心神喪失者等医療観察法の条文・審議(その18)

前回(id:kokekokko:20060109)のつづき。
ひきつづき、連合審査会の審議です。参考人に対しての質疑がなされました。
【吉野委員質疑】

第154回衆議院 法務委員会厚生労働委員会連合審査会会議録第2号(同)
○園田委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。吉野正芳君。
○吉野委員 自由民主党吉野正芳でございます。参考人の皆様方、よろしくお願い申し上げます。
 今からちょうど四年前になります、平成十年の五月二十九日、私たち、福島県いわき市なんですけれども、ここの市立病院で、精神科がございます、前に入院をしていた患者さんが退院をしまして、最近薬を飲まなくなったのでということで、お母さんと外来の方に参りました。そこで、三十四歳の若いドクターを刃物で刺しまして、そのドクターは一週間後ぐらいに亡くなってしまう、そういう痛ましい事件が起きました。お母さんもとめに入ったのですけれども、傷ついてしまいました。
 今度の参考人質問に当たって、私の仲間であります精神障害者を持った家族を訪ねてまいりました。これはおばあちゃんなんですけれども、娘さんが十三歳の年に発病して、自来四十年間、今、娘さんは五十三歳です、私より一つ先輩なんですけれども、精神障害の娘さんをいろいろ見守ってまいりました。
 このおばあちゃんの話を聞きますと、障害者は全く心は素直なんだというお話を伺いました。と同時に、物事のいいことと悪いことは全部承知しているということです。ですから、それだけに責任というものはきちんと障害者は持っているんだということを開口一番お話しになりました。
 もう一点は、私の娘はもう四十年間発病していますけれども、最初は隠しておりましたと。でも、そのおばあちゃんは十年前に家族会を、なかったものですから、つくりました。当時、十年前、十人でつくった家族会が、今四十名にふえております。いわき市は三十六万の大きな町ですけれども、家族会ができなかった三十年間というのは、暗いトンネルを自分一人でもがいて歩いていたみたいだ、家族会ができたら、仲間がふえて、何でもお話、情報交換ができて、本当によかったと。家族会をつくった一人なんですけれども、隠してはいけないということです。全部隠さないで、治療といいますか見守っていくという形。
 ですから、見ていると、そろそろ発作が起きるなというテンションの高い時期が来ますと、隣近所の方々に、ちょっとうちの娘テンションが高くなったから注意してくださいと、そこまで隠さないでお話をする。そうすると、道に落ちている危険なもの、ガラスの破片とかそういうものは隣の方々が拾って、逆に危険を未然に防いでくれている。そういう形で、隠さないで、地域で見守っていくことが一番精神障害者にとって大切なんだということを教えていただきました。
 それで、質問なんですけれども、まず川本先生に、そういう意味で、精神障害者は、善悪、いいことと悪いことは全部大体承知している、いわゆる責任能力といいますか、その辺は精神障害者というのはきちんとだれもが持っているんだというような立場で考えますと、日本国民として裁判を受ける権利という部分がありますけれども、事件を起こして、そして検察官の判断で不起訴処分という形になっちゃうと、裁判を受ける権利がなくなっちゃうわけなんです。この辺、先生はどのようにお考えでありましょうか。
○川本参考人 先ほど責任能力のところは若干省略させていただいたのですけれども、責任能力概念というのは、先生御存じのとおり、認識能力と、それに従って行動できる能力という二つで構成されているわけですが、確かに、最近、責任能力概念が若干変わってきているという話はございます。
 当初ですと、従来、私も、教室で説明するときは、極端な例を出しまして、精神障害の方が錯乱状態でその行為をした、そうすると、是非弁別の能力、判断能力がないわけですから、わからない、責任能力がない、こういう説明をしていたわけですけれども、今先生御指摘のとおり、医学界の方でも、最近は、そういう能力はあるという例がふえてきている。つまり、制御能力の方に問題がある、判断はできるんだけれどもそれをコントロールできないんだという説明の方がふえているということを聞いております。先ほど申し上げたかったのは、そういう責任能力概念そのもの、それを今後、私ども刑法学界の方でも将来検討していかなければいけないというふうに考えているということでございます。
 もう一点は、裁判を受ける権利ですけれども、これは、そういう障害者の方の御要望はよくわかるわけですけれども、その要望に従って裁判を行うというわけにはまいりませんので、そういう意味では、裁判を受ける権利というのは認められないということでございます。
 ただ、今のような実態がございますし、ノーマライゼーションの問題で、精神障害者の方がちゃんと理解をされて、それで責任をとれるというのであれば、もちろんそれに従って裁判を行うべきだろう、このように考えております。
 以上でございます。
○吉野委員 今の点ですけれども、足立参考人さんはどのようにお考えでしょうか。
○足立参考人 責任能力云々の前に、責任主義の話ですね、同じことになりますけれども。
 私は、精神障害者が行った瞬間の話と、それから、長期的に後でそれをどう認識したかという問題とはやはり違うと思います。行った瞬間のその能力をいかに判定できるかの話になると思うのです。その行った行為の瞬間に、果たして本当に先ほどの弁識能力や制御能力があったんだろうか、私はやはり疑問に思います。
 以上でございます。
○吉野委員 今度の法案を見ますと、入院という形で入院をします。そして、そこから治療を施して、よくなって退院、また裁判所の方で、最初から、入院ではなくて通院という形での方向を出す場合もありますけれども、いわゆる退院後、ここが私は一番大切な部分かなというふうに思うんです。
