心神喪失者等医療観察法の条文・審議(その17)

前回(id:kokekokko:20060108)のつづき。
法務委員会と厚生労働委員会による連合審査会の第2号です。ここでは、参考人として前田雅英、足立昌勝、川本哲郎、池原毅和、菱山珠夫山上皓、中島直、仙波恒雄、伊藤哲寛の各氏が出席して、質疑が行われました。
【前田参考人招致

第154回衆議院 法務委員会厚生労働委員会連合審査会会議録第2号(平成14年7月9日)
○園田委員長 これより法務委員会厚生労働委員会連合審査会を開会いたします。
 内閣提出、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案、平岡秀夫君外五名提出、裁判所法の一部を改正する法律案及び検察庁法の一部を改正する法律案並びに水島広子君外五名提出、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の一部を改正する法律案の各案を議題といたします。
 本日は、各案審査のため、参考人として、東京都立大学法学部教授前田雅英君、関東学院大学法学部教授足立昌勝君、京都学園大学法学部教授川本哲郎君、全国精神障害者家族会連合会常務理事池原毅和君、元東京都立中部総合精神保健センター所長菱山珠夫君、以上五名の方々に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、大変御多用中のところ御出席をいただきまして、ありがとうございました。ぜひ、それぞれの立場で忌憚のない御意見をいただき、私どもの審査の参考にさせていただければと思っております。よろしくお願い申し上げます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、前田参考人、足立参考人、川本参考人、池原参考人、菱山参考人の順に、各十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。
 それでは、まず前田参考人にお願いいたします。
○前田参考人 このたび、このような場で発言の機会を与えていただきまして、委員長の先生を初め皆さん方に心から御礼を申し上げたいと思います。
 私は、刑法学者として刑法学会に所属して研究している一方で、法と精神医療学会というところの理事も務めさせていただいておりまして、この問題に関して若干研究しておる者として発言をさせていただきたいと思います。
 お手元にレジュメを配らせていただいたと思うんですが、それに従って御説明を申し上げたいと思います。
 刑法の世界では、保安処分につながる議論というのが一切できないような状況が長年続いてきたわけですけれども、ことし、刑法学会で、この法律案そのものを、厳密にはそのものではないですが、議論をする機会を得ました。議論の流れは大分変わってきていると思うんですね。学会としても、患者の意思に反するような自由の拘束というのは一切認めないという自由主義を強調する立場が一方であって、この考え方の極には措置入院憲法違反であるというような議論があったわけですけれども、片一方で、非常に重大な事件が起こるたびに、もっと保安的な処分を徹底してやるべきであると。
 今度の池田小事件なんかもきっかけにして、徹底した保安処分の導入をというような議論もあるわけですが、学会の全体のコンセンサスとしては、その中間、中庸という言葉をそこで使ってあるわけですけれども、重大な犯罪を犯した障害者の治療を十全なものにするために具体的に手当てをする、そのことによって国民一般の安全感、安心感も守っていけるような法制度を模索する方向にだんだんまとまってきている、学会全体がそちらの方向に動いている。学者ですから、完全にまとまるということはあり得ないと思うんですけれども。
 従来、精神医療の世界を見ておりますと、外からですけれども、患者の治療という観点から、医療の観点からいって、いかに治療をするかというところにウエートがあって、精神障害者による犯罪もあるわけで、その犯罪の被害者にどう対応していくかという観点が弱かったのが次第に変わってきている。被害者保護立法なんかが進んでいく中で流れが変わってきていると思うんですが、そういう中でまさにそのバランスをどうとっていくかというところだと思うんです。その観点からこの法律案を評価させていただいたということでございます。
 今回の法律案が出てくる背景として、池田小事件の影響というのは、私はなかったとは申し上げないんですが、実質的にこの立法等の動きを要請したものとしては、もっと根本的なといいますか、日本の精神医療が抱えている構造的な問題があった。ただ、それだけではこんな立法案が動かなかったので、引き金としては、非常にとうとい犠牲というのは、これは軽視してはいけないと思うんですが、この池田小問題を解決するための立法的対策というふうに絞り込みますと、やはり問題がずれてしまうという感じがいたします。
 大きな要請としては三つあると思います。
 一つはノーマライゼーションの発展。これは、長年にわたって精神医療の先生方の御努力の結果だと思うんですけれども、治療が開放化されて、そこに統合失調症という言葉になっておりますけれども、分裂病の理解、それから疾病観が変化して治療方法が変化してきた。その中で、拘束する治療というものから開放的なものに変わってきたということでございます。
