精神医療に関する条文・審議(その118)

前回(id:kokekokko:20051204)のつづき。初回は2004/10/28。
ひきつづき、平成11年の成年後見制度制定・精神保健福祉法改正についてみてみます。

第146回参議院 法務委員会会議録第4号(平成11年11月18日)
【前回のつづき】
○委員長(風間昶君) ありがとうございました。
 次に、河合参考人にお願いいたします。河合参考人
参考人(河合洋祐君) 聴覚障害者といたしまして、このような席で発言をさせていただくことを心からお礼申し上げたいと思います。
 一応口頭でもってお話しいたしておりますが、私は十五歳のときに聴覚を失いまして、左右とも全聾でございます。家族の声は当然聞こえませんし、自分の声も自分で聞くことができません。フィードバックのいかない体でございますので、果たして私の口で話すことがイントネーションやアクセント面でおかしくなっていないか、私にはわかりませんので、お聞き苦しいところがございましても御寛容のほどお願い申し上げます。
 私どもが民法九百六十九条の公正証書遺言に手話通訳をつけることを強く願いましたのも、聴覚障害者という問題につきまして、一般の社会の理解、認識がまだ十分ございません。そのために、手話についてのコミュニケーションにつきましても理解が届かない面がございますので、一応、聞こえない障害とはどのようなものなのか、コミュニケーションはどうしているのかということについて簡単に話させていただきたいと思っております。
 聴覚障害と申しましても、先天性のように生まれたときまたは幼少時に失聴したかどうかというような失聴年齢の時期、また教育のレベル等によって違ってまいります。さらに、生育歴と申しまして、どのように育てられたのか、そして教育環境はどうであったのか、その生活内容はどうなのかということでまた障害の立場が違ってくるわけでございますね。ですから、一律に聴覚障害者と申しましてもさまざまな人たちがいるわけでございます。
 御理解をいただくために、大体生まれたときからまたは幼少時から聞こえない人たちを聾者といいます場合、ある程度成人してから聞こえなくなった人は中途失聴者というように表現しております。さらに、高齢化して難聴になられた方は高齢性の難聴者として区別しております。
 このような障害の違いがある上に、コミュニケーション手段になるとさらにいろいろございます。
 一つは、当然、聾者の用いている手話でございますが、この手話につきましては後でまた詳しく説明させていただきますが、その手話に対して、専門用語や外来語、そういったものにつきましては指文字というものがございます。あいうえおの五十音を指の形であらわすものでございます。そのようにして手話をメーンとし、指文字で補ってコミュニケーションをやる面を持っております。それが聾者という人たちです。
 次に、中途失聴者の場合は、成人してから聞こえなくなったために自分の口で話せます。けれども、手話通訳者のような方々がいない場合にはわからないわけでございますね。例えば、この席でもって私が自分の口で話したとしても、先生方のおっしゃることは手話通訳者の手話を見なければわからないわけです。ですから、私のように中途で失聴しましても、手話ができる者は手話通訳を使います。できない者は筆談を用います。ですから、口頭で話す、口話と言っておりますが、その口話と筆談が中途失聴者のメーンの方法になります。
 難聴者になりますと、補聴器を使ってある程度会話ができます。また、人工内耳というのが開発されておりますので、そういう方法でもって聴力を補うということもやっております。
 ですから、コミュニケーション方法には手話があり、口話があり、筆談があり、指文字がありという状態でございますね。
 その上さらに、聾重複という人たちがございます。これは耳が聞こえない上に知的障害を持つ、または精神障害を持つ、肢体不自由を持つという、障害が二重三重に重なった人たちです。例えば聾盲の人でございますと、触手話と申しまして、聾盲の人に通訳者の手をつかませて手話をやる方法をやっております。逆に、盲聾と申しまして、先に目が見えなくなった後に耳が聞こえなくなった場合には指点字というようなコミュニケーション方法を用いております。そのように、多様なコミュニケーションがあるということを御理解いただきたいのです。
 ところが、一般の方の理解と申しますと、ほとんどが紙に書くという筆談の方か、または口を大きくゆっくりあければわかるという、リップリーディングと申しまして、読唇術でございますね、それで理解できるというふうに考えられております。
 ところが、実際に、読話と申しまして、我々は読唇術を読話と言っているのでございますが、おのずから限界がございます。
 私も過去、印刷会社の課長を務めて非常に苦しみましたのは、会議のときに手話通訳をつけていただけなかったのです。企業の機密に関することを話すとき、第三者は認めないと言われまして、それで当然同じ課長や部長の方々の口元を見るのでございますけれども、一人の発言が終わったか終わらないうちに次の方が発言する場合に、私は耳が聞こえませんから、その発言された方の方をみんなの視線に気づいて振り向いた場合にはもう発言が終わっている。そういうこともございまして、口話には限界があったわけでございますね。ですから、手話というものを非常に大切にするようになったわけでございます。
 そういうわけで、聴覚障害者は筆談とか口を大きくあければわかるというような単純なものではないということをまず御理解いただきたいと思います。
 それでは、私たちのような聴覚を失った者は何をコミュニケーション方法にするかといえば、手話でございます。ところが、手話といいますのは、実は長い間、偏見と差別の対象にされてまいりました。はっきりと申せば、低脳な、耳の聞こえない人間がおかしな手ぶり身ぶりをやるというような認識程度でございます。そのために、聾学校の教育においても手話を排斥され、そして口話というものを強制的に指導したわけでございます。
 これはコミュニケーション方法として口話がいいという意味ではないと私は思っております。一般の社会が障害者を欠陥人間とみなし、無能力者とみなしておりました。そういう時代には障害者に対する理解は非常に不足していたと思いますので、健康な人間、要するに五体満足な人間がノーマルな人間であって、私どものような障害者は欠陥人間、社会の落ちこぼれとみなされたと思います。そういう立場で、口で言えることが一番大切である、手話などというものは一般の社会では通じない、そのように見られて排斥されたと思っております。
 けれども、手話といいますのは音声言語と同じようにはっきりとした言語でございます。構造上の違いはございますけれども、十分な言葉として成り立っております。当然、手話には文法がございます。けれども、手話の構造が違うと申しましたのは、例えば雨が降るというような表現の場合、雨という名詞を言い、そして降るという動詞を言いあらわします。けれども、手話で言いますと、この動作は一つだけで終わってしまいます。要するに、雨の降る形をそのまままねて、身ぶりであらわしているわけでございます。
