皇室典範増補

「改め文」―法令の一部改正方式― (法制執務コラム集)では、

一部改正方式としては、アメリカ合衆国憲法のように「修正第○条」として制定する方式もありますが、これについては、新たな規定の内容は明白であるが、それ以前の規定と比較して現行規範が何かを捉える必要があるという問題を解決しなければならないとする意見があります。日本においても、旧皇室典範の改正は皇室典範増補の制定によって行われており、アメリカ合衆国憲法と同種の改正方式が採られたことがありました。

とあります。確かに「皇室典範増補」は、形式的には「皇室典範」から独立しています。ゆえに、一般法令の改正の形式にあてはめてみると、旧皇室典範は、一度も改正されていないことになります。
 
しかし、「皇室典範増補」のほうは、改正されています。

皇室典範増補中改正の件(昭和21年12月27日)
皇室典範皇室典範増補中左ノ通改正ス
第1条 内親王王女王ハ勅旨又ハ情願ニ依リ臣籍ニ入ラシムルコトアルヘシ

これは、もともと皇室典範増補(明治40年2月11日)で

第1条 王ハ勅旨又ハ請願ニ依リ家名ヲ賜ヒ華族ニ列セシムコトアルヘシ

となっていたのを、溶け込み形式で改正したものです。
これが、通常の改め文による溶け込みの形式であることは、皇室典範皇室典範増補廃止の件(昭和22年5月1日)で

明治二十二年裁定ノ皇室典範並ニ明治四十年及大正七年裁定ノ皇室典範増補ハ昭和二十二年五月二日限リ之ヲ廃止ス

とあり、ここで皇室典範増補中改正の件(昭和21年)が列挙されていない、ということからも明らかです。
この点、合衆国憲法でも(修正第18条と修正第21条、あるいは修正第12条と修正第20条のような例がありますが)、修正・追加条項を溶け込みの改め文で改正するというのはみあたりません。
 
また、旧皇室典範では

第62条 将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シテ勅定スヘシ

としてあるとおり、皇室典範の改正を制度として予定していないというわけではありませんでした。しかし実際には、皇室典範は増補という形を採られました。

外国の立法形式をみると、こういういわゆるとけこみ方式をとらずに、ある既存の法令の内容の一部を追加、修正、削除する法令は、それが成立したあとも改正対象となった既存の法令の中にはとけこまずに、そのままの形のものとしてあとまで存続し、既存の法令に対する増補の形で、あとからあとから積み重ねられてゆく方式をとっている例が多いようであるが、わが国の場合は、こういう増補の形式がとられたのは、旧憲法時代の皇室典範についての例があるくらいで、その他の場合は、原則として、すべていわゆるとけこみ方式によることになっているのである。
林修三「法令作成の常識」日本評論社(昭和39年)71ページ)

ではなぜ、旧皇室典範では増補という形式を採用したのでしょうか。詳細は明らかではありませんが、資料をみると、旧法制定の段階でヨーロッパ各国王家の家法を参照しており、特に参考にしたとされるイギリス・ロシア等での増補形式を受け継いだもようです。

明治41年の改正のときの穂積八束の説明は、以下のとおりです。

茲に典範増補と云ふ文字を用井まして、改正と謂ふ文字を用井てございませぬが、是は典範の第六十二条に「将来此典範の条項を改正し、又は増補すべき必要あるに当ては」云々とありまする、之に依つたものと見えまする、単純なる法律の定めと致しましては、増補も亦改正の一でありまする故に、増補と云ひ、改正と云ふも、法律の関係を謂ふ上に於ては、別段差はございませぬ、只文字上より謂ふときは、典範の各条に附け加へて、更に是等の各条を御定になつた、故に増補と謂へるのでございませう、之には深き意味はございませぬ。
【カタカナをひらがなに改めました。以下同じ。】

単に改正とのみ言はず増補と云ふのは盖【蓋】し典範は大目を掲げたものでござります、其大目を補充するために典範と同しやうなる重大なる規定を附加すべきことあれば之を典範の増補と見傚して典範制定と同一の手続に依つて定むると云ふことを示されたのであります。

考えてみれば、ある法令の効力を別の法律で補充・変更するという規定は少なくないわけで、増補という形式を採用していなくても、特例法などの形で実質的に増補しているわけです。また典範増補の規定が、典範を「改正」しているのか、あるいは典範に規定していない事項を新たに「制定」したのかは微妙であるわけで、増補についてはもう少し考えてみる必要があります。