 それで、川本参考人、六月六日ですか、朝日新聞に書いていましたこの退院後の扱いで、保護観察所、これは池原参考人もおっしゃいましたけれども、今現在の保護観察所というのは、社会復帰を目指して刑務所を出てきた方々、また仮釈放された方々が更生をし社会復帰を目指すためにいろいろ努力をしているわけでありまして、保護観察官という方がいまして、そのもとに各地域に保護司さんという方々がおりまして、池原参考人おっしゃるように、本当に忙しい職場であります。そこへ、今度の精神保健観察官という新たな仕事ですね、これを加えたということは、今でさえ本当に忙しくてどうにもならないところへ新たな仕事をつけ加えたということで、本当に機能していくのかなというふうに私は思うんです。退院後はやはり受け皿でありまして、受け皿には、家族もいれば、県、市、保健所、保健センター、社会復帰施設、更生施設、救護施設、また、先ほど言った地域の住民の方々の協力もなければきちんとした社会復帰ができないわけでありますので、その辺の受け皿、もろもろの方々のいわゆるコーディネーターが保護観察所、精神保健観察官の仕事だと思うんですけれども、普通は保護司が地域にいて、保護司から相談を受けて上がってくるものの相談をしていればいいんですけれども、今回は、保護司さんは、地域にいる方々はおりません。そういう意味で、精神保健観察官一人の方に対してどのくらい人員の配置をするのが一番適当なのか、その辺、参考人の御意見を伺いたいと思います。
○川本参考人 今の御質問についてですけれども、これはイギリスでも、マルチディスプリナリーというような形で、保護観察官の方と医師、看護師、PSWの方とかが全部共同して患者さんの治療に当たるという制度がございますので、私は、今回の案で精神保健観察官の方がコーディネーターになられるというのは評価できるというふうに思っております。
 今お尋ねの件でございますけれども、大体一年で対象になる患者さんが四百人ぐらい、精神保健観察官を各保護観察所に配置しますと五十人ですので、単純に割ると一人のケースロードは八人ぐらいということですから、今とは全然違うことになるだろうと思っております。ただ、各保護観察所にその精神保健観察官の方をやはり配置していただかないと、その数が少ないとつまりケースロードがふえるということですので、担当件数がふえるということですので、それは適切ではないのかなというふうに思っております。
 保護司の方ですけれども、これは長期的には、すぐではなくて十年後、二十年後になりましたら、保護司の方の研修をして、保護司の方にお手伝いいただくということは可能だろうと思いますけれども、私なんかも交通保護観察なんかでは講師をさせていただいたことがありますが、交通保護観察でしたら一般の保護司の方も、まあ研修を一、二回受けていただけば十分に担当できると思いますが、こちらの方はちょっと専門的なものですので、もし保護司の方にお手伝いいただくとしたらちょっと時間がかかるのではないか。けれども、将来的にはもちろん精神保健観察官の方自体の研修から保護司の方の研修という形で拡大していかなければならないと思っておりますが、差し当たりは、ともかく全国の保護観察所に精神保健観察官の方を配置していただけば、当面はそれでこなせるのではないかというふうに思っております。
○吉野委員 今、全国五十くらいあると思うんですけれども、一カ所に一人の配置で大体当座は足りるというふうにお考えでしょうか。
○川本参考人 もちろん、東京都、大阪市とか大都会については一人では無理だろうと思います。したがって、ちょっと五十人というのは訂正させていただいて、やはりそこは六十人ぐらいというような数は必要だろうと思っております。
○吉野委員 普通の観察官がいて保護司がいる、そういうネットワークじゃなくて、もう直接、ダイレクトに精神保健観察官は対象者のところへ行って見なきゃならないものですから、私の福島県は本当に大きな県で、二百キロ、三百キロざらにあるものですから、現実に地域での保護司さんみたいな形の代理人といいますかそういう方々がいないとこの制度は本当に機能しない。特にまた、精神保健観察官という方がきちんとコーディネーターの役割を果たせるかどうかがこの制度のキーポイントに私はなろうかと思いますので、その辺も充実を図るように私たち努力をすることを申し上げまして、質問を終わらせていただきたいと思います。
 参考人の方々、本当にありがとうございました。

【日野委員質疑】

第154回衆議院 法務委員会厚生労働委員会連合審査会会議録第2号(同)
○園田委員長 次に、日野市朗君。
○日野委員 きょうは、参考人の先生方、本当に御苦労さまでございました。短い時間で本当に恐縮でございます。実は、我々も十五分しか質問時間がありませんで、単刀直入にお聞きをするしかないということで、失礼な言葉遣い等あるかもしれません。そこはひとつお許しをいただきたいものだ、こんなふうに思っております。
 私どもも、この法律案の審議に当たりまして、非常に迷うというよりは恐れおののきながら実はこの法案と対峙しているというところが現実であります。正直に申し上げまして、このような法律をつくって、人権の問題はどうなるのか、また一方では、社会の不安感、これにどのように対処していくのか、これはいろいろでございまして、非常に恐れおののきながらやっているということでございます。
 その一番の原因は、何といいましても、先生方皆さんお触れになりましたが、いわゆる再犯のおそれ、「再び対象行為を行うおそれが明らかにないと認める場合を除き、」と、非常に厳しい要件になっておりまして、私に言わせてもらえば、ないということを立証するというのは難しいんですよ、これは。ほとんど論理的には不可能だと言った方がいい。私も、実は弁護士でありまして、付添人なんかに出ていった場合、そういう対象行為の再犯のおそれがないということを立証するなんということは、これはできるのかねというふうに考えざるを得ない。