 このように、手話といいますのは、文章と違いまして、物、形、物の動きをもってあらわす、写像性といっておりますが、そういう表現をとります。さらに、手話の特徴は、同時性というものもございます。例えば、赤信号がともって車をとめたという場合には、赤信号点滅の後に左手で車の形をあらわしまして、同時に二つの意味をあらわしてしまいます。そういう同時性もまた手話の特徴でございます。そういう面について十分手話が研究なされないために、いろいろ誤解を生んできたのではないかと思っております。
 現在、全日本聾唖連盟が編さんしました日本語―手話辞典というものがございます。その手話辞典でございますと、八千三百二十語が収録されております。皆様が日常の会話として使う言葉が平均一万語と言われておりますから、我々の手話でもって十分対応できる。しかも、八千三百二十語はまだすべてではありません。記載されていない手話もまだ多くございます。そういう意味で、手話に対する認識をぜひ改めていただきたいと思っております。
 次に、民法が制定された時期の問題でございます。
 レジュメでは一八九三年となっていますが、一八九八年の間違いでございます。一八九八年が正しいわけでございますね。明治三十一年でございます。
 この民法が制定された時期はどのような状態かと申しますと、聾唖者自身が満足な学校教育を受けられない情勢でございます。明治十一年に、一八七八年でございますか、京都の盲唖院というものが建てられまして、そこで学校教育が始まっております。しかし、わずかに京都、大阪、東京のような大都市につくられたわけでございまして、全国的に教育が普及してはおりません。大正十二年の盲聾学校令がしかれたときでさえ一〇%台の就学率になっております。そして昭和二十年、日本が敗戦を迎えた前後においても聞こえない者の就学率は二〇%から三〇%と言われております。
 ですから、昭和二十二年、教育基本法が制定されまして特殊教育の義務化がなされ、その後、学校が整備されまして、ほとんどの聾唖者が学校に通うことができるようになります。そして、この中から高等教育を受けた者が弁護士の資格や一級建築士の資格を取っていくようになっていくわけです。
 ですから、明治時代の聾唖者の状態と現在の聾唖者は全く違っております。そういう認識を持っていただいて民法の改正に取り組んでいかれれば、私どもとしては本当にうれしいと思っているわけです。
 私が所属しております全日本聾唖連盟という組織は全国的な聴覚障害者の組織でございまして、会員は二万七千名でございます。毎月十ページから十六ページの機関紙を発行いたしております。この全日本聾唖連盟は一九四七年に発足したのでございますが、手話というものを社会に認識していただくために、一九六九年に手話をイラスト化した「わたしたちの手話」という本を発行いたしまして、この本は国民の間に既に二百三十五万部普及しております。そして、一九七六年には全日本聾唖連盟独自の手話通訳者の認定試験を実施して百二十名の認定通訳者を生み出して、通訳者のレベル向上に努めてまいりました。
 また、各地域におきまして、県及び市町村の地方自治体において手話講習会を要望しまして、現在、都道府県は四十二カ所、市町村では三百十カ所が手話講習会を開いております。さらに、全国に一千六百八十七のサークルを誕生させ、約四万人の方々が手話を学んでおられます。
 このような情勢に対しまして国がどのような事業を展開したかということでございますけれども、一九七〇年に手話奉仕員養成事業を初め、その後、手話通訳設置事業、手話奉仕員派遣事業等、事業を拡大させまして、一九八二年には厚生省は私ども連盟に対しまして手話通訳制度調査検討事業を委託されました。
 この事業の中で、私どもは、一つは聞こえない者の生活実態でございます。教育、労働、生活、医療関係においてどのような生活をしているかということを明らかにし、これら聴覚障害者には手話通訳が絶対必要である、そしてこの手話通訳者の制度を国の責任としてつくる必要があると報告書をまとめました。そして、手話通訳制度には養成、認定、設置、派遣が必要であるということも明記いたしました。この結果、厚生省は一九八八年に手話通訳士の認定制度を発足させ、現在までに全国に九百六十四名の手話通訳士が誕生しております。
 したがいまして、民法九百六十九条を改正し、公正証書遺言に手話通訳をつける場合には、十分手話通訳を通して聾唖者は遺言の内容を公証人に伝え、公証人の話すことを手話通訳を通して十分に理解できるということをお話し申し上げまして、私の話とさせていただきます。
○委員長(風間昶君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
北岡秀二君 自由民主党の北岡でございます。
 きょうは四人の参考人の皆様方におかれましては、大変お忙しいところ、このように御出席をいただきまして、私どもに貴重な御意見をくださったということに対しまして、まず御礼を申し上げたいと思います。
 四人の参考人の皆様方に一点ずつお伺いをさせていただきたいと思います。
 まず、田山参考人にお伺いをしたいと思います。
 先ほどの話の中でドイツの世話法の話も出てまいりました。当然、日本の後見制度の今度の改正についても諸外国の制度との対比、あるいはいろんな面でそのあたりのプラス、マイナスをいろいろ議論しながらくみ上げてきたものだろうと思うんですが、先生の立場でドイツなどの諸外国で実際に成年後見制度の運用についてどのような課題があるのか、その実情をちょっと御紹介いただきたいなと思います。
 その実情とあわせて、それらの問題点で我が国の成年後見制度にとって参考になるようなことがございましたら、先ほどもお述べいただいたんだろうと思いますが、さらにつけ加えてお伺いをしたいと思います。
 よろしくお願い申し上げます。
参考人(田山輝明君) それでは、ドイツの世話法との関連で若干補足的に発言させていただきます。
 まず、運用面で一番気がつきますことは、一九九二年に世話法が施行いたしまして、その後いろんな改正点というのが出てきておりますが、実際に世話に携わった方々の中から一番強く出ておりますのは、世話人になった方は基本的にはボランティアの方、親族の方が非常に多いんですが、大ざっぱに申しますと、やはり八〇%近くが親族による世話ということになっております。
 しかし、その残りの中で本当に純粋にボランティアでやっていただいている方と、それからいわゆる職業世話人といいましょうか、ある程度報酬をいただいて責任を持ってやっていらっしゃるという方がおられまして、世話協会というところに職業的な世話人が何人かおられて、その一人一人の職業世話人の周りにボランティアの方々が何人かおられて、その人たちをうまく指導したり話し合いをしたりしながらやっているというのが実態でございます。
 その場合に、いわゆる職業世話人の方々からもう少し報酬を上げていただけないかという要求が非常に強く出ております。それは、一方では大きな財産管理をするような場合にドイツでも弁護士さんが世話人になったりいたしますが、その場合には弁護士さんとしての報酬基準というのがございまして、日本と同じように普通の福祉の世話人の方に比べますと結構時間単価などが高いわけです。そういうような比較の中で、実際にやっている仕事としてもう少し評価してもらえないかというのが実際の弁護士さんなんかではない世話人の方から非常に強く要求が出ているということがございます。