 ただ、この開放化によりまして、患者さんが外に出て侵害行為を行うということも起こってくる。私、法と精神医療学会でずっとおつき合いしていて、現場のお医者さん、病院経営者の方から見ると、最大の課題はノーマライゼーションを実質化するためにどういうふうに手当てをしていくか、それは非常に重要な問題だったと思います。最高裁まで過失責任を問うような判決が出てくる。その中でこの法案が要請されている下地というのはできてきたんだと思います。
 それから、措置入院がここ二、三十年の間に急変した。そこに書いてありますように、二十分の一になってしまった。これはいろいろな意味で変化したと思うんです。そこに挙げた経済措置等が消えていったということはあると思いますが、実際に六万人措置入院していたのが三千人になってしまったということの影響ですね。ですから、裁判官の目から見ると責任無能力だ、だけれども措置入院があるので身柄はある程度拘束できるみたいな安心感が、安心感というのはちょっとまずいんですが、あったのが、無罪にしてそのまままた社会に出てしまう可能性が非常に高くなっている。これをどうするかという意識は、強く法律の世界でも、それから医療の世界でもあったんだと思いますね。それに対してどう対応していくか。
 それから、そのもっと根本にあるものとして、精神医療の世界の中の一つの部門である司法精神医療、この問題に関しての人材の少なさといいますか、養成を怠ってきた。この問題がいろいろなところで問題点として出てきているんだと思います。措置入院判断についてもいろいろな問題が指摘されていると思います。
 こういう状況の中で、もう本当に限られた時間ですので結論的に申し上げますけれども、本法律案をどう評価するかということでございますけれども、私は、結論として、十分合理性のある、中庸を得た法律案であるというふうに評価したいと考えております。
 一部の議論としては、措置入院を実質化する、もっと措置入院を広げるということですけれども、精神医療の現場では、措置入院というのはどんどん治療という観点に純化してまいりまして、六万人から三千人に減ってしまった措置入院を、基準を変えて広げるというのは非常に難しい、いわばそれは時計の歯車を逆に回すような作業をやれと言っている形になると思います。もちろん、論理的には不可能ではないですが、リアリティーのある提案だとは私は思わない。やはり新しく、法案の目的にも規定されてありますけれども、重大な他害行為を行った者に対して適切な処遇を決定するための手続を充実させて、その結果として再犯の防止を図って、その社会復帰を促進するというあたりの政策的な提案というものが合理性があると思います。
 最後に、一番ポイントになる点が、御議論を伺っておりまして、活字になったものなど勉強させていただきまして、再犯のおそれが十分に認定できないんじゃないか、危険ではないか。これはいろいろな立場からいろいろな御意見があって、判断をするお医者さんの側で再犯のおそれなんて認定できないんだという議論をされる。
 ただ、先ほど申し上げたように、刑法の世界、それから精神医療の世界、両方、学会二つ見ておりまして、私は、どちらもちょっと誇張があるんじゃないか。少なくとも、大前提として、事実として認めておかなければいけないのは、世界の先進諸国の中で、同じような制度をどこの国でも持っていますが、やれないと言っているのは日本だけだ。日本のお医者さんの医療水準がそんなに低いのかということですね。もちろん、やれるやれないの問題ではなくて、それをすることによって人権侵害が起こるかどうか。いろいろな議論があろうかと思いますけれども、そもそも再犯のおそれのようなものは認定できないという議論の立て方といいますか、これは私は誇張があると思います。
 特に検察官通報、精神福祉法の二十五条などでは、現実に、過去の病歴とか生活環境などをもとにして、かなり実質的な他害の危険判断を行っております。それは精神科医が行っているわけで、決して、直前の病状を見て、緊急入院をさせなきゃいけないかどうかというような判断だけを現実に措置入院で行っているわけでもない。その意味で、私は、その再犯のおそれの判断は十分できると思います。もちろん、そのための努力、精度を上げる努力は必要だと思います。
 いずれにせよ、そういう司法精神医療の専門家を育てていくという意味も含めて、今回こういう制度をつくって、それについて予算をきちっとつけていくということが、日本のこの問題に関しての根本的な対応の出発点になるというふうに考えております。
 以上です。(拍手)

【足立参考人招致

第154回衆議院 法務委員会厚生労働委員会連合審査会会議録第2号(同)
○園田委員長 ありがとうございました。
 次に、足立参考人にお願いいたします。
○足立参考人 時間がたった十分でございますので、言いたいことを言うために前置きはいたしません。原稿をつくってきましたので、原稿を読ませていただきます。
 昨年六月の池田小学校事件は、いたいけな児童が殺傷されたもので、非常に悲惨であり、大きな社会的関心を呼びました。その事件に対するマスコミの反応や小泉首相の発言により、触法精神障害者問題が大きくクローズアップされ、政治問題化しました。
 しかし、この問題は、政治的決着で済まされるようなものではありません。この問題の根底には、社会における精神障害者生存権が深くかかわっています。この歴史の中で精神障害者はどのように扱われてきたのでしょうか。彼らは差別の対象とされ、隔離の対象とされてきました。彼らの病気に対し十分な治療が行われず、発症し、他害行為を行った瞬間に隔離されてきたのです。