 それで、もう先生方皆さんこの再犯のおそれについてお述べになっておりますので皆さん全員にお聞きすればいいんですが、そうもまいりません。時間がありませんので川本先生に伺いたいんですが、先生は、この再犯のおそれについて、現在も措置入院について自傷他害のおそれについて判定をしているではないか、こうおっしゃいます。ただ、措置入院の場合は行政的な行為でして、これにはかなりの余裕といいますかアローアンスがあるんですが、これが、裁判所がやるということになりますと、しかも、ないということが明らかだということになってしまうと、それは明らかでなかったらこれはあることにしてしまうというのが論理的な流れじゃないかというふうに思いまして、私のそういう危惧に対して先生はどうお答えになりますか。
○川本参考人 今の御質問についてですが、まず一つは、自傷他害のおそれというのは、今先生御指摘のとおり行政的なものですし範囲はかなり広い。今回は、重大な他害行為を行ったというものですので範囲は違うということと、それを丁寧にやろうということなんだというふうに私は理解しております。
 それと、明らかにないという場合を除きということになれば拘束する方にいくというのが論理的ではないかというお尋ねですけれども、私の精神医療審査会の経験でいいますと、そうは思っておりません。
 つまり、お医者さんがそこで自傷他害のおそれとか判断されるわけですけれども、大体私どもが判断していますのは、この状態でまだ病気があるのかどうかとか、そういうのを判定して、あるいは法律家の方が人権の問題で検討する。そういうことを考えましたら、そこで患者さんの治療を、社会復帰をやはりお医者さんも考えるわけですし、法律家の方も、拘束しようという方向で考える人は私は少ないと思っております。
 つまり、今の精神医療というのは、開放化の流れで、ノーマライゼーションですから、そういうおそれがあるから閉じ込めるというよりは、やはり社会復帰をしていただく、そちらの方が治療につながるんだという認識はあると思います。もしそれがないとすれば、それを広げていくのが筋だろう、こういうふうに思っております。
 以上でございます。
○日野委員 川本先生も、非常に職務に忠実にそれぞれの方々が良心的に仕事をされるという前提がございますね。私もそれをあくまでも信頼したい。それがなければ本当に真っ暗やみじゃないかという感じもするんですが、これは、治安維持というのは大事だよ、こう思い込まれてだれかに仕事をされたらとんでもない話になることは、皆さんそこでは同意できると思うんですね。ただ、そういうときにも、それを実現していく制度というものが問題だ、非常に重大であるというふうに私は思います。
 この制度では合議体が形成されるわけですね、お医者さんと裁判官、こうなります。そこで、この合議体について、先生、デンジャラスネスについては裁判官にやらせろとおっしゃった、ここのところが私は非常に気になってしようがない。デンジャラスネスは裁判官にやらせろという、そこのところをもうちょっと詳しく御説明ください。
○川本参考人 先ほど御紹介したのは、私が考えたことではなくて、精神科の先生がおっしゃっていることなんですけれども、それをもう少し補足いたしますと、その先生が言われるには、リスクというのは連続性のものであると。それについては、お医者さんはある程度の判断を現在でも自傷他害のおそれとかそういうところでやっている。ただし、それが明確に数値化されるものではないのは当然のことでして、大体といっても、六〇%とか八〇%とかそういう具体的な数字では出てこないし、さらにそれをどこで切るかという問題ですね。ということになれば、これは、お医者さんが六五あたりで切るんだとかそういうような判断は当然不可能である。そこは裁判官の方と相談してやっていったらどうかというのがそのお医者さんの意見です。
 それを一つ御紹介したのと、あとは、先ほど申しましたように、裁判官と医師の関係というのは、私なんかの理解では、先ほど申し上げたような、そんなにそこで厳しく対立がしょっちゅう起きるようなものではなくて、むしろ、やはり裁判官の方はお医者さんの意見を尊重される例が多いだろうと思うんですね。
 さらに重要だと思っておりますのは、私の経験で申し上げれば、裁判官の方とお医者さんの意見が一致している場合、つまり、二人とも退院は無理である、あるいは二人とも出したいというときに、そのときに法律家がサポートする。今の現状ですと、これはお医者さんだけが判断して、そして、もし事故があればお医者さんが責任を負われるという制度になっているわけですから、そこのところが、やはりお医者さんとしては法律家、司法の関与というのを求められるという原因になっているんだろうというふうに私は理解しております。
 以上でございます。
    〔園田委員長退席、森委員長着席〕
○日野委員 私、さらにこの問題について非常に議論したいという意欲はいっぱいあるんですが、何しろ時間がございません。今のお話ですと、やはり精神科医さんは、これは、結果的に拘束に当たるような、対象になるその人物について自分としては責任を負いたくない、そういうところは裁判官にやってもらおうよという気持ちになっちゃっているんじゃないのかな。これで合議体として機能するのかなという危惧を私は非常に強く持ちます。
 その辺、私は議論をもっとしたいけれども、それ以上進むと時間がないので、私としてはそういう判断をせざるを得ないということだけ責任上申し上げて、そして、次の質問を前田先生にお願いしたいと思います。