 それからもう一つは、裁判官の仕事が相当ふえるということで、ドイツでは区裁判所といいまして、日本の簡裁に近いような区裁判所というところで家庭裁判所的な機能を営んでおりますが、そこでの裁判官の増員というのをしております。
 それで、大ざっぱなことで恐縮でございますが、例えばミュンヘンという大変有名な町がございますが、そこに百数十万の人口があって、そこに区裁判所がありまして、そこの区裁判所には百五十人ぐらいの裁判官がいるんですが、その中で十三人が後見事件を担当しております。そこから逆算していきますと、東京は恐らく百何十人かの裁判官を用意しないとやれないんじゃないかというような感じでございます。
 裁判官が実際に世話決定をするときには御本人に面接をするためにタクシーで駆けつけて会ってくるとか、そういうような非常に実際的な仕事を裁判官はされた上で判断されておりますので、そういうところまで一挙に行くことができるかどうかは別としまして、本格的にやるということになりますと、そのくらいのところまでを見通したような形で少し日本の家庭裁判所の充実を図っていただくということが必要なのかなというふうな感じは持っております。
 以上です。
北岡秀二君 ありがとうございました。
 時間の関係で、続きまして副島参考人にお伺い申し上げたいと思います。
 私、実は副島参考人にお伺いしたいなということをいろいろ考えておったんですが、きょうのお話で大体いただきました。さらに、先ほどから厚生省の地域福祉権利擁護制度との絡みの話をかなり熱心にお話をされておられましたが、この成年後見制度との補完という問題で、先ほどのお話にもございましたが、運用上もっと具体的にどう調和を図れば両制度がよりよく利用されるかという部分の話がございました。その部分を実はもっと深く掘り下げてお伺いしようと思ったんですが、具体的な部分で先生がまだ言い足りないところがございましたら、つけ加えてお伺いさせていただきたいと思います。
参考人(副島洋明君) 大体、概略でそこを重点的にしゃべらせてもらったんですけれども、やはりそこが一番大事だと私も思っております。
 それで、やはりもっと具体的に踏み込んで私の単なる期待みたいな、本当に現実的ではないかもしれませんけれども、例えばこうなればいいなというふうな話をさせてもらえると、法人後見人という形での機関にやはり社協が受けてくれと。例えば地域福祉権利擁護の運営主体は都の社協社会福祉協議会ですけれども、実施主体はやはり市町村とか、ある面ではNPOでもいいわけですね。
 そうすると、ある面では公的な資金の事務局体制とか事務所とか、ある面では先ほどのボランティアの人たちでも結集できるような実施主体のところに早急に社協を通した形で、この地域福祉権利擁護事業の一環という形をとりながら、実施主体に法人後見人という形をもう実施していただけないか。そこの中で、例えば私らなんかの弁護士もある面では専門員みたいな形でかかわっていく、そして世話人さんにはある面では福祉の職員とかリタイアしたさまざまな学校の先生なり福祉の元職員の方なりに入っていただく。その中で、弁護士なりお医者さんなりさまざまな経験を持っている人が専門員という形でつながっていく。そういう基盤みたいなもの。
 今は生活支援員を民生委員さんにターゲットを絞って厚生省は大変働きかけていますけれども、聞くところによると多くは断られると。それは、今まで自分がやってきた仕事とやはりこの生活支援員の仕事、一時間千五百円でとにかくやっていただけないかといっても、自分をバックアップしてくださる専門家、例えば弁護士とかいろんな意味での相談というものがないところで大金をいろんな意味でさわる、いろんな意味で権利の具体的な、お医者さんとの関係、入院契約にしても、具体的なある意味で重要な部分にかかわっていく仕事なものですから、やはり僕はそこは素人の人に頼むにしてもやはりバックアップ体制みたいなものはきちっととらなくちゃいけない。
 そういうものを、確かに弁護士だと投げ渡しやすい、おまえは法律家だから全部やってくださいと。ただ、その場合は高くなっちゃう。もう大変お金の負担とかいろんな意味で、確かに弁護士であっても事務所を持ち事務員さんを抱えていますので、自営業者でやっていく上でどうしても時間単価とか日当的なものは高くなってこざるを得なくなる。それよりも、事務所機能をそういう地域での公的な法人後見人的なものが自立した形でつくり出されていくならば、運用はもっとスムーズに図られるのではないかというふうに、これはあくまで私の、副島の個人的な期待感みたいなものですけれども。
 そういうふうに進められていくと、先ほど言った重い人たち、特に成年後見の対象となる被後見、被保佐の人たち、この人たちはもう地域福祉権利擁護事業では排除されていますので、どうしても成年後見でしかない。そうすると、やっぱりそこに何百万と使うのはもうお金持ちの人、普通の人だって今のままでは使えません。貧しい人なんて言わなくても、普通の人でも成年後見制度は使えません。やっぱり普通の人が使える制度にしていただきたい。それは特別大金持ち、ある程度、何千万、億に近いお金を持たないと弁護士さんに頼めないという制度ではなくしていただきたい。普通の退職金で、退職されて普通の家族の暮らしていかれる、年金なりで暮らしていただく方でもある程度弁護士の成年後見人を使えるのだという利用、実施主体の体制づくりに早急に僕は踏み込んでいただきたい。そうじゃないと、本当に残念ながら、成年後見制度はある程度法文としては前進し改革を進めましたけれども、実際の使用、使う面となるとほとんど使えない。
 まず、その面は大きな意味でお金である、そして管理責任体制だと。特に、知的障害者の場合、私は、つくとしたら一生だという形になっていく場合に、やはり相当びびっちゃう。お金の問題じゃない、もう自分の一人の子供を抱えたんだ、自分が新しい自分の子供を世話していく、面倒を見ていく子供を一人ふやしたというぐらいの責任感みたいなものを伴うものですから、その辺のやはり判断というものをもう少し詰めていただかないと僕は使いにくい。もっと使える制度にしていただきたいというふうにお願いしたいと思います。
 以上です。
北岡秀二君 ありがとうございました。
 続いて永島参考人にお伺いをしたいと思います。
 今の話とも多少関連があることでございますが、このたびの法改正でいろいろな部分の改正がなされているわけですが、新たに補助の制度がつけ加えられたというような形もございます。利用する側あるいは家族の立場から見て、今後痴呆のお年寄りにこの補助の制度が広く利用されるかどうか、ちょっと感想をお伺いしたい。
 先ほどのお話の中で広く利用されるPRをもっとというような話もされていらっしゃいました。これはもうこの分野のみならず、我々政治、行政に携わる者からすると、いろんな制度、新しい制度も出しながら、なかなか国民の中に広く伝わらないという大きな壁を持っております。この制度に関して、利用される立場の観点から何かPRの方法でおもしろい発案がございましたら、おもしろいというか斬新な発案が具体的に何かありますれば、また御教示をいただきたいと思います。そのあたり、よろしくお願い申し上げたいと思います。
参考人(永島光枝君) 補助がどういうふうにすれば使いやすいかとか使われるだろうかと。これは、今までのお話を聞いておりますと、禁治産、準禁治産の制度というのはもうこれで終わって、新しい成年後見法ができたのだというふうに私たちは解釈をしております。ですから、そのときの禁治産の頭を引きずっていないで、一応そこのところはもう払拭して、この新しい制度で立ち上げるのだと。
