論説

著作権法における私法的解釈と刑法的解釈(青山法学論集第49巻3号1ページ)

winny事件の正犯判決*1に関して、「光が電気でないから光ファイバーは電気通信回線にも有線電気通信にも該当しない」という見解に対して検討しています。

本件は、刑事事件であるから、著作権法2条1項9号の5の規定する「送信可能化」、「電気通信回線」およびその元規定である電気通信事業法2条1号が規定する「電気通信」は罪刑法定主義に基づき厳格に解釈しなければならない。例えば「光ファイバー」は光をエネルギーとして回線の中で信号を送受信するから電気をエネルギーとする「電気通信」とは異なり、従って、故意で「光ファイバー」を使って他人の著作物の送信を行う行為は著作権法119条1項の規定するところではない。とはいえ、「光ファイバー」も「電気通信」も類似するから、同様に処罰すべきであるという類推解釈は、罪刑法定主義から許されない。
【33ページ】

論文では、京都地判について「論理が誤っている」としています。というわけで、考えてみます。
 
まず判決文(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/75F4203576AA0A5D49256F77000E906B.pdf)をみてみます。

 弁護人は,被告人の使用していた回線は光ファイバーであるから電気通信回線にも有線電気通信にも当たらない旨主張する。
 弁護人の主張は,本件が,映画の著作物の情報が記録されているハードディスクと接続したパソコンを用いて,これがインターネットに接続された状態の下,Winnyを起動させ,インターネット利用者に上記情報を自動公衆送信し得るようにしたというものであることについて,ここにいう公衆送信とは,公衆によって直接受信されることを目的として有線電気通信の送信を行うことをいい(著作権法2条1項7号の2),そのうち公衆からの求めに応じ自動的に行うものを自動公衆送信ということ(著作権法2条1項9号の4)を踏まえて,本件において「自動公衆送信し得るようにした」というのは,要するに,上記のようなパソコンと公衆の用に供されている電気通信回線とを接続させたことをいう(著作権法2条1項9号の5参照)とした上で,被告人が本件で用いたパソコンと公衆の用に供されている電気通信回線とは光ファイバーで接続されているところ,光は電気ではないから,光ファイバーは電気通信回線にも有線電気通信にも当たらないというものであると解される。
 しかし,電気通信とは,有線,無線その他の電磁的方式により,符合,音響又は映像を送り,伝え,又は受けることと定義されており(電気通信事業法2条1号),換言すれば,電磁波を用いて種々の情報を送信又は受信することが電気通信であり,電気が電磁波の一種であることは多言を要しない。ところで,光ファイバーとは,光を用いて情報を伝達する際に,光の通路として用いるグラス・ファイバーのことをいい,光ファイバー通信とは,光を搬送波に利用する通信である光通信の一種であるところ,光は,物理的には電磁波の一種であり,波長が約1ナノメートルから1ミリメートルの電磁波をいうと解されている。そして,光ファイバー通信は,光という電磁波を利用した電磁的方法により,種々の情報を送信又は受信するものにほかならないのであるから,これが電気通信の概念に含まれるものであることは明らかである。【太字引用者】

なお、判決文中の電気通信事業法第2条は、実際には「有線、無線その他の電磁的方式により、符号、音響又は影像を送り、伝え、又は受けることをいう。」です。
それはともかく、理屈としては、
A・法がいう「電気通信」は、「電磁波」を用いた送受信である。
B・電気は、電磁波の一種である。
C・光は、電磁波の一種である。
D・よって、電気を用いても光を用いても、「電気通信」に該当する。
というものであり、包摂関係の話に限ると、間違ってはいません。
 
現実にも、光ファイバー通信が電気通信事業に該当するとされているわけであり、施行規則をみても、提供条件の説明が必要な事業として、

第22条の2の2  法第26条 の総務省令で定める電気通信役務は、次の各号に掲げるもの【略】とする。
6  そのすべての区間に光信号伝送用の端末系伝送路設備を用いてインターネットへの接続点までの間の通信を媒介する役務(共同住宅等内にVDSL設備その他の電気通信設備を用いるものを含む。)

として、光によるいわゆるFTTHを、電気通信に含めています。
ここで問題になるのは、「電磁波を用いるすべての送受信が電気通信になるのか」であり、これは電気通信についての解釈によるところです。いくらなんでもノロシや放電のたぐいまで「電気通信」とするわけではなく、そこは、刑事著作権法の目的に沿った解釈が必要になるわけです。
 
これについて論文の検討をみると、まず、ガソリンカー事件について大審院は拡張解釈の手法をとったと思われる、としています。

これ【類推解釈を指す】に対し、回線とは通常は電気をエネルギーとして送受信するものをいうが、光をエネルギーとして同じく回線を通じて信号を送受信するものとすれば、法的には「回線」に含まれると解することもできる。これは回線を拡張解釈したものであり、形式的には罪刑法定主義に反しないことになろう。ガソリンカー事件では大審院は後者の拡張解釈の手法をとったものと思われる。
【中略】
それに対し、Winny著作権法違反被告事件判決は、このような解釈方法ではなく、「電磁波を用いて種々の情報を送信又は受信することが電気通信」であり、光ファイバー通信も磁気波【電磁波の誤りか】を用いて種々の情報を送信又は受信するのであるから、光ファイバー通信が「電気通信」に該当することは明らかであるという論理を立てている。しかし、「電磁波を用いて種々の情報を送信又は受信することが」すべて電気通信とはいえないはずである。