 これでは共生社会の実現はできません。私は、本意見陳述において、精神障害者も我々の社会の尊厳を有する大切な一員であり、憲法が目指す民主主義社会において当然に共生すべき仲間としてひとしく生存権や幸福追求権を有するものであるとの立場から、社会的安全の確保という美名がいかに彼らに対する差別と排除に満ちた非理性的、不合理な虚飾であるかを明らかにし、精神障害者とともに共生できる社会を実現するための方策を提示したいと思います。
 精神障害者と思われる人によって惹起された重大事件が起こるたびに保安処分の検討が叫ばれて久しいものがあります。しかし、社会的現実の中で、精神障害者の行う重大事件は、一般人のそれとは比較にならないほど少ないのが現実です。では、なぜ保安処分の大合唱が起こるのでしょうか。それは、一般人は、行った行為の責任を問われ、刑罰を科されるが、精神障害者は、心神喪失者として刑罰に問われないことに起因しているように思われます。
 精神障害者に対する不処罰は、後で述べるとおり、啓蒙主義の所産である責任主義の原則からの当然の帰結なのです。それは、彼らには理性がないから処罰しないという、いわば一種の差別なのではなく、彼らに対しては刑罰よりも治療をより必要とし、治療がより効果的であるという、まさに近代的理性や合理性からする当然の帰結なわけです。これがいわゆる野放し論に見られるような一般の危惧感、不安感を誘発しているわけですが、こうした感情論によって刑事処分が正当化されないことは言うまでもないでしょう。
 刑罰は治療ほどの効果を持たないから、彼らに対する処罰やその代替としての拘禁は非理性的で不合理なものにほかならないわけです。精神障害者に罪の責任を問わないということは、差別を克服した寛容の精神の帰結なのです。それに加えて、繰り返しますが、彼らに対する処罰は不合理でもあるからです。
 さて、法案が規定する入院命令は、再犯のおそれという将来のために司法機関によって決定されるもので、保安処分にほかなりません。法案は、司法機関の中に精神科医師を加えることにより医学的判断を基礎とするので保安処分ではないとの立場であると思われます。しかし、この方向は、自民党プロジェクトチームで座長が提示した熊代案において明瞭に書かれている、裁判所による正義の回復を目指したものにほかなりません。
 ここで皆さんによく考えていただきたい、社会的安全の確保での社会とはだれにとっての社会かということを。
 そこでの社会は、多数者である一般人を対象としたものであって、精神障害者は含まれていません。多数者が民主主義という虚構の美名を盾にして、自分たちの価値を精神障害者に押しつけているにすぎません。それは多数者のエゴであり、少数者や弱者との共生を意図しない社会は、真の民主主義社会とは到底言えるものではないでしょう。
 こうした意味で、私は、精神障害者に医療や地域体制を含めた十分な配慮を行うことが先決であり、それへの第一歩を歩むべきであると考えます。その意味において民主党案がベターであり、その中に、将来への展望として地域開放医療の充実を明記すべきであると思います。
 私が最も訴えたいのは、あるべき市民社会についてであります。
 そもそも、近代市民社会とはどのような社会であったのでしょうか。近代市民社会の精神は、フランス国旗の三色旗で代表されるように、自由、平等、博愛を内に含んでいます。そこでは、あらゆる差別を寛容の精神によって克服し、平等の精神により社会的弱者との共生への配慮が行われてきました。前者、つまり寛容の精神は責任主義の原則となり、後者の平等の精神に基づく共生の思想は福祉政策となってあらわれてきました。
 このように、両者はもともと一体のものであり、本来、責任主義の原則は、精神障害者の処罰はむしろ不合理、非理性的であり、十分な治療こそ合理的であるとしてこれを求めていたのです。にもかかわらず、彼らに十分な医療の場を提供せずに今日に至ってしまったのです。それは、むしろ我々が近代的理性を実践し得なかったがゆえであり、責任は挙げて我々多数者の側にあると言わねばなりません。
 精神障害者に十分な医療を提供すれば彼らによる犯罪は極端に減少し、社会の中で共生できることをイタリアのトリエステが示しています。トリエステでは、十年間で司法精神病院に送られた者は四人にすぎません。また、そのうちの二人はトリエステ管外の人であり、トリエステの管内では二人にすぎません。
 トリエステでは、バザーリアを先頭とした先進的医療が行われました。そこでは、すべての精神病院が解体され、地域精神医療体制を充実させることにより、精神障害者は地域で生活するようになりました。つまり、バザーリアは、地域という空間としての精神病院を創設したことになります。それにより、クライシスコールの早期発見につながり、発症による犯罪が激減したことになりました。
 私たちは、この実例から何を学ぶべきでありましょうか。口で言う開放医療は簡単です。しかし、開放医療を目指すためには、トリエステのような地域医療体制の確立がなければなりません。
 私は、日弁連調査団の一員として、昨年十月、イタリアの保安処分施設を調査しました。司法精神病院であるモンテルーポ・フィオレンチーノでの非人間的取り扱いに非常なるショックを受けた後で、トリエステの地域精神センターを見学しました。これら二つの施設から受けた印象は雲泥の差があります。本委員会においても、両施設を見学され、トリエステのすばらしさと司法精神病院の非人間性をぜひ学んでいただきたいと思います。