 実は、私ども家族の会の普通の一般的な市民というかそういう人たちは、禁治産、準禁治産というようなことをこの成年後見法のことが出てくるまでは余り皆さん知りませんでした。こういう新しい法律が出てくるということで、あっ、そういう法律があったのかと、逆に。ですから、成年後見法は本当に今全く新しくできた法律として私たちはとらえているわけです。
 ですから、そうしますとやっぱりお金の問題とか、それから本人をどのように、本人の幸せが一番だけれども家族も両立して家庭崩壊や何かがないような方法を考えていかなくてはいけないというときに、今まで隠されていた部分、表にあらわれていなかった部分が相当あると思います。それは、先ほども言いました恥ずかしいとかそういうような、自分たちのそういう意識も含めて。ですけれども、そういうことがだんだんなくなってきましたし、なくならざるを得ないような社会的な状況もあるんです。
 ですから、こういう制度ができたら使いたいというのは、実は私たちが先ほど言いましたアンケートをとったときに、非常に必要だと思う人が五四%で、必要であるという人が四三%、わからないという人が三%で、反対だというような人はありませんでした。ですから、潜在的に、こういう制度についてPRがあれば非常に使われるであろうというふうに思います。
 そのPRの仕方ですけれども、これはやっぱりたくさんの量をこなして、そして私たちも積極的に取り組みますけれども、いろんなところで一般的なPRをしていくよりほかないでしょうと思いますけれども、最高裁の方ではもう既にいろんな御準備をなされているというようなこともちょっと伺っております。
 ですから、そのためにも早くつくっていただいて、先のないお年寄りたちのためにも家族も安心して使われる制度にしてほしいというふうに思います。ちょっとお答えにならないかもしれませんけれども。
北岡秀二君 ありがとうございました。
 続いて、河合参考人にお伺いしたいと思います。
 このたび遺言が手話によってもできるようになったということで、そういう意味では一歩前進ということでございますが、聴覚・言語障害者の方々にとりましてはまだまだ不便なところもたくさんあるだろうと思います。
 質問させていただきたいのは、このたびの法律に直接関係ないことかもわかりませんが、聴覚・言語障害者の方々にとりまして司法、法務行政関係で我々が気がつかない、まだまだ改善すべき点というのもあるだろうと思います。とにかくチャンスを平等にという部分で我々もいろいろ改善をしなければならないところもあるだろうと思いますので、私どもが気がつかない部分で参考になるようなことが何かございましたらお教えをいただきたいと思います。
参考人(河合洋祐君) 私は、今から三十年ほど前に障害者の、私と同じような耳の聞こえない障害者でございますけれども、その傷害致死事件の裁判で救援活動を起こしたことがございます。
 例えば、普通の場合、面接権というのがございます。何か犯罪を犯した場合に、捕まって弁護士を呼ぶ場合の面接権でございますが、例えば手話通訳を呼ぶ場合にきちんとした派遣制度がない場合には、弁護士に来てもらっても話は通じませんから通訳者をつける必要がございます。そういう面で、どの程度十分な便宜が図られているかはっきりとしないと思います。
 さらに、裁判所において十分手話通訳者を養成するということをやっていないわけでございます。本来は、裁判に必要な十分な法律用語を駆使できる通訳を養成、設置ということは裁判所の責任でやっていただければ我々としてはありがたいわけでございます。ところが、そういう制度がないので、一々行政の手話通訳の派遣制度を利用して通訳をお願いするということになるわけでございます。
 それともう一つ問題は、刑法四十条が撤廃されたことは御承知と思います。これは聾唖者に対して罪の減免を決めている法律でございますけれども、法律は撤廃されても聾唖者の置かれている立場についての新しい措置制度は全くとられておりません。例えば、聾唖者が捕まった場合、当然ラジオは聞こえません、雑誌や新聞を読む国語力を十分持っていない者がおります。当然、一緒に捕まった同室者とコミュニケーションはできません、手話でございますから。そういう面について何も措置をせずに、刑法四十条だけは撤廃されてしまったわけでございます。これが本当に使われるのかどうかという問題です。
 前からテレビでたびたび報道されております岡山の聾唖者、十分な教育も受けられなかった聾唖者がコミュニケーションをとれぬために非常に裁判が難渋した問題が出てまいりました。そういう聴覚障害者の実態に合わせてコミュニケーションをどう確保するのか、そういう面についての検討が十分なされていないように思っております。
北岡秀二君 ありがとうございました。
竹村泰子君 きょうは早朝から私どものために参考人にお出ましをいただきまして、田山先生、副島先生、永島さん、河合さん、本当にありがとうございます。
 少しく許された時間、質問をさせていただきたいと思いますけれども、田山先生、最初に個人的ケアの原則で、非常に補助類型について柔軟な運用が必要であるというふうにおっしゃいました。
 本人意思の尊重ということで、私どもも先日来の審議の中で、今の現状でどのように本人の意思を確認するのか、十分にできると思っているかどうか、そういうことを聞いてまいりましたけれども、なかなかずばっといい答えが戻ってきておりませんのですけれども、その辺につきましてもう少しおっしゃりたいことがございましたらお願い申し上げます。
参考人(田山輝明君) 本人意思の尊重というのは、御本人の意思をうまく周辺の人また必要としている人が引き出せるかということでどういう方法があるかということなので、これはそういう判断能力に障害があると申しますか、そういう方のことであるだけに大変難しいというのは御指摘のとおりでございます。
 ただ、例えば本人が判断が本当にできていないのかどうかということについて、人間として生きていて自分の意思がほとんど、例えば欠けているというような表現をとってそういう表現が許されるとしたら、そういう人というのは本当にいるのかということで考えていきますと、私も専門でないのでよくはわかりませんけれども、人である以上自分の意思のないということはないんだと。だから、ただ周りでそれを理解できないだけだという、理解といいましょうか、前提をとるべきだろうと思ってはおります。
 ただ、そのときに、一番親しくしている人がいろいろな方法で問いかけたりしながら時間をかけて、たしかオーストリアの法律だったと思いますが、いたわりを持ってという表現をとっている法律の条文があるんです。裁判官が本人を訪ねていろいろ聞いたりするときに、いたわりの心でというような表現をたしかとっていたと思うんですけれども、そういう形で、いたわりというのはどういうことがいたわりなのかよくわかりませんけれども、時間をかけていろんな人の援助を得ながら御本人の意思を探っていく。そういうようなことが重要なんだろうと思いますので、できましたら、最終的な決断をする、判断をする裁判官が、必要でない場合もあるという意見もあるんですけれども、やはり直接御本人に会って言葉では感じられない何かも感じながらその判断をするというようなことも含めて、本人意思を尊重するというようなことで運用していただけるとよろしいのではないかというふうに思っております。
