれぞれに実は長短を持っております。私なりに考えておりますことを申し上げさせていただきます。
 先に、まず自筆証書遺言からですが、文字を読み書きできる者であるならば、単独で、いつでもどこででも自由に作成できるということが最大の長所であると思います。費用も要りませんし、遺言の内容のみならず、遺言の存在そのものも実は人に秘しておくことができるという点は長所だと思います。
 ですけれども、マイナスといいますか短所がございまして、しばしば方式不備を生じますし、また、内容の不明確さのために紛争を生じることが多いように思います。滅失とか隠匿とか改ざんなどのおそれもかなり大きいということでありますし、時には強迫などによります作成も考えられます。それから、後で家庭裁判所の検認が必要だという点も、大きなことじゃないかわかりませんが、短所というふうにとらえる方も多いようであります。
 二つ目の公正証書遺言は、先ほど御説明申し上げましたとおり公証人が関与なさいますので、方式不備とか文意の不明確さを生じることは、これはあえて私はまれと申し上げます。絶無と言いたいんですが、現実に事件が起こるものですから、まれであります。ですけれども、後に紛争が発生することは少ないわけであります。また、遺言書の原本が公証人のもとに保管されますので、滅失とか隠匿とか改ざんなどのおそれはないと考えていいと思いますし、後に検認の手続も必要としないということが長所だと思います。
 短所と言っていいかどうかわかりませんけれども、あえてマイナス面と考えられる点を申しますと、三つの普通方式の中ではやはり一番複雑であるということでしょう。それから、内容を他人、この場合少なくとも公証人の方あるいはその事務所の方々、そして二人以上の証人ということで、この方たちには内容は知られることになります。それから、よく本なんかで費用が要るように書かれることが多いんですけれども、私自身の意見としては大した費用じゃないだろう。つまり、物件の額に比して、公証人の先生にお払いする額というのは決して大きな額じゃないというふうに私は思っております。
 それから、三つ目の秘密証書遺言というのは、長所、短所は自筆証書と公正証書のちょうど中間ぐらいの感じになるんですが、つまり、長所といたしましては、遺言の存在そのものははっきりさせておきながら内容を秘密にしておくことができるという点、これが長所だと思います。内容が改ざんされるというおそれも少ないだろうと思うんです。
 短所といたしまして、実は、中の文書といいますか、中に封じられております書面は個人個人が書きます。公証人はタッチなさいません。したがいまして、方式不備とか内容不明確のため、遺志、つまり残された気持ちという意味での遺志ですが、これの実現が不可能になったり、後で紛争の生じる危険性もかなりあると思います。この点は自筆証書遺言によく似ていると思います。それから、検認を必要といたします。
 このように長所、短所があるわけでありますけれども、自筆証書遺言では自書が要求されますから、字を知らないためあるいは文書が書けないために書けない者はこの方式をとり得ませんし、また、公正証書遺言では公証人への口授というのが必要でありますから、口がきけない人、あるいはまた何らかの事情で現在口がきけないような、そういう状況のもとにある人というのはこの方式をとれないわけであります。
 ただ、立法者といたしましては、これらの者も含めまして、例えば前者、字の書けない人でも公正証書遺言とか秘密証書遺言ができるし、あるいは口授ができなくても自筆証書遺言ができるというふうに、つまりこれは、レジュメの一覧表で、「人はふつうどれかの方式に拠ることができる」という、これは私自身がつくりましたものなのですけれども、細かくは御説明いたしませんが、今×印がついている人たち、あるいはそういう状態の方たちについてはこういう種類の遺言ができないということなのですが、三つとも×のつく方はないわけなのでして、どれかの手続をとることができるというふうになっているわけなのです。
 ところで、今考えられております、先生方が御審議いただいておりますのがこの公正証書遺言の改正であるわけなのです。したがって、なぜこの公正証書遺言を今問題とするのか、改正が必要なのかという点なのですが、三点ほどあると思っております。
 一つは、公証人の関与による適法性が担保されるということ、それから公証人役場で証書の保管がなされる、先ほど申し上げましたことの繰り返しになるかもわかりません、家裁の検認が不要だ。これらのうち、私自身は、特に適法性の担保といいますか、方式不備とか内容の不明確の生じることが極めてまれであるという点が非常に長所だと考えて、人にも、相談を受けましたら、やはり遺言は公正証書でなさったらいかがですかということを常々、長年の間申し上げてきたわけであります。