 最後のまとめに入ります。
 法案は、医療の充実によりこのような犯罪に対処できるという立場に立っています。では、なぜその充実した医療をすべての精神障害者に提供できないのでしょうか。彼らが不幸にも違法行為を行ったことをとらえて、危険な存在だとその尊厳をおとしめながら拘禁の対象とするのではなく、なぜ、そもそも平等の精神による共生、連帯のための医療を実施しないのでしょうか。それが合理的である以上、それを不可能として拒否することは、まさしく我々の責任の放棄であり、精神障害者に対する差別と排除と言わざるを得ないでしょう。
 かつて、明治時代には、らい狂院が設立され、ハンセン病精神障害が同列に扱われてきました。それが歴史の中でそれぞれの病院に分離されました。ハンセン病については既に国家的謝罪がなされましたが、精神障害についてはいまだに十分な治療が行われず、社会的に放置されています。歴史の中で、私たちは五十年後に精神障害者の人たちに謝罪しなければならないかもしれません。その謝罪を五十年待つ必要があるのでしょうか。今すぐにでも一緒に謝ろうではありませんか。私は、理性の府であり、国権の最高機関である国会に所属する議員一人一人にこのことを強く訴えて、意見表明は終わりにいたします。
 ありがとうございました。(拍手)

【川本参考人招致

○園田委員長 ありがとうございました。
 次に、川本参考人にお願いいたします。
○川本参考人 京都学園の川本でございます。このような機会を与えていただいたことをありがたく思っております。
 私の専門は刑法と犯罪学、刑事政策でございます。十年以上前から、責任能力の問題とか犯罪者処遇の問題に関心を抱いてまいりました。また、六年前にはイギリスに一年間留学しまして、それ以降はイギリスとの比較研究にも関心を持っております。イギリスの施設は、一九九六年度と昨年の秋に十数カ所を参観しております。また、二年前から京都市の精神医療審査委員も務めておりまして、退院請求に関する患者さんの意見聴取も十数回経験しております。そのような見地から、若干の所感を述べさせていただきます。
 まず、結論を申し上げますと、今回の法案には基本的には賛成でございます。この問題は、約三十年前の保安処分をめぐる論争以降、先送りされて進展が見られなかったものですが、私は、本質は障害者の方の福祉の問題であると考えておりますので、一刻も早い解決をお願いしたいと思っております。
 その点で、今回の法案というのは、対象を心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者に限定されているわけですので、さらに、治療施設も厚生労働省の管轄とされておりますので、いわゆる予防拘禁を認めるものでないのはもちろんのこと、従来の保安処分とは異なるものでございます。したがって、対策の一歩としては評価できるものであると考えております。
 レジュメの、項目だけしか書いておりませんが、それに沿って説明させていただきます。
 次ですが、再犯のおそれに関しまして、あるいは裁判官の関与ということについては批判があるわけですが、これらについては次のように考えております。
 まず、再犯のおそれの判断は不可能であるという意見があるわけですが、現行の措置入院でも自傷他害のおそれを判断しております。また、諸外国でも同様のことは行われております。もちろん、諸外国でやっているから我が国で正当化されるというわけでないのは当然のことですが、例えば、ある精神科医によれば、確率的な危険性の判定、つまりリスクですね、リスクを判定するのは可能であると。ところが、危険性、デンジャラスネスというのを判定するのは、これは規範的なものだから裁判官にお願いしたらどうかということですね。つまり、リスクは連続線である、それをどこで切るかというのは規範的な判断だ、こういうような意見もあるわけです。
 次に、裁判官の関与に関しましては、裁判官の方では無理ではないのかというふうな批判がございます。私はそうは思わないわけですが、もし百歩譲ってそうであるとしても、裁判官の研修を行うというのが筋なのではなかろうか。裁判官ではできないからやめておけというような論法というのはおかしいのではないのかというふうに思っております。
 また、お医者さんが退院させたいというときに、裁判官の方が反対されて拘禁が継続するのではないのかというような危惧も表明されているわけですけれども、その場合というのは、今回のように不服申し立ての制度を整備することによって克服できるのではないかと思っております。
 そんなに意見が分かれるということは、私の精神医療審査会の経験からいってもないわけでして、むしろそれよりも、法律家がお医者さんの意見をサポートする、そして共同して責任を負うということの方が実際には重要なのではないかと思っております。現状では、お医者さんだけが責任を負うということですから、事故が起きた場合にお医者さんが責任を問われるのを恐れて退院させないというようなケースもあるということも御承知おきをいただきたいということです。
 次の指定入院医療機関ですが、政府案では、医師、看護師等を手厚く配置することとされております。これにつきましては、治療方法には変わりがないのではないかという御疑問があるようですけれども、イギリスの例を見ましても、治療方法、その内容自体は変わりませんが、形態は全然変わるわけですね。つまり、人手を手厚くするということによって保護室の利用というのが短縮されているというのが現実にございます。