 補助類型等の対象者につきましては、時間をかければ、またそばにいらっしゃる方の援助をいただければ、相当本人意思を尊重するということはできるだろうと思います。いずれにしましても、御本人のことをよく知っている人の援助が必要だというふうに感じております。
 以上でございます。
竹村泰子君 私も昔、重度障害者の施設に奉仕に行っていたことがあるんです。
 本当に、声をかけても呼んでも何の反応も示してくれない、無表情で、そしてただ一点を見詰めておられて、ほかの子供たちというかほかの仲間たちがいろんなお話をしたり歌を歌ったり騒いだりしていても全く何の反応も示さない。もう素人の私どもはどうかすると、この人は何もわかってくれないんだ、だから何を言ってもむだだというふうな感じで対応してしまいがちですけれども、ある日そうではないことがわかって、この人はもうみんなわかっていたんだ、そういう反応を示されたことがあって愕然とした思いがございました、映画とか小説とかにもそういうことがありますけれども。
 ですから、本人の意思の確認といっても、今、先生がおっしゃいましたように、本当にその人を熟知していつも接している人と一緒に行うようなことがやはり非常に重要だろうと思うのですけれども、しかし、そうかといってなかなかそうばかりは言えない場合もございます。
 先生が御指摘なさいました、私どもも先日来質疑の中で地域福祉権利擁護事業との関連で裁判所機能の強化充実という、ドイツの世話法のように裁判官が非常に身軽に本人のところへ行って面談をして、そしていろいろと御要望を聞くというふうな、そういうためにはやはり裁判所の現在の状況では全然対応できないだろう、特に補助類型の方たちのこれからの訴えあるいは要望が非常に多くなっていくときに全然対応できないだろう。
 人材の確保あるいはマンパワー、そういった補充、予算面も含めてどうなっているんだというふうに質問もしておりますけれども、それも特に人材養成とかそういうことは考えていないようでございまして、既存のいろいろな事業に携わっている福祉関係の方たちとか人権擁護委員の方たち、あるいは司法書士、弁護士はもちろんですけれども、そういう方たちをお願いすることで十分足りるというふうに政府は答えているのですけれども、先生、ここに特に「裁判所機能の強化・充実」というふうに書いていらっしゃいますし、「人員の補充が不可欠である。」とお書きくださっております。その辺のところをもう少し教えていただきたいと思います。
参考人(田山輝明君) これもちょっとドイツとの比較で恐縮でございますが、一九九二年に世話法を施行する際に裁判官に対してアンケート調査をしたことがございまして、そのときに、人員補充が必要かどうかという点につきましては、ほとんどの裁判官が人員補充が必要だというふうに答えておられましたし、裁判官自身が既に、施行直前、若干余裕がございましたので勉強をされていたというようなことはございます。
 先ほどミュンヘンの例を挙げましたが、大体十人前後の後見専門の後見部、俗に後見裁判所と言っておりますが、後見部で十人程度の裁判官がいたところでは少なくとも三人前後ぐらいの補充をして、もともと後見を専門にやっていた人が十人ぐらいいるところに新たにさらに三人ぐらいを補充するという程度の補充をしております。これはただ裁判官だけの話ではございませんで、ドイツでは裁判官と書記官といいましょうか、事務官との間に司法補助官という裁判官の職務を部分的に処理できる資格を持った方がおられまして、一般にレヒツプフレーガーという司法補助官と呼ばれている人ですが、こういう方がいて相当裁判官を補助してくれるんです。裁判官の仕事も実際上やってくれます。そういう意味でいいますと、日本ではその制度がありませんので、日本の今の制度でやるとしたらもっと担当裁判官の数をふやさなきゃいけないというふうには思います。
 それともう一つは、調査官、特に家裁が対象になりますので、家裁の調査官の中に法律的な素養、キャリアを持った調査官もだんだんふえてきておりますけれども、もう少しそういうところをふやしたりしながら裁判官をバックアップしてもらうようなシステムで、ぜひその点は予算措置も含めてお考えいただきたいと思います。つまり、成年後見制を生かすためにぜひお願いしたいと思っております。
竹村泰子君 ありがとうございます。
 それでは、副島参考人にお伺い申し上げます。
 前もってレジュメをお送りいただきまして、私たちも拝見していたわけですけれども、このままでは障害を持った人たちの権利擁護とは決して言えない、このままでは使えないとまではっきりおっしゃったわけです。しかし、先生はお立場でこれまでいろいろな障害を持つ人たちの権利擁護のために中に飛び込んでさまざまな活動をしてくださった、その御体験から言っておられることを私どもは非常に重く受けとめるわけであります。
 先生は先ほども、今回の新法の改正については評価できるところもある、一歩前進として賛成して受けとめたい、しかし、という立場でおっしゃっているわけです。私たちも先生に指摘されるまでもなく、非常に費用がかかるのではないかということ、そして低所得層の方、あるいは重い障害を持った方、期待されるところは特にそういうところですから、本当に成年後見制を使いたいと期待して待っている方たちのためにはならないと言われますと大変これは困った、どういうふうに改正していけばいいかと思うわけなのですけれども、もう少し参考人の御意見を伺わせていただけますでしょうか。
参考人(副島洋明君) 私とすれば、すぐということはある面では不可能でしょうし、ただ見直し規定みたいなものの中で、先ほどの北岡先生からの質問の中で答えたように、やはり法人後見人制度というものを充実する、それで福祉の機能とこの成年後見制度をどこかで一体的に運用していく制度としてつなげていかなくてはいけない。
 その際に、やはり田山先生からも出ていましたけれども、私のレジュメの三ページの三項の三のところで、この三類型を弾力的に運用していただきたい、最終的には原則類型は補助人類型だとして解釈していただきたい、そういう立場の運用をしていただきたいと私は書いています。これを能力分類論で機械的に、例えばIQのような形で判断しちゃうということだけはやめていただきたい。やはり原則は補助人類型という形の運用をしていくと地域福祉権利擁護事業とのかかわり方に本当につながりますので、ある面では支援者がいて契約可能になるという分野、そういう支援人の介助契約、いろんなものを今後介護保険に伴って契約化が進んでいく、そういう際の横の支援者がいていろんな形の説得と説明と支援者の横の形で契約化が自己決定なり選択という幅が開けていきますので、私とすればやはり基本は、原則類型はこの補助人類型だと。
 そういうことを踏まえてこの成年後見制度が運用されていきますと、地域福祉事業とのつながり方もできる、そして法人後見人という制度が公的な福祉制度としてさらに充実化して地域の市町村の単位ぐらいのところに必ずこのNPOみたいな形として存在し得ていくともっと本当に権利擁護の支援制度という形で使えていくのではないか、そう思います。