 先生は、裁判官が入ることにより安定的、規範的評価が可能である、こうおっしゃっておられます。今、私と川本先生の議論の中にも、私の意見それから川本先生の意見、ちらちらと、この安定的、規範的評価という言葉で先生が表現されておられることなんかもかかわり合ってきていることはおわかりいただけると思いますが、病気のことについてはっきり言って無知です、法律家は。専門家じゃありません。専門家は何人かはいるかもしれないが非常に少ないと思います。その裁判官が入ることによって、何で、他害の危険または再犯のおそれ、これが安定的、規範的に評価できるんでしょうか。これはむしろ精神科のお医者さんの仕事ではないか、こう思います。いかがですか。
○前田参考人 お答えいたします。
 精神科が専門家で法律家がある部分素人というのは御指摘のとおりだと思うんですが、責任能力の判定なんかでもそうなんですけれども、最終的に、さっきのリスクとデンジャラスネスの判断もそうなんですが、量的なもののどの程度のものを規範的な評価としてやっていくかという作業は法律家というのはある意味でなれているわけですね。
 やはり、日本の裁判官というのは非常に優秀であって、責任能力の議論なんかは、ある程度、一定期間学ぶことによって、この問題に関してこの程度のところで切っていくという判断力というのは持っていると私は思うんです。純粋に医学的に、二、三日後に発症するかどうかという判断だけの問題では私はないと考えております。
 安定的になるというのは、今でも、措置入院にしろいろいろな起訴前鑑定でもそうなんですが、地域差が物すごくある。お医者さんの個人差の問題というのはかなりあると思います。それに比べますと、法律家の方が比較的判断の振れ幅が小さいということで、安定的な判断ができるようになるのではないか。
 これは、共同作業でお医者さんと法律家がこれから積み上げていく作業だと思うんですね。法律家は素人なんだから一切この問題について決断ができないというふうに決めつけるのは、私は若干厳し過ぎるのではないかなと感じたということなんです。
○日野委員 私、先生の講演したものが出版されたものを読ませていただきました。そこでも先生言っておられる。法律家というのはこういう判断の場合は非常にすぐれた能力を持っていると言われている。しかし、同時にこうも言っておられるんです。では、ほかにそういう役割を果たす人がだれかいるんですか、先生こう言っておられるのね。
 私は、ここのところに大きなやはり論理的な矛盾があると思いますよ。それは、だれかにそれをやらせなくちゃいかぬからこれは法律家にやらせると先生は言っておられるだけで、だれかにやらせなくちゃいかぬからというその前提の構え方、これが私はそもそも間違っていると思うんですよね。
 先生、そのことについてきょうは意見陳述なさいませんでしたので、そこのところを先回りして申し上げて恐縮だ。恐縮だが、さっきも言ったように時間がないので先回りして申し上げますが、その前提は私は間違っていると思うし、現実に法律家にそれだけの能力はありません。もしあるとすれば、長い間いろいろな事件をやってきたから勘がある。そういうときには勘が働くと言いたいと思ったら、この勘なんというものは大間違いだ。そんなものを厳正な法律的な手続をもって行われるそのプロセスの中に持ち込んじゃいかぬ。私はそう思いますが、まだ一分ばかりあります。先生、いかがお考えですか。
○前田参考人 私は全く違う意見を持っておりまして、それは法律の判断というのはやはりある部分勘かもしれませんけれども、最終的には法律、国民の常識をくみ上げて、法的な規範的評価というのは、国民の常識はこうだという判断をする、そのプロというのが私は法律家だと思っています。
 法律家にそういう能力がないというか、そういうのを期待してはいけなくて、すべて国民が例えば投票で決めるとか、そういうことにしたらシステムは動かない。現実に、もちろんトラブルが今までなかったとは申し上げませんけれども、日本のいろいろな司法制度とか、法律家のそういう能力をうまく生かして、日本はうまくマネージしてきたと私は確信しております。
○日野委員 そういう能力を求めるのであれば、評論家もいるだろうし、いろいろな健全な常識人というのはいるわけですよ。何も法律家を持ち込んできて法律手続でがちがちにするよりは、私は、この種の事例、出来事は行政の分野できちんとやることが正しい、こう思います。
 その意見を最後に申し上げて、時間ですから終わります。

【漆原委員質疑】

第154回衆議院 法務委員会厚生労働委員会連合審査会会議録第2号(同)
○森委員長 次に、漆原良夫君。
○漆原委員 公明党の漆原でございます。
 きょうは、五名の参考人の皆様に貴重な御意見をちょうだいしまして、質問させていただきます。
 まず、前田参考人にお尋ねしますが、今回の政府案は、対象者の処遇の決定に司法的判断を加えるということが大きな特徴になっておりまして、保安処分だとかどうのこうの、いろいろな意見があるわけなんでございますが、まず第一番目に、裁判所が加わることの利点についてどのようにお考えか、御意見をちょうだいしたいと思います。
○前田参考人 お答えいたします。
 直前の御質問にもつながることなんですけれども、こういう医療の問題に関しても法律との接点はございまして、法律家が責任能力判断その他を今までやってまいったわけです。
 今回の問題に関して、入院をさせるかどうかの判断について、お医者さんと一緒に法律家が加わってその基準をつくっていくということは、先ほど申し上げたんですが、判断基準の安定化。
 それから、もう一つ重要なポイントは、お医者さんの側では、どうしても患者の視点で、いかに治療するかというところだけでいく。もちろん、この法律は保安的なものを直接目指したものではございませんけれども、法律家の視点が入るということは、被害に遭った国民から見たらどう見えるかということも入ってくる。