 日本では人手がないわけですからどうしても、拘束するとか、あるいは場合によったら眠らせるというようなことになる。そうすると、患者さんの方は、どうして治ったかというのを体験できないわけですから、治療効果としても好ましくない、そういうようなことが言われております。詳しくは、また精神科の先生の方に聞いていただきたいと思います。
 基本的にはこのように法案には賛成ですが、若干、注文といいますか要望がございます。
 第一は、不服申し立ての制度です。先ほども触れましたけれども、これは非常に重要なものであろう。したがって、例えば、六十四条ですけれども、付添人、弁護士の方は保護者の明示した意思に反して抗告することができないというふうにされている、こういう点とか、ともかくもう一度再チェックをして、その不服申し立ての制度に遺漏がないようにお願いしたいというのが第一点でございます。
 第二点は、施設内と社会内の治療についてです。先ほど申し上げたように、イギリスの例を見れば、保安治療というのは十分な警備をするわけですが、多額の予算と多くのスタッフを投入する、そして手厚い看護を行うというわけです。そしてまた、目標は患者さんの治療と社会復帰ですので、地域社会内医療というのが重要であるというのは言をまたないことでございます。
 その点に関して、二つの要望を提示したいと思います。
 一つは、司法精神医学の充実です。幾ら多額の予算をつけましても、それを実行できる人が存在しなければシステムは機能しないわけですので、これの充実をお願いしたい。現在の我が国の医学部には司法精神医学の講座は存在しません。早急に専門家の育成に努めていただきたい。あるいは、現在の司法精神医療を担当されているお医者さんの一番の懸念というのは、後継者が育たないということである。非常に厳しい仕事ですので、それを希望される方がだんだん減っているというような現実もございます。
 二番目は、精神保健観察官の育成でございます。精神保健福祉士を予定されているようですが、本法案の対象者の処遇に経験を有する方を確保できるかどうかというのが重要な課題であると思います。現在の保護観察官の数は六百―八百というふうな数ですので、また、これを保護司の方が担当されるというのは恐らく不可能であろうと思います。そうしますと、大幅な増員が必要であるということですし、研修も要るということでございます。したがって、福祉に対する予算を十分につけていただけるかどうか、これが制度の運用を決定づけるわけですので、格別の配慮をお願いしたいと思います。
 そして、その次です。今までが、短期的といいますか、法案について賛成の部分と要望をつける部分です。
 最後に、今後の課題についてですが、第一に、精神医療の開放化。これは、我が国は民間病院が非常に多いわけですので、急激にベッドを減らすことは難しいだろう。しかし、五年、十年ぐらいでやはりそれを検討していただきたい。
 第二番目に、精神鑑定の問題がございます。今回の法案には関係がないわけですが、精神鑑定の充実、それは司法精神医学の充実から出てくるものだと思いますが、それを考えていただきたい。
 三番目に、責任能力、これの概念の変化もありますが、ちょっと時間がありませんので省略させていただきます。刑法学の今後の課題である。
 最後に、司法と精神医療の協働でございます。これは、裁判官の方でも、検察官の方、さらには弁護士の方あるいは学者にもそれに詳しい人が少ない。これをやはり養成していかなければいけないし、お医者さんの方でも、法律に詳しい方、人権に詳しい方というのがそれほどおられない。それを一層協力して充実させていかなければいけないということを申し上げて、長期的な課題でございますが、私の意見とさせていただきます。
 どうもありがとうございました。(拍手)

【池原参考人招致

第154回衆議院 法務委員会厚生労働委員会連合審査会会議録第2号(同)
○園田委員長 ありがとうございました。
 次に、池原参考人にお願いいたします。
○池原参考人 おはようございます。池原です。
 お手元にレジュメをお配りしておりますけれども、人生は皮肉なものだなと思っているのは、見出しとして強調しようと思って網かけ文字にしたんですが、かえってモザイク文字のようになって、お見苦しくなって申しわけありません。
 たくさんのことを申し上げたいので、少し早口で申し上げることになると思いますが、よろしくお願いいたします。
 解説の二ページ目の方をごらんいただきたいと思いますが、私は、まずこの法案の持つ問題点を幾つか指摘させていただいて、その上で、この法案が現在刑事司法、精神医療の両面において持っている問題を改善する効果を持っているのかどうかということをお話ししたいと思います。
 まず第一の、この法案の問題点、与党案の問題点でございますが、この法案の処遇決定の重要な要件である再犯のおそれというのは予測不可能だという専門家の意見が非常に強いということであります。仮にそれがある程度できるとしても、全く過ちを犯さないということは不可能で、米国のジョン・モナハン教授によると、最適の予測条件下で、男性の場合六〇%程度の正確性を維持できる程度であるというふうにされています。
 重大な犯罪行為を行った精神障害者で、過去にも重大な犯罪行為を行った前科前歴を有する者は、犯罪白書によりますと六・六%程度でありますので、今、千人の重大な犯罪行為を行った精神障害者について、再犯のおそれに基づく指定医療入院機関への収容状況を検討いたしますと、表一のようになります。