 それと、これは私に対する質問じゃなかったんですけれども、田山先生のところで通訳という問題が出ました。これは大変重要な問題で、成年後見制度の場合も河合さんが通訳の必要性を手話という形で説明された。ただ、本当に知的障害者の方、そして痴呆高齢者の方、この方もやっぱり通訳なんです。基本的には権利擁護は通訳なんだ、本当にその人の意思、その人の決定、その人の言葉だけ、我々は言葉だけで考えますけれども、活字とか文字だけで我々はコミュニケーションを換算しますけれども、そうじゃない、ボディー表現だってあるんだし、目の表現だってある。さまざまなその人のコミュニケートを我々はその人の意思決定というものを尊重してどう支援していくかというのは、ある面じゃ本当に通訳というのはもう不可欠な支援の形態なのですから、そこはやはり充実していくということをしていかないと本当の意味でのその人の選択、自己決定の支援にはならないのだと。だから、河合さんが通訳、手話ということは本当に独自の文化であり、決して活字、言葉の文化に劣らないということを御説明いただいて、私も横で聞いていて大変勉強になったんですけれども、本当だと。
 知的障害者の人たちにも痴呆高齢者の人たちにも、さまざまなハンディを持っている人たちはやはり表現、コミュニケートで苦しんでいますので、そのコミュニケートを本当に支えていくということを通じないと権利擁護、支援という形にはつながらないだろう。その意味でも、その質の問題をやはり大事にして、研修制度とか専門的な養成とかというものをどこかでやらなくてはいけないんではないか。さまざまな意味で、聴覚障害者だけじゃなくて知的障害者の方たち、精神障害者の方たちも河合さんたちと同じように刑事手続なり裁判手続の中で本当に無残な実態にありますので、表現は言葉だけじゃない、言葉だけの文化ではないんだ、その片言の言葉でもさまざまな表現を人はできるのだということを堂々と刑事手続、裁判手続の中で本当にそれを認めていかないといけないなといつも現場の中で感じています。
 以上です。
竹村泰子君 ありがとうございます。
 そして、先生の結論的な御発言として、公的な援助体系をつくっていかないとやはり十分に機能しないということで、その上で家裁を後見人裁判所のような役割を果たさせるような、将来的にはぜひそうしたいというお言葉でございまして、私も全く賛成なのですけれども、何かそのような公的な援助体系をつくるために、あるいは後見人裁判所のようなものをつくるために、先生がこれまでいろいろなお仕事の中で働きかけられ、あるいは運動され、そしてそれに対してどんな反応が戻ってきているのだろうかというようなことをお伺いできたらありがたいのですが。
参考人(副島洋明君) 残念ながら、このことは関係ありませんけれども、司法制度改革が、設置法がつくられて、弁護士会もさまざま法曹界も本当に大騒ぎ、本当にそれはチャンスだと。
 それは、裁判所の機能も含めて、司法制度改革というものが大きな意味でこの公的後見人と私が言葉で言っている制度も含めて、司法制度、知的障害者の人たち、さまざまなハンディを持っている人たちの訴訟制度、権利擁護の制度みたいなものも含めてやはりつくり出されないと、現状の、例えば僕は家裁というのは本当に夢がある裁判所だと、現実じゃなくて、あそこはさまざまな可能性を持っているんだから。だから、今後の二十一世紀の司法制度の改革というところで二十一世紀の社会ということをよく書いていますけれども、そのときは家裁の機能というものが本当にもっと大きな機能という形になる社会、それはさまざまな人が、それぞれがやっぱりそれぞれの文化を持ってそれぞれの人たちが大切にされて、その紛争なり権利主張、権利実現というものを支援していける社会。そうなると、今の現状は本当に変わっていただかなくてはいけない。それは、やはり司法制度のあり方としてこの問題は司法制度改革の本当に大きな課題としてつなげていかなくちゃいけない課題だと。
 私も、障害者の人たちの人権保障制度というものを司法制度改革の本当に中心課題として据えなくちゃいけない、据えてもらわなくちゃいけないといって、遅まきながら今一生懸命周りの連中に声をかけてやるぞやるぞといって動き始めているところです。本当にこの成年後見制度をさらに司法制度改革の中でもっと体制も変え、抜本的に裁判所の仕組みが変わっていくということをやっぱり展望し抜かないと、本当の意味で知的障害者とかあるいは重い痴呆高齢者の方とか精神障害者の方たちの人権保障のシステムというのは不可能だろうなと現場でいつも感じております。それは今チャンスだと思っております。
竹村泰子君 ありがとうございます。
 高齢化社会を迎えておりまして、呆け老人をかかえる家族の会と一口に言っても、もうそれは大変な地獄のような状況も出現するわけでありまして、そういう中から御活動をしてくださっている永島さん、そして御自分の聴覚障害の中から実体験に即して参考人としておいでくださいました河合さん、お二方には時間がなくて質問をすることができなくなってしまいました。お許しをいただきたいと思います。
 ありがとうございました。
○魚住裕一郎君 公明党の魚住裕一郎でございます。
 きょうは、四人の参考人の皆さん、朝早くから大変に御苦労さまでございます。
 何点かお話を伺いたいなと思うんですが、まず田山先生、いろいろ比較法的な面も含めてお話をちょうだいいたしたわけでございます。この成年後見制度、新しい民法改正という形で提案されておるんですが、この法律案、実は自自公なんて言われておりますが、自自の時代に実は出されておりまして、私が参加すればもっと違ったものになるななんて実は思っておったんです。
 私も法学を学んだ者として、民法は総則から順番に勉強していきますね。そうすると、人が出てくる、自然人が出てきて、いきなり行為能力の問題になってくるんです。そこはあくまでも私的な取引に参加させる意思能力、そしてその類型化としての行為能力という制度を立てて、どうこの能力を補完させるかという観点で制度が立てられているわけです。
 今、時代が大きく変わって、一世紀なりました。ドイツの世話法ということを考えてみると、私は民法の改正というよりは、類型化しなくても結構ですが、こういう意思能力、事理弁別能力に劣る方に一括した新しい別途な、民法ではなく別個な法律をつくった方がもっとわかりやすいし使いやすい制度になるのではないか。厚生省の事業もありますけれども、それとももっとリンクしやすいのではないか、そんなふうに考えるんですが、法学部長、大きな立場でありますので、ちょっとその辺の御意見ありましたらお願いいたします。
参考人(田山輝明君) 御指摘の点については、私もこの問題が議論されました初期の段階ではそういう観点で対応をしておりましたので、非常によく理解できます。
 ドイツの世話法の守備範囲は必ずしも日本のとは違いまして、先ほど私の最初のお話の中で申し上げました原則との関連で言いますと、必要性の原則なんです。ということは、障害というものはもうさまざまな障害がございますので、その判断能力の点の障害に限らず、身体的なものも含めまして、言語機能とか全部含めまして、日常の生活をしていく上でつまり何が必要かということは、どういう援助が必要かという観点で出てくるのが本来的な世話法なんです。
 それで、世話法の中には判断能力の問題が含まれますので、そういう意味では古い民法のある規定は改正しなきゃいけない、だからこれは民法改正という形はとらざるを得ないと思うんです。しかし、そのことと別個に本当の必要性の原則に基づいた世話法のような体系があって、それに基づいてある部分としての民法改正であるべきだと私は思っております。