 それから、利用の実態、これはまたほかの参考人の方から数字が出てくると思いますが、現実には利用者数はふえているように思います。現在、公正証書遺言、大体年間五万件ぐらいございます。自筆証書の方は、実数わかりませんが、検認の数から推測いたしまして大体年間八千から九千の数じゃないか。つまり、公正証書遺言は自筆証書遺言の五倍以上の利用がなされているのが現状じゃないかと思っております。ちなみに、数日前に発表されました平成十年の死亡者の総数というのは九十三万六千四百八十という数字でございます。
 それから、三つ目の問題といたしまして、個々人、つまり遺言者自身であってみたり相続人であったり、あるいは受遺者であったりいたしますでしょうが、こういう個々の人々の権利意識が高まっておりますし、他方、社会情勢とかあるいは家族関係が複雑化、多様化しております今日、聴覚や言語機能に多少の障害がある方々のために公正証書遺言を自由に利用する道を開く必要があると私自身は考えております。
 レジュメの二番目に移らせていただきます、早口で失礼いたしますが。
 一言で「遺言判例法の歴史は方式の厳格性緩和の歴史」であると私、書きました。先ほど申し上げましたとおり、全部判例法で来たわけであります。幾つかの例を挙げました。ほんのわずかなのでして、たくさんの判例があるわけですが、上半分の自筆証書遺言につきましては時間の関係で今細かいことは省略させていただきますが、自筆証書遺言のいろいろな、自書とか日付とか氏名とか押印という、そういう文言についてそれぞれにいろいろな工夫を裁判所が、大審院以来最高裁もなさってきています。もちろん、下級審もなさってきているわけであります。
 公正証書遺言につきまして、ここにあります幾つかの古い判例も含めてごく簡単に申し上げさせていただきますが、口授につきましては、大審院の大正八年七月八日の判例は、遺贈物件の細かい詳細につきましては全部覚書を出すことによって口授を省略する、これを有効と見ております。
 それから、口授と筆記というものの順番。次の大審院の大正六年十一月二十七日あるいは最高裁昭和四十三年十二月十日、これは口授と筆記の順序が逆になって筆記が先になったものでありますけれども、これも有効というのが最高裁のあるいは大審院以来の上級審の判断であります。
 それから、一番下に書きました承認というのは、実はこれは昭和五十五年十二月四日の判例であるわけで、私にとりましては、プライベートなことを申し上げてあるいは失礼かわかりませんが、いわば懐かしいといいますか非常に印象深い判例であるのでして、実はこれは第二審で、私、依頼者の方から意見書の提出を求められまして、目の見えない方でも、公正証書遺言の読み聞かせのときの証人ということなのですが、これは目の見えない方でもできるはずなんだということを私は前から少し言っていたのですけれども、それを意見書に書きまして、二審そして最高裁、実は最高裁は三対二という際どいところだったのですけれども、これを認めていただきました。二十年近くにもなります。その二十年近くも前に、最高裁判所が目の見えない方々につきましてこのような判断をしていたということは、私は、注目していいだろうと思っております。
 以上、見てまいりました、方式の厳格性緩和という判例法の流れに照らしてみますとき、今御審議いただいておりますこの改正案というものは、まことに時宜を得たものだと私自身考えております。
 最後に、二つほどここにあります。ごく一言ずつ申し上げさせていただきます。
 「今後の問題」ということで書きました。この「制度を支える態勢の整備と充実」、これはまた後ほど各参考人から具体的なお話があると思いますので、私自身は、法制審議会民法部会身分法小委員会の審議の中で、いろいろとこれから考えていかなければならないことが多いだろうと感じたことだけを今申し上げさせていただきます。
 それから、一番下に書きました「自筆証書遺言の方式改正の必要性」というのは、これはあえてクエスチョンマークをつけさせていただこうかと思ったのですが、現在の自筆証書遺言はやはり少し、特に目の見えない方にとっては使いにくい制度だろうと私は前々から思っております。したがいまして、今回はいろいろなたくさんの、成年後見とかいろいろなことがありましたから、法制審議会民法部会としては作業量上触れられなかったのかとも存じますけれども、遺言法全体の今後のことを考えるときには、自筆証書遺言についてもやはり何らかの検討が必要ではないだろうか、これは研究者の立場で考えているということを申し上げさせていただきます。
 非常に簡単にしか申し上げられず、また早口で失礼いたしました。
 以上でございます。どうもありがとうございました。(拍手)
【次回へつづく】