 この再犯予測は予測可能性が六〇%で計算しておりますが、そのもとで、実に九〇%以上の人が、本当は再犯の危険性がないのに再犯の危険性があるとして収容されてしまった人ということになります。この割合は、再犯率を一〇%程度に引き上げて、予測可能性を九〇%の正確性があるものとして計算をしても、収容者のうちの五〇%は偽陽性者という結論になります。
 もし、刑務所の受刑者のうち少なくとも半数以上の者が、場合によれば九〇%以上の人が実は無実の罪で収容されているということになるとしたら、そのようなことをこの社会は許すのでしょうか。あるいは、がんの疑いがあるということで胃や子宮の摘出手術をしてしまったうちの五〇%から九〇%の人が実はがんでなかった、あるいは手術の必要性がなかった、そのようなことをこの社会は許すのでしょうか。精神障害者についてだけはなぜそうした事態が許されるのか、このことをよくお考えいただきたいと思います。
 二番目の問題は、再犯のおそれを要件とすることは、与党政策責任者会議のいわゆるPT報告書にもなく、医療上の判断基準にはならないということであります。
 このPT案では、「処遇は、より確実な治療効果・病状の判断の下で入退院や通院の要否が決定されるべきである」としておりまして、もともと再犯を要件とするような制度を考えていたものではありませんでした。
 この法案になってから、なぜ「再び対象行為を行うおそれ」というものが入ったのか理解できないところでありますが、一部の説明では、この要件は治療のための要件で、決して社会防衛をもくろんだものではないということであります。
 しかしながら、再犯の危険性は疾病の診断基準ではなく、再犯のおそれは病気そのものとは関係性が希薄な要件です。これを治療要件にすることは、この法律をつくろうとしている方々の意図や善意に関係なく、この法律ができた後の将来において、その医療が患者本人のためではなくて社会の安全のために行われるものであるというふうに解釈されてしまう危険性を払拭することができません。真に患者の治療を目的にするのであれば、将来における乱用やあるいは誤解を避けるために、ぜひ本来の目的にかなった形で、病状の重篤さあるいは重症度というようなものを要件とすべきであるというふうに考えます。
 三番目に、この法案では、犯罪事実、責任能力、再犯の可能性、いずれの認定についても憲法上の適正手続の保障がされておりません。
 しかし、これらの要件はいずれも刑事に関係した要件でありまして、しかも、この法案が医療を提供するものであるとしても、長期にわたって対象者の自由を拘束することになるという点は自由刑と全く変わりがありません。しかし、この法案は、その手続に憲法上の適正手続の保障をしないということになっているのであります。
 これは国際的な人権規約からも到底許容されないものでありまして、このままでは我が国の精神医療は再び厳しい国際的な非難にさらされることになるというふうに考えます。
 先週、私は、米国の法律家の会議に出席して、この法案にデュープロセスの保障がないということを報告いたしましたが、会場からは驚愕とどよめきの声が上がりました。
 また、適正手続の保障がされていないために、付添人の制度があるといっても意見陳述権が認められているだけで、その他の防御権はありませんので、有効な弁護活動ができるとは考えられません。
 このような問題点を含みながら、では、この法案は現在の刑事司法にあった問題を改善することになるのでしょうか。
 第一に、検察官の不起訴、起訴猶予の判断の前提になる簡易鑑定の適正化に改善が加えられていません。
 自由民主党のPT報告書によりますと、「検察庁において、責任能力に関する捜査を十分に行わず、安易に不起訴処分にしているのではないかとの疑念を生じさせている。」「責任能力の判断に関する医師の鑑定の信頼性に疑問が抱かれている。」このように指摘されています。しかし、この法案では、この点についての改善策は一向に示されておりません。
 また、この手続を行うと、対象者に対する医療の提供が現在より大幅におくれて、適時に適切な医療介入を行うことができません。
 この法案第三章の医療に関する章は、審理が行われている間の鑑定入院の場合についての医療を除外しております。ということは、審理が行われている間は医療が適切に行われないということであります。といたしますと、逮捕、勾留をされてから二十三日間、さらには刑事裁判を受けて半年、一年を経過して、そしてこの手続が行われるということになった場合に、非常に長期にわたって医療から引き離されるという結果を生じることになります。
 また、この法案では、精神障害者による犯罪行為を防げないということがあります。
 もっとも、自由民主党のPT報告書によっても、「精神障害者の犯罪率は、社会全体の犯罪率に比べ、かなり高いのではないかと一般に漠然と考えられているが、その認識は正確な資料によって改められる必要がある。」とされておりますので、刑事政策面で殊さらに精神障害者についてだけ再犯防止策を新設する必要は乏しいと考えられますが、仮にその必要性があるとしても、重大な犯罪行為を行った精神障害者再犯率は六・六%にすぎませんので、今後生じる百件の事件のうち九十三件以上は防げないということになります。
 では、精神医療にあった問題は改善されたのでしょうか。