 しかし、残念ながら今回の法改正はそうでは必ずしもなくて、民法の改正ということで、だから法制審議会でやるんだというような発想でずっと流れが始まってしまいましたので、私もその流れの中で可能な限りいいものにしていただきたいという態度で対応してまいりましたので、将来的な課題になりますけれども、本来的には先生がおっしゃるような意味での必要性の原則に基づいた世話法的なものにだんだん法的領域として成長していっていただきたいというふうに願っております。
○魚住裕一郎君 私もまさにそのとおりだと思います。省益とは言いませんけれども、何か役所ごとの仕事の分断がこういうふうな結果になっているのではないのかなというふうに思っております。
 続きまして、副島先生に現場からの貴重な、本当にそうだなと思うんですが、先生の実際の経験から月額三万から五万ぐらい後見の費用がかかるというお話で、私も弁護士をやっていた時代、有名な先生、そうでない先生、いろいろおられるので、会社の顧問料というのがありますね、十万の人もいれば二万の人もいるかもしれませんが。そうすると、三万とかいうのは会社の顧問料の下限の方に近い金額ではないか。会社という利益を上げる団体といいますか、そういう組織体の顧問料が三万とかそういう、一方は全然判断能力がないというか、補完のために三万とかかかると大変な金額だな。ただ、弁護士の実際の実務の経験、かすみを食べて生きているわけではありませんので、そうするとその辺もやむを得ないのかなというふうに思うわけで、先生が公的な法人後見から公的な支援センターにしていくべきだと。まさにそのとおりだなというふうに思うんです。
 一方で、弁護士会あるいは法曹三者のいろんな協議の中で、法律事務所の法人化というのがありますね。これは弁護士業務の永続性なりクライアントの信頼をさらに長く続けられるというか、弁護士は個人的な信頼関係だけでやってきておりますが、法人化すればもっと永続性のある信頼関係も築けるのではないか、そういう論点から法律事務所の法人化というのが出ておりますけれども、成年後見の法人の後見というのがありますね。これにも私は活用していけるのではないか。もっと法的な部分を担当弁護士が見ながら、しかもいろんなもっと福祉にも詳しい人も事務職員として加わってもらえば、分断化された支援体制ではなくして法人化された法律事務所がかなり大きな支援ができるのではないかと思うんです。その辺の見通し、法人化の問題はちょっと全然別個の議論なんですが、うまくリンクしていけば機能していくのではないかなと思うんですが、いかがでしょうか。
参考人(副島洋明君) この問題は私の仲間うちでいつも論議になる。つまり、NPOを打ち立てようかと。私らは、法人化というよりもやはり弁護士が中心となって、いわばこういうある面での社会的な事業、社会的性格が強い事業というものを弁護士事業としてやれるかどうかという問題も少々懸念もあります。
 でも、やはりやるとすれば、つまり弁護士が全部やっていくと、最低でも月に一度は会って面接して、その人と話をしてチェックしていかなくちゃいけないけれども、日常、一週間に一回ぐらいの財産管理とかその人の暮らしぶりを見ていく、つまり弁護士のある面では手足となって動いていただく方は、弁護士が直接行かなくても、事務員さんとかそういう専門的な福祉のある程度わかっている人を雇って、そしてできるだけ費用というものを、弁護士がやはり何でもかんでもするということになりますと、弁護士の持ち時間というのがあってどうしてもできない。だから、弁護士が何か投げ渡すのではなくて、最低限一カ月に一回、確かに一回は顔を合わせてその人の意思とか確認を聞く。その中でスタッフをつくり、それで成年後見センターを法律弁護士たちがNPOとして動き出すということはあるのかというのは、それは検討したことはあるんです。
 確かに、今後の課題として今もあるんだろうと思うんです。ただ、やっぱり現実的に踏み込むと、話にはなるんですけれども、何人かで組んでという形にはなっても、踏み込むことの勇気というのは、経済的な自分の今のあれを捨ててという形の踏ん切り方、本当にそうしますと、やはりその看板を立てると責任を相当先ほど言ったように持たなくちゃいけない。知的障害者の専門でいきますと、本当に数年とかじゃなくて十年以上の終生にわたるような関与というものが伴ってくる。
 そういういろんな責任とか問題を考えますと、NPOとしての成年後見センターへの踏み出しということを話題にはしてきて踏み出し切れないという結果で、今現状にあります。
○魚住裕一郎君 ありがとうございました。
 続きまして、永島参考人にお話を伺いたいんです。
 先ほど、昨年ですかアンケートをやって、ほとんどの人が大賛成というお話でございました。一方で、支援を受けられる方は半年たつと状況が変わっているというお話もありました。そうすると、いろんな能力とか体の状態を含めてどんどん変わってくるという状況の中で、やはり先ほど田山先生、副島先生がおっしゃっているように、今回の制度は三つの類型に分けてどうやって支援していくかという制度になるんですが、半年たつと状況が変わっていくということになりますと、やはりもっともっと簡便な使いやすいといいますか、一々裁判所に行って類型を変えてもらわなきゃいけないような事態も出てくるわけでして、もっと一元的な形でやっていった方がいいのではないか。つまり、御本人さんの判断能力を類型化して差別化するよりは、御本人にとって何が必要かという観点からその支援の内容を変えていくという制度の立て方の方が使いやすいのではないか、そういう議論はあるわけですね。
 私も今現実に介護経験からいって恐らくその方が使いやすいと思うんですが、参考人の御意見はいかがでしょうか。
参考人(永島光枝君) 一つは、診断というか、今痴呆が、先ほど言いましたようにもともと健常な人がいつからともなくぼけてきたんじゃないかというようなのを身近な人が感じるときに、それを周り、本人以外の親族という人たちに理解してもらうということがそもそも一番最初の関所なんですね。
 ですから、例えて言えば、同居している一番身近なお嫁さんとか世話をしているそういう人たちはどうもおかしいと思っても、そんなに周りの人には気づかれない、御本人が結構上手に対応するものですから、よその人が来るとしゃきっとして上手に対応したりするものですから。そういうときに医師の診断を受けるということは非常に家族にとって一つの味方を得たというか、私のおばあちゃんがぼけているということはやっぱりお医者様も認めるでしょうという、そういう何というかな一つの後ろ盾を診断を受けることによって得るということになるわけです。
 だから、人間関係が下手だから、うまくいっていないから、お嫁さんとおばあさんが財布をとったとられたというようなことになるのではないかというような誤解を、医師の診断によって一つとる。そういうことによって初めて周りが客観的に納得するというようなことがありました。
 そういうことと同じようなことがこの後見のところでも、公平な第三者という人たちに状態を見てもらうということで、そういうことがやっぱり言えるので、これは実際に介護している家族にとっては一つの足がかりというか、そういうことにはなるだろうと思います。