 それが入ればすべて保安処分であるから、これは人権侵害だ、許されないというお考えもあろうかと思いますが、国民一般から見ますと、そういう被害に遭った人間の意識も入れた上で、人を殺して、責任無能力で無罪になった人を出していいかどうかというときに、本案では、間違いなくそれが治療にとって必要かどうかという一つの重要なフィルターを通すわけですけれども、そこに法律家が入るということは、いろいろな意味で非常に効果がある。
 基準が明確化するということ、それから、国民の納得のいく基準を導けるという意味でも、私は大変な前進だというふうに高く評価しております。
○漆原委員 もう一点、お尋ねします。
 これは足立参考人から、今回の政府案は医療の名をかりた強制隔離法であるという大変厳しい御指摘がなされております。再犯のおそれを要件としたこと、裁判所がこれを判断すること、こういうことで、医療の名をかりた強制隔離法である、保安処分そのものであるというふうな御指摘がなされておりますが、これに対して前田参考人はどのような考えをお持ちでございましょうか。
○前田参考人 もちろん、いろいろなお考えがあって、それぞれの立場ですが、私の立場としては、これは隔離というよりも、犯罪を犯した障害者にとってはより濃密な治療を受ける機会を得られて、しかも、その判断の前提として、従来の措置入院のときの判断以上にきちっとした資料を集めてやられるという意味で、非常に患者さんにとってもプラスの制度であるというふうに評価しております。
○漆原委員 足立参考人にお聞きしないと不平等になりますので、足立参考人はこうおっしゃっています。再犯のおそれを要件とした途端に、その強制措置は実質的には保安処分とならざるを得ない。法律案は実質的には保安処分であり、しかも、犯罪事実及び責任能力の有無につき厳格な認定手続を省略した手抜きの保安処分と言わざるを得ない。
 この後段の部分ですね。犯罪事実及び責任能力の有無について厳格な認定手続を省略した手抜きの保安処分である、ここをもうちょっと詳しく御説明いただければありがたいと思います。
○足立参考人 御説明いたします。
 対象行為の認定の話になります。
 つまり、今回の法案によりますと、事実認定期間、判断段階と、それから決定段階と、二段階方式になっております。この一段階目の事実認定のところで、さて裁判官は何を判断するのでしょうか。そのときに、法案をよく読みますと、それは、犯罪成立要件の判断ではなくて、この対象行為とされているものをしたかしないかの判断だけなんです。それは、専門的な言葉を使いますと、構成要件に該当する事実の証明で足りるような書き方になっております。
 そうしますと、それがもし、相手方が違法行為を行って正当防衛になったと仮定いたしますと、それは本来だったら犯罪にならない。構成要件に該当性があったとしても、違法でないから犯罪にはならないはずだと思うのですね。しかし、法案をよく読んでみますと、それは対象行為の有無を事実認定過程で問題にいたしますから、犯罪の有無という意味ではない。それは、責任能力の有無を除きまして、その犯罪の性質の有無は事実認定過程では問題にされていないということを、私はその言葉で申したかったのです。
○漆原委員 ありがとうございました。
 次に、川本参考人にお尋ねします。
 今の話とちょっと関連するのですが、法律家が入ることによって、お医者さんの判断よりも法律家の意見の方が強くなる、したがって保安的な要素が強くなるんじゃないかというふうに御心配される向きがあります。
 参考人御自身が精神医療審査会のメンバーであられるということで、現在の実務においてはどのようになっているのか、今、指摘されるような心配な点があるのかないのか、その辺の話をお伺いしたいと思います。
○川本参考人 お答えいたします。
 先ほど申し上げたのは、精神医療審査会で、退院請求が出ましたときに患者さんの意見聴取を行います。そこには、精神科医の先生と、ほかの委員、法律家委員とか専門の委員が行くということになっておりますけれども、そこの議論では、当然まずはお医者さんの診断を尊重し、そこにその法律家が若干のチェックを入れていくという運営でございます。
 さらに補足すれば、現場の精神科のお医者さんが、退院請求が出たときに、結局、精神医療審査会の方で意見聴取に来てもらう。そして、精神医療審査会の方が、その現場のお医者さんの判断をバックアップするかチェックするかという機能を果たしているわけですね。それについては、バックアップの方がはるかに多いです。もちろん、現場のお医者さんの判断がちょっとおかしいとか、そういう点に対して御意見を申し上げることはございますけれども、基本的には、むしろ現場のお医者さんを精神医療審査会という機関がバックアップするというのが実情であろう。
 そうであるとすれば、それをこの今度の法案に移しかえますと、精神科のお医者さんがまず判断されて、それに対して法律家がチェックをして、一緒に判断をする。
 先ほど、ちょっと違うことまで触れて申しわけないですが、お医者さんの責任逃れではないのかという御意見がございましたけれども、これは、今のお医者さんはすごい過重な負担をやはり強いられているわけでして、お医者さんが決して責任逃れをされようというものではなくて、司法の方にもやはり力をかしてもらえないだろうかというのが本音のところだろうと思っています。
 以上でございます。
○漆原委員 もう一点、川本参考人にお尋ねしたいのですが、先生のお書きになったのを新聞で読んだ記憶がありますが、現行の措置入院制度ではいろいろ問題があるんだ、それを今回一歩前進させるという大きな意味があるんだというふうな新聞記事を読んだことがありますが、現行の措置入院制度の問題点を簡単に挙げていただければありがたいと思います。
○川本参考人 お答えいたします。