 措置入院制度は一向に改善されないと考えられます。なぜなら、この法案が成立しても、恐喝や脅迫、傷害罪の一部、さらには覚せい剤取締法違反を含む大多数の触法行為を行った精神障害者は、措置入院の対象になります。また、一般病院内では、暴力的な言動をしたり治療が難しいとされる患者の八三%が一般病院に残ることになります。つまり、一般病院の状況も措置入院の状況もほとんど改善されないということです。
 また、退院後の通院確保は非常に重要なことでありまして、保護観察官が行う精神保健観察は非常に期待が持たれております。
 しかし、保護観察官は全国で実働六百人程度、一人当たりの保護観察官が当たるケースは二百件ということになっておりまして、その専門性やマンパワーからも到底、通院確保を行うことは難しいと考えられます。
 また、この法案は、長期入院者十五万人、社会的入院者七万人、それから病床数が三十三万床を超えているという日本の特異的な状況を全く改善することになりません。
 さらに、四番目はちょっと飛ばしますが、五番目、こうした患者を抱える家族の支援や保護者の義務軽減が全く配慮されておりません。保護者制度の廃止は精神障害者の家族会の悲願でありますけれども、しかしながら、この法案はその方向とは全く逆行しておりまして、新たに保護者の任務を十三個新設しています。また、こうした患者を抱える家族の関係は疲弊し、破綻しているということが容易に想像されますが、それに対する支援策も全く示されていません。
 そして六番目に、この法案に基づく院内及び地域での医療内容について、厚生労働省は具体的な方針を定めておりません。非常に限られた病院で、さまざまな問題を抱えた患者さんが一緒に処遇されるという結果になることも想定されます。
 このようなさまざまな問題があると思いますので、ぜひこれは党派を超えた、本当に何が必要かという観点で、慎重な御審議を与党の方々にも野党の方々にもお願いしたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)

【菱山参考人招致

第154回衆議院 法務委員会厚生労働委員会連合審査会会議録第2号(同)
○園田委員長 ありがとうございました。
 次に、菱山参考人にお願いいたします。
○菱山参考人 法律問題などには全くの門外漢である精神科臨床医の立場から発言させていただきます。
 まず、従来の一般的精神医療が抱える特殊条件と現状の問題点ということについて。
 一つには、精神医療が対応すべき精神障害者には、その症状、病状の表現として生活行動上の偏りを呈し、それが周囲の人々の心理、生活面にさまざまな形で影響を与える場合が少なくありません。したがって、その症状、問題行動のよって来る理由やその症状改善への対策が明示され、周囲の人々の理解と協力を要請する手だてが十分講じられない場合には、排除し隔離してほしい対象として受け取られかねません。このことは、一歩間違えれば、精神障害者医療が、彼らの病状改善にとって最適の手だてを選択するよりも、周囲の人々の意向、短絡的な社会防衛的視点によって影響を受けることにもなりかねません。
 二つには、医療を必要とする精神障害者の中には、精神障害ゆえにその必要性を認識できず、自己の病状改善にとって必要な医療、援助を享受する権利を行使できない場合も生じます。したがって、医療を担当する立場の者にとっては、本人の自己決定を尊重するといった名目のもとに、本人からの要求があるまでは手を出さぬといった安易な受け身的対応に終始することは許されず、時には、その時点での本人の意向とは相矛盾する対応をも辞さぬ姿勢なしには医療責任は果たせぬということにもなります。このことは、まかり間違えば、医療側の請負主義、独善、あしきパターナリズムを招来することにもなります。
 以上のことからも、精神障害者医療の分野では、他の診療科以上に、ユーザーをも含めた幅広い領域、立場からの点検、チェックを保障する対策が制度的にも意図的に追求され、確立されていかなければなりません。
 三つには、重大な問題行動をも含めて、精神障害者が示す広義の症状は、彼らが罹患し抱える疾病や障害の質や程度のみによって規定されるものではなく、発症以前の長期にわたる生育環境を通して形成された人格特性や現在置かれている生活の場の状況、環境条件が大きく関与していることは言うまでもありません。診断、治療、処遇方針の策定、それに基づく医療実践に当たっては、これらを総合的に把握し、対応していく体制が不可欠であります。いわば、精神障害者をビオサイコソシアルな存在として総合的に受けとめ、対応していける精神保健医療体制の確立ということにもなります。
 少なくとも、現行の精神科特例に代表されるような劣悪な条件のもとで入院中心的に進められてきたこれまでの我が国の精神医療体制の抜本的改革により、危機対応、クライシスインターベンションを中心とした救急システムを初めとする初期治療から、心理、生活面への具体的な支援を含むリハビリテーションまでを統合した責任性、継続性、統合性を備えた保健・医療・福祉体制の確立を抜きにしては、我が国の精神障害者対策は一歩も進み得ないことをまず強調しておきたいと思います。
 今回の法律案審議に当たっても、以上述べてきたような精神障害者対策の拡充整備の一環という視点から御審議いただくことを期待している次第です。
 いま一つつけ加えるならば、不幸にして精神障害ゆえに心神喪失等の状態で重大な犯罪を犯さざるを得なかった精神障害者には、刑事責任は負わされるべきでないことは当然ながら、同時に、再び犯罪を犯さぬために、その要因となった精神障害を改善するために必要とする医療、援助を受ける責任はある。この権利と責任の両立によって、さらにはその責任を果たすための援助体制が準備されることによって基本的人権は存在し得るんだということを、医療担当者の立場からも確認しておきたいと思います。