 お尋ねの補助のところなんですけれども、私もこれはずっと不思議というか疑問に思っていたんですけれども、では補助から保佐に移行するというときの申し立てをだれがするのかという、そこら辺になってくると、結局運用のところでこのままいっても、極端なことを言うと、じゃだれが補助から保佐に変えようというふうに判断するのか、その辺になってくると私はちょっとよくわからないというお答えの仕方しか言えません。
○魚住裕一郎君 恐らくそこが一番問題なんだろうと思うんですね。わからないわけですよ。人の判断のランクを三類型で決めてはめ込もうとするわけですから、なかなかわからないわけですね。それよりも、今その人にとって何が必要かの方が周りにいる人間はわかるわけですね。そういうような形でこの支援あるいは世話ということを考えていった方がいいんではないか、そういう議論でございます。ありがとうございました。
 それで、次に河合さんにお聞きしたいんです。
 日本の手話というのは国際的に見ても水準は高いというふうに思いますし、先ほど八千三百二十語ですか、辞典にあるというお話でございましたが、ちょっと確認なんですが、遺言ですから法律用語がいっぱい出てくると思うんです。そのボキャブラリーの中で十分法律用語や複雑な事実関係を伝える上で別段支障ないというふうに考えていいんでしょうか。確認でございます。
参考人(河合洋祐君) 説明の方法としまして、まず、例えば不動産の場合、地積というような言葉が出たとします。それは土地の面積でございます。その場合は、土地という手話があり、面積という手話がございます。それを組み合わせることでもって十分伝えることができます。そういう方法ですね。
 もう一つの方法は、先ほども申し上げましたように、フィンガーサインというものがございます。五十音をすべて指であらわすことができます。今言った地積はこういうふうにあらわします。それで理解させる方法があります。そういう指でもって法律用語につきまして意味、内容を伝えることができます。
 けれども、当然日本語に対応させるために新しく手話を開発する事業もやっております。例えば、ノーマライゼーションとかバリアフリーとかいう新しい言葉が出た場合は、それに合わせた手話の研究開発は進めております。ですから、ほぼ十分対応ができると私は判断しております。
○魚住裕一郎君 この手話通訳による遺言書の作成が円滑に行われるように、さらに手話の普及とか手話通訳者の養成というのが重要な課題になっていくと思いますけれども、参考人はこのために行政側に望むこととしてどういう対策が必要であるというふうにお考えなのか、教えていただければなと思います。
参考人(河合洋祐君) 実は、十月にフィンランドスウェーデンに手話通訳養成の視察に参ったのでございますけれども、まず手話通訳者の質を高める必要があります。日常の生活の範囲の通訳養成から始まっておりまして、そういう面では十分に質を高める必要があるという意味で、現在の厚生大臣の公認試験制を国家資格試験制に変える必要があると判断しております。専門職としての位置づけをはっきりしていただくためにですね。
 それともう一つは、資格試験制はつくったんですけれども、設置や派遣についてはまだ十分制度化されておらないわけでございます。ですから、私どもは当初、手話通訳に対しては、いつでもどこでもどのようなときでもすぐ来てもらえる通訳者ということを望んでおりました。けれども、都道府県においても十分な手話の通訳者が設置されておりません。ほとんどがボランティアの方たちでございますね。という意味では、登録された通訳者の場合でも自宅待機でございます。必要なときだけ電話連絡を受けて通訳に出るという形でございます。ところが、その場合ですと、真夜中、突然病気になったような場合、私たちには間に合わないわけでございますね。
 そういう意味で、専従通訳者を設置してほしいという願いを我々は前から持っております。そしてあわせて、その派遣の制度をつくっていただきたいこと、それを望んでおります。
○魚住裕一郎君 終わります。
○橋本敦君 参考人の皆さん、きょうは御多忙のところ、本当にありがとうございました。
 最初に、田山参考人にお伺いさせていただきたいと思いますが、田山参考人が日本法律家協会の「法の支配」という雑誌で、「高齢化社会成年後見制度」という論文をお書きいただいているのも拝見をいたしました。
 この中で参考人は、
 経済的理由(例えば、手続費用を用意できない場合)のために国家が用意した保護の制度を利用できないのでは、福祉国家とはいえない。一定の要件のもとで、補助金を支出しまたは費用を免除する等の制度により、知的障害者の保護制度がすべての国民に現実的に利用可能な制度となるように配慮されるべきである。
こうお述べになっていらっしゃることは全く同感でございます。
 こういうことをお述べになって、諸外国の動向もそういう方向に行っているということで、ドイツの例のお話もこの論文では出ておるわけでございますが、具体的に参考人の御意見として、今後の課題になるわけですが、どういった方向づけ、あるいは制度づけがいいというようにお考えになっていらっしゃいますのか、御意見があれば伺わせていただきたいと思います。
参考人(田山輝明君) 御指摘の点につきまして、費用は、とりあえず手続の費用と、それから実際に世話、サービスを受ける際の一定の実費負担分と、両方が費用として問題になるだろうと思われます。
 それで、とりあえず手続の方につきましては、何しろ必要でその判断を仰ぐ際の手続、これはその費用が負担できないのではもうどうしようもないわけでございますので、これは先ほど副島参考人の方からのお話もございましたが、鑑定費用というのが意外に大きな部分を占めておりますので、そのあたりについての工夫をある程度した上で、工夫と申しますのは、今度の新しい制度もそうなんですが、行為能力の制限が補助類型以外は伴っておりますので、これはちょっと言葉は適切を欠くかもしれませんが、ある種の人権侵害的要素、またはそのおそれというものを持っておるわけです。
 ですから、そういう意味では、私は十分に時間をかけて、費用もかけて鑑定はしていただかなきゃならぬ場合はあると思うんです。しかし、すべてのケースがそうかというような点について、いろいろ御検討いただいた上でのことなんですが、費用がかかるような場合には、やはり払えない人に対して費用面での十分な配慮が必要であるというふうに考えております。
 それから、実費面につきましては、これは基本原則としましては、自分に必要な費用は自分が払う、これは市民社会の原則だというふうに思っております。
 しかし、例えば実際にお世話をいただいた方に対してその支払いができない、だからそのサービスが受けられない。これはまたおかしなわけでございます。その点につきましては、例えば外国の制度ですと、財産税を払っているかいないかとか、そういうような具体的な基準を出しまして、財産税を払う程度の人は自分で最後までお支払いしなさい、財産税を免除されているような方につきましては基本的には国庫で何とかいたしますというような対応をしている国もございますので、日本にそれを移しかえたときにどういう基準になるか私はよく申し上げられませんけれども、ぜひそういったような方向でお考えいただいて、すべての国民がうまく利用できる、十分に利用できる、そういう方向で運用していただきたいと思っております。
【次回へつづく】