 最大のものは、やはり都道府県によるばらつきであろうと思います。つまり、措置の数から期間から、そのあたりにかなりばらつきがあるというのは、各報道機関によって紹介されているところでございます。
 私が法案の方がベターであるというふうに考えておりますのは、民主党さんの案も、何か表面上は違う方向に行っているようですけれども、結局は、どうやって我が国の精神医療を改善しようかということをねらいとされているわけですので、言っておられることはそのとおりだとは思うんですけれども、各都道府県の措置入院の現状を改善していくというのには時間がかかるというふうに私は考えております。つまり、五年なり十年なり時間がかかるのであろう。そうすれば、それを待っているよりは、現在、専門病棟をつくって、まずは改善の一歩を踏み出すべきではないかというのが私の意見でございます。
○漆原委員 続いて、池原参考人にお尋ねしたいと思います。
 先ほど報告書の中で、大変ショッキングな報告がございました。米国の法律家の会議に出席し、この法案にデュープロセスの保障のないことを報告しましたが、会場からは驚愕とどよめきの声が上がった、また、適正手続の保障がないため、付添人には意見陳述権のほかに本人を守るための防御権が与えられておらず、有効な弁護活動が行える内容になっていません、こういう御報告をなさいましたが、具体的に、適正手続の保障がないということは、どんなことをお考えになっておっしゃったのか、また、それを保障するためにはどうしたらいいのか、その辺の御意見をちょうだいできればありがたいと思います。
○池原参考人 まず、この法律には、付添人側から、証人尋問権というものが付添人の側に与えられておりませんので、具体的な個々の証言について、反対尋問を通じて真実を明らかにしていくということができないことになっています。それから、対象行為そのものを認定する場合、同じ対象行為が刑事司法の裁判所で審理されるときは、いわゆる厳格な証明という法則が適用されて、弁護側の同意がない伝聞証拠等については証拠として採用されないという法則がかかりますが、しかし、本件の審理手続では証拠についての厳格な証明の法則がありませんので、基本的には、検察庁段階で作成されたすべての供述証拠が一括して裁判所に提出されるということになります。
 ですから、これは、通常の刑事手続に回された精神障害の方とこちらのいわゆる心神喪失者法案の方に回された精神障害の人を対比してみますと、証拠法則あるいは証人に対する反対尋問権、証人の申請権、こうした憲法三十一条以下のさまざまな規定がすべて用いられていないということになりまして、付添人としては、文字どおり付き添っているだけという結果になるというふうに私は思います。
○漆原委員 その点につきまして、入院のために、治療のために身柄を拘束するという意味では現在の措置入院制度も同趣旨かと思いますが、現在の精神保健福祉法、これに対するデュープロセスの観点からの御指摘はいかがでございましょうか。
○池原参考人 現在の措置入院制度は、基本的には、鑑定医の面前で現在症状としての自傷他害の危険性があるかどうかを認定されて、しかも最近では、その入院期間は三カ月程度という非常に短期の入院になっております。
 しかし、本法案に基づく認定行為というのは、そういう現在症状を認定するだけではなくて、対象行為、つまり犯罪行為を行ったか否かということ、責任能力があるのかないのかということ、それから再犯という、将来にわたって犯罪行為を繰り返す危険性があるのかないのか、こういう極めて刑事的な、犯罪に関係する事実の認定を行っていくということですので、非常にその点に大きな違いがあると思います。
 それから、これは評価の異なるところであると思いますが、例えば裁判による正義の実現という言葉を当初使われていたり、あるいは、重大な犯罪行為を行っているのにもかかわらず、責任能力がないということで刑事上処罰もされなければ、治療も十分に受けない、措置入院にもされないような事例があるというような立法動機からこの法案がつくられていこうとしていることを考えますと、少なくとも措置入院よりはこの法案に基づく入院処遇というのは相当長期になるだろうと私は予測しております。そういう意味では、両者に大きな違いがあるだろうと私は思います。
○漆原委員 時間がなくなりました。
 菱山参考人にお尋ねできなくて本当に残念なんですが、通院治療については本法案の大きな目玉になっております。先ほど御指摘の件につきましてはしっかりと実施するように頑張っていきたいということを申し上げて、質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。

【佐藤委員質疑】

第154回衆議院 法務委員会厚生労働委員会連合審査会会議録第2号(同)
○森委員長 次に、佐藤公治君。
○佐藤(公)委員 自由党佐藤公治でございます。
 本日は、参考人の皆さん方には、お忙しい中このような時間をいただきましたことを感謝申し上げたいと思います。また、時間がない中なので、失礼なこともありましたらお許し願えればありがたいと思います。
 また、私の方から指名はさせていただきますが、もしも私の質問にどうしても一言申したいという方がいらっしゃいましたら、手を挙げていただけたらありがたいと思います。
 先ほどからのお話を聞いている中で、やはりこの賛否というものがほぼ確定をしているのかなという気がいたします。前田参考人はこの法案に賛成、足立参考人は反対、川本参考人も賛成、池原参考人は反対。
 そこで、私がちょっと聞き漏らした点もあるんですけれども、菱山参考人にお尋ねをいたします。
 先ほどのお話で、大変いい御指摘をされている部分もたくさんあったと僕は思います。そういうものを聞いていると、菱山参考人は本法案に関して賛成の方向なのか、条件つき賛成なのか、全くの反対なのか、こういう部分に関していかがでしょうか。