 さて、心神喪失等の状態で重大な犯罪を犯す精神障害者の存在は、否定できぬ事実であります。その多くは、現在は起訴前鑑定によって、起訴前のいわゆる簡易鑑定によって、正規の裁判を受けることもなく、また、裁判を受けた場合にも、司法精神鑑定を通して精神障害ゆえに責任能力なしと判定されれば、その後の処遇はすべて医療の側にゆだねられることになります。その結果、現状の貧困な医療体制のもとでは、必要、適切な治療を受けられぬままに長期にわたって精神病院内に隔離収容され続けたり、十分な治療、アフターケア、生活支援対策も講じられぬままに退院となり、その結果、医療中断、病状再燃、生活破綻、問題行動再現といった経過をとらされている人々が数多くいるのも現状です。
 このような状況の改革、打開に向けての法制度の整備は、精神医療の立場からも当面の緊急課題の一つと考えます。もちろん、さきにも述べましたような、現行の精神保健福祉法の枠組みの中での保健・医療・福祉体制の拡充整備によって克服されていかなければならない部分が少なくないことも当然です。しかし、現行の保健医療体系のもとでは十分対応し切れない精神障害者の存在も否定できない事実であります。曲がりなりにも医学、医療の分野と司法の分野との相互補完的連携を視野に置いた今回の法律案は、多くの問題を残しながらも、一歩前進あるいは半歩前進と評価できると考えます。
 以下、再検討を期待したいと考える事項に限って、二、三意見を述べさせていただきます。
 一つには、以前より問題多しとされてきた起訴前簡易鑑定に関しては、ほとんど今回は触れられておりません。むしろ、重大な犯罪を犯した精神障害者に限っては、原則としてすべて正規の裁判と司法精神鑑定を受けさせること、同時に、逮捕から裁判終結までの期間を通して十分な医療を受けられることを保障するなどの明文化が必要ではないかと思います。
 二つには、不起訴や無罪となった精神障害者に対しての入院治療や通院医療などの処遇決定については、今回は裁判官と医師の合議体による審判制度が導入されておりますが、果たして二名だけの構成で的確な処遇決定が可能であろうか。精神保健福祉の専門家なども加えた、より充実した合議体制が考慮されるべきではなかろうかと考えます。
 三つには、さらに重要な問題として、処遇決定後の具体的な医療保障や継続的な処遇診断のありように対して、不明確、不十分な印象をぬぐえません。臨床医である私にとって最大の関心は、この法の制定によって、重大な犯罪を繰り返す傾向があり、かつ、一般精神病院では有効な治療が提供できがたく、処遇上にも困難を生じやすい精神障害者に対して、どこまで有効な治療が提供でき、その濃厚な治療的関与を通して、より的確な経過、予後の予測や処遇診断ができやすい条件を創設し得るかというところにあります。
 その意味からも、少なくとも一般精神病院よりも数段高度な医療スタッフや設備を備えた、十分な開放性や十分な環境条件の整備、例えば患者五、六人に医師は一人、患者一人に看護、臨床心理、福祉ワーカー、OTなどの技術系スタッフは二人以上などを配備して、大体二十床単位といったような、高度の条件及びマンパワーをそろえた国公立の専門治療施設を各都道府県に一カ所以上配置する規定ぐらいは明記されるべきではないかと考えております。
 第四には、通院治療に関連した問題です。
 通院治療の決定を受けた対象者については、通院を担当する指定病院で十分な医療が提供されるべきは当然ながら、同時に、他の一般精神障害者と同様に、地域におけるリハビリテーション活動の一環としての心理、生活面への支持、援助体制が不可欠です。一般の精神障害者にとっても活用できる地域資源も乏しい地域状況のもとで、重大な犯罪経験者とのレッテルが張られ敬遠されかねず、それだけに、劣等感やひがみ、社会に対して屈折した感情を持ちかねない彼らが、果たして、スムーズに地域資源を活用できたり、心理、生活面への支持、援助を受けていける条件をいかにして準備していくか、していけるのか。これは、病状悪化や生活破綻に伴う犯罪の再発を予防するという観点からも、見逃せない問題でもあります。
 今回の法案では、わずかに保護観察所が一定の役割を果たす規定があるにすぎません。これらの点に関しても、公立の精神障害者支援センターのような機関の設置なども視野に入れた検討が必要ではないかと考えます。
 以上、精神科臨床医の立場から若干の意見を述べさせていただきましたが、司法精神医学・医療の研究や実践経験の集積も乏しい我が国の現状では、いわゆる触法精神障害者の対策は、まさに試行錯誤の第一歩を踏み出そうとしている時期と言えると思います。それだけに、十二分な御審議をお願いいたすとともに、法律がもしも成立された場合にも、その後の試行錯誤的実践の集積を経て、抜本的見直しが三年ないしは五年後に行われることを明確にしていただくことを重ねてお願いいたします。
 さらに、触法精神障害者の今回の審議を通じて、むしろ、全精神障害者について医療、福祉の充実へのインパクトになるような、そのような御審議をぜひともお願いいたしまして、私の発言を終わらせていただきます。(拍手)
○園田委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。