○菱山参考人 お答えいたします。
 ちょっと初めにも触れましたように、原則的に、非常な問題はありながらも、一歩前進、半歩前進として私は一定の評価をする。ただ、その中で、臨床医の立場から見ますと幾つかの、十分検討し、再修正していただかなきゃならない問題があるということを御指摘したというふうに御理解願っていいんじゃないかというふうに思います。
 それから、もう一つ言えることは、これは今、第一歩であります。ですから、今後、十分にやっていく中で必ず矛盾が出てくるだろう。だから、その矛盾をさらに検証する中で変革していく、抜本改革していくというはっきりした条件をつけた上で、とりあえず現状よりはよりましな状況をつくっていきたいというふうに考えております。
○佐藤(公)委員 菱山参考人の先ほどのお話の中で、やはりきちっと裁判所の方でやっていくべきだというようなお話があったかと思います。
 これから質問することは足立参考人と菱山参考人にお尋ねをしたいと思うんですけれども、足立参考人がおっしゃられた中、いろいろと大変いいことをおっしゃられていると思う部分があるんですけれども、ドイツや何かでは、やはり今、現状の二元主義というか二元制度というもの、こういうものが逆に差別というものを生んでいる部分があり得るんじゃないかという議論が多く出ていると思います。
 こういう部分でいうと、今の体制自体が逆差別というような状況をつくり出しているということがあり得るというふうにも思いますけれども、その部分はどうお考えになられますでしょうか。
○足立参考人 私は、世界一般とかヨーロッパ全般という話は全然わかりません。ですけれども、私が体験したドイツやオーストリア、イタリアなどの話を総合いたしますと、みんなが一緒に生活できる、こういう共生社会を実現するためにどうしたらいいんだろうかということがやはり一番根底にはあると思います。それは、やはり共生をすることによって障害者も社会の一員であることが自覚でき、そしてともに生活できる。そうすると、それは実現しない方こそがやはり差別であると私は思っております。
○佐藤(公)委員 菱山参考人、いかがでしょうか。
○菱山参考人 まず、法律のことは十分わかりません、私自身の現状認識からいいますと、現在の精神保健福祉法体系の中で、犯罪を犯した方々の処遇は余りにも悲惨である、許されない反治療的な状況がある、その現状をどう変えていくかという事態でございます。
 それからもう一つは、初めに述べましたように、医学、医療のレベルでいいますと、やはり常にそこにはさまざまな矛盾がある。それを常にチェックされる、他の領域からチェックでき、そして審査されるという状況をどうつくっていくかということ。
 それからもう一つは、そこのところでやむを得ず医療が必要だというときには、どれだけ必要にして十分な医療ができる状況をつくっていくかというふうなことの視点から見ますと、現時点を変えていくということ。
 それから、先ほど申し上げたように、例えば治療処分的なものがあったとしても、それについては少なくとも三カ月ごとに十分にチェックできるとか、それについての利用される障害者からの異議申し立て、それからそれを受ける権利を有する、そういう点を十分に保障しなきゃいけない。
 ただ、言えることは、今回の法律の中で、そういう面から見ますと、特に通院の治療処分の問題、それから入院の治療処分についても、果たしてどんなものが提供できるかがあいまいのままで、ただやってはまずい。だから、やはりそこら辺を臨床医の立場ではっきりすべきだ。その実例が、先ほど言った特殊病院とか体制をつくるということ。それを抜きにして、いいとか悪いとか、私、臨床医の立場では言えない。やはりそれをしろということを強く望むということが私なりの立場でございます。
○佐藤(公)委員 こういう話をしていくと、大もとのところの話になってくる。
 足立参考人にお尋ねしたいんですけれども、この国の政府に、今、社会保障制度、障害者の皆さん方に対しての基本的な方向性とか理念とかいうものが果たして本当にあるのかなという疑問を持つ部分があります。この辺、いかがでしょうか。
○足立参考人 私は、先生の今の発言、全く同意いたします。というのは、やはり今の国の施策として、あるいは日本の歴史的な施策として、なかったと私は申し述べたいと思います。
 しかし、ないからいいのかという問題ではないはずなんです。やはり世界の中で、イタリアの北部や北欧では共生社会を実現しようと頑張っております。私たちがこれはできないはずがない。それは、障害者も一緒になって私たちと日常生活を送れるような社会ができるような国家施策こそ、やはり国会の場でつくっていただく以外に私はないと思います。
○佐藤(公)委員 まさに、ノーマリゼーション、障害者の方々に対しての優しい言葉ばかりがあるんですが、やはり現実と理想というものが余りにもかけ離れている。また、そこには基本というものがちょっと今ないのではないかという思いが私もいたしております。
 そういう中で、今、諸外国の話が出たんですけれども、この次、川本参考人にお尋ねをしたいと思います。諸外国はできても、なぜ日本ができなかったのか、また前提がどこが違ったのか、簡単、簡潔にちょっと教えていただけたらありがたい。それが一点。
 もう一点は、先ほども、司法精神医学・医療というものがこの国には存在しないというか、ないというお話が出ました。また、そういう部分をより育てていく、また改善をしていくためには時間がかかるというようなお話もあったかと思います。では、こういうものがないのにこういう法律ができて果たしていいものなんだろうか。ないのであれば、それをきちんと確立させる、もしくはある程度の一定のレベルというものを考えてからすべきじゃないかというふうに単純に思うんですけれども、この二点、いかがでしょうか。
○川本参考人 お答えいたします。
 第一点につきましては、諸外国の違い、私、詳しく調べたのはイギリスだけでございますけれども、そことの違いでやはり一番大きいのは民間病院だろうと思うのです。我が国の精神医療の入院治療の多くを民間病院が担っている。それをどうして長期的に減少させるような政策をとられなかったのかというのが私の大きな疑問でございます。
 したがって、先ほども申し上げたのは、時間がかかるであろうというのは、今民間病院を中心に三十三万人の入院患者さんがいて、いきなりそれを三万人にしなさいというのは、これは無理なことでございます。したがって、これから五年なり十年なり、今度こそやはりそこを減らしていただかないと日本の精神医療は変わっていかないというのが私の思いでございます。
 第二点ですが、先ほど申し上げましたのは、大学の医学部に司法精神医学という講座がないということを申し上げただけでして、司法精神医療を専門にされている方は何十人かはおられます。ただ、それが外国に比べると、そういう体制になっているので少ない。実際にイギリスで司法精神医療を一年なり二年なり学ばれたお医者さんがもう既に五、六名、最近おられますし、そういうので、必ずしも十分ではないけれども、我が国に司法精神医療を学んだ人が全くいないというようなことを申し上げたわけではございません。それと、あと、それをやはりふやしていくというのには若干時間がかかるであろう、ともかく現有勢力で今のところは道を切り開いていくより仕方がないであろうというのが私の意見でございます。
○佐藤(公)委員 司法精神医学・医療というのが少ない。これは司法精神医学・医療とはまた違うのかもしれませんが、私も厚生労働関係でやらせていただいている中で、精神障害、知的障害を含めて、障害者の方々に関する大学系での研究というのが、いろいろと調べてみると非常に少ないのが実態だと思います。
 これは、私、調べていって本音を聞いていくと、結局は、お金にならない、注目を余り浴びない。どうしても注目を浴びる方向に人が行ってしまって、大変失礼な言い方かもしれませんが、メジャーかマイナーかといったらマイナーな分野だというのがだれもが認識をしている、先生方では思われているように私は聞こえたんですけれども、まさにそういう部分で、きょう教授先生が三人方いらっしゃるんですけれども、ここに問題点が非常にある部分があると思います。
 まず、前田先生、いかがお考えになられますでしょうか。
○前田参考人 御指摘のとおり、やや医療の世界の中での位置づけが従来問題であったということは御指摘のとおりだと思います。
 ただ、徐々にではありますけれども改善していくでしょうし、今回こういう形で制度ができまして、ある程度の予算がついて、いろいろな意味での底上げ論というのがあると思いますけれども、全体を全部上げろとかいうよりは、具体的に司法精神医療の頂点としての中心となる病院が幾つかできるというようなことが、突破口として前進していく一つのポイントである、その意味で私は法案に賛成させていただいたということでございます。
○佐藤(公)委員 済みません、時間がなくなってきましたので、足立参考人、川本参考人、申しわけございません、ちょっと意見はあれでございますけれども、続きまして、池原参考人にお尋ねをしたいと思います。
 先ほどのお話を聞いて、まさに患者さん、そして患者さんの家族への配慮、そういうことをいろいろとおっしゃられていたと思いますけれども、私は、やはりこういったことに関しては、被害者の方、または被害者の家族、または被害者の遺族の方々になるのか、こういう方々に対する配慮というのも本来あり、バランスをとりながらの法律というものがあるべきことだと思いますけれども、この被害者への配慮ということを考えた場合に、池原参考人、このたびの法律を含め、どう思われるのか、いかがでしょうか。
○池原参考人 私も、被害者の方の立場には非常に心を痛めるところでありまして、ただ、二つのことを考えなきゃいけないと思います。
 今の法体系の中では、刑事訴訟法にしてもあるいは民法上の損害賠償制度にしても、被害者の方を総合的に救済するようなシステムというのがまだできていなくて、やや部分的に、犯罪行為を行った人を重罰に処すればそれで被害者の人が救われるのではないかとか、あるいは今回の法案のようなもので被害者の方に幾ばくかの安らぎを与えることができるのではないかというような、非常に矮小化された議論になっているのが大変残念です。むしろ、総合的な被害者救済、それは経済的な部分も含めて、あるいは精神的な、心的外傷をどうやっていやしていくかということも含めた総合的な施策の中で検討されるべき問題だと思います。
 そして、これは、被害者といっても本当にさまざまの方がいらっしゃいますので、十把一からげでどうだということは言えませんけれども、基本的にはむしろ刑事手続を厳正に行う。つまり、最初の問題に立ち返って、安易な不起訴とかずさんな簡易鑑定とかというのをなくすことによって、本当に裁判を受けるべき、処罰を受けるべき人にはしっかりとした責任をとってもらう、これが本来の、被害者の方に対する正しい社会のあり方であるというふうに思います。
○佐藤(公)委員 もう時間が来てしまったんですけれども、簡単に、最後、菱山参考人、二人だと大丈夫かと不安だということをおっしゃられたんですけれども、では、二人じゃだめな場合はどうしたらよろしいんでしょうか。それだけお答え願いまして、最後としたいと思います。
○菱山参考人 私は、よくわかりませんが、二人よりも、むしろ視点が違った、法律の立場、医療の立場、福祉の立場、そういう視点で合議するということの方が、よりその方についての処遇決定が出せるし、より十分に近づくんじゃないかという意味で申し上げました。
○佐藤(公)委員 ありがとうございます。