電気通信の話がなぜか「回線」の定義の話にすり替わっているのは気になりますが、ガソリンカーとパラレルに考えると、次のようになります。

 ガソリンカー事例光事例
文言汽車、電車電気通信(電磁的方式)
文言の直接の対象蒸気機関車電気
事案での対象物ガソリンカー

裁判所は、ガソリンカーと蒸気機関車との上位概念として汽車を用意し(「同条ニ定ムル汽車トハ汽車ハ勿論本件ノ如キ汽車代用ノ「ガソリンカー」ヲモ包含スル趣旨ナリト解スルヲ相当トス」)、電気と光との上位概念として電気通信を用意しているわけです。もちろん、その当否について議論はあるでしょう。
しかし、『「電磁波を用いて種々の情報を送信又は受信することが」すべて電気通信とはいえないはずである。』というのは、それ自体は適切であったとしても、電気通信について縮小解釈をしているわけです。裁判所に対して「縮小解釈をしないのはおかしい」というのはいいのですが、それをしないから誤謬だというのは、形式論理と価値判断とを混同しているでしょう。「光」による通信を「電磁的方式」としておきながらなにゆえに「電気通信」としないのかが不明なわけです。何か別の理由があるのならともかく。
これと同じく、筆者が引用するウィキペディアをみると「電磁波を分類して電波・光などとし、さらに光を分類して赤外線・可視光線などとする」としています。これに続いて筆者は、「従って、仮に赤外線・紫外線を使って情報を送受信する技術があったとすれば、それを電気通信という上位概念で括ることは不可能であろう。」(35ページ)としていますが、ウィキペディアは「赤外線は電磁波の一種である」と言っているに過ぎず、これを「電気通信という上位概念で括ることは不可能」とするのであれば、なにか別の価値判断が必要になるはずです。
ちなみに、「仮に〜技術があったとすれば」とありますが、赤外線を使用する情報送受信は無線について存在しますし、問題の光ファイバー通信も、そこで通常使われる「光」は可視光線ではなく近赤外線です。
 
次に、論文35ページでは

京都地裁の技術的説明が正しいとすれば、電気通信と光ファイバー通信の上位にくる概念は、電磁波、あるいは電磁的方法であり、あえて電気通信と光ファイバー通信の上位概念を打ち立てれば、それは「電磁的通信」あるいは「電磁波通信」である。電気通信事業法2条1号は、その下位概念の一つである「電気通信」しか規定していないのであるから、これが類推解釈であるか、拡張解釈であるかという議論をするまでもなく、論理が誤っているといわなければならない。

としています。どうも筆者は、電気通信事業法にいう「電気通信」には「光ファイバー通信」を論理上含まない、と考えているようですが、実際上も(上で挙げた施行規則を参照)、形式上も(「電磁的」の文言は、光を排除しない。筆者が挙げたウィキペディアも参照)、当該法2条からは電気通信が電磁的通信の「下位概念」であるとは考えられないわけです。
もちろん、このように考えるとあらゆる電磁的通信が電気通信となる。ノロシの類を排除するためには、刑事著作権法の目的に沿った解釈が必要である、という議論はありえますが(私もそう思います)、しかしそれは電気通信についての解釈であり、つまりは『類推解釈であるか、拡張解釈であるかという議論』になるわけですから、判決が、電気通信はすでに光ファイバーの上位概念であるとしている以上、「論理が誤っている」といういわれはないはずです。
 
これとは直接関係ないですが、気になった点。
著作権法第119条1項の罰則規定を、同法の条文を参照しなければならないという理由で「白地刑罰規定」としています(7ページ)。しかし、白地刑罰規定には、委ねる先の規定が法律である場合(広義)、政令などである場合(狭義)があるとされ、罪刑法定主義との関係で通常問題とされるのは、狭義(中立命令違反罪など)です。なぜなら、広義のほうは、法技術上の問題であるとも考えられるからです。ある条に書かれる語句の定義が、別の条にあるからといって、それをもって白地であるとは呼ばないはずです。たとえば、刑法典でも、公務員についてなどの定義規定(第7条)があります。だからといって公務執行妨害罪(第95条)を白地であるとはいわないわけです。
著者は、第119条1項での文言(著作者、著作権など)を定義している諸規定が、同時に民事でも適用される規定であることを問題としているようですが、その問題と、罪刑法定主義の問題は、本来は別のはずです。行政手続を規定する法律に罰則がある場合も多くあるわけで、これらのすべてがそれ自体問題である、とは思えません。
著作権法での親告罪をすべて非親告罪とする動きについて、「捜査機関は最終的に告訴をとりつけることができるかどうかにかかわりなく、著作権侵害の嫌疑があれば常に捜査を開始し、必要があれば捜索差押えあるいは被疑者の身柄拘束ができることになる。」としています(5ページ)。しかし親告罪での告訴は公訴提起の要件であって捜査の要件ではなく、「必要があれば」強制捜査ができるのは親告罪でも同様です。仮に現在、非親告罪について荒い捜査が行われているというのであれば、問題は捜査方法一般ですし、ネット情報に違法な著作物利用があったときに「捜査機関がそれに藉口して」行為者の送受信する情報を閲覧すること(同ページ)があれば、それは親告罪についても同じく問題です(つまり、たとえ告訴を取りつけていたとしても批判される捜査)。
なお、注9で通信傍受法の対象犯罪を挙げていますが、その参照先が法務省の法律案Q&Aページとなっています。法務省の説明方法自体を採り上げるというのであればともかくとして、通常はこの場合に参照するのは同法別表です。ちなみに、注9および法務省Q&Aで「集団密航の罪」とありますが、密航行為自体は通信傍受の対象とはなっていません。同法別表参照。
・ガソリンカー事件が脚注で2回引かれています(注92と94)。2回目の注は不要ですし、そこでの「刑集19巻54頁」は、おそらく540ページ。

*1:京都地判平16・11・30判時1879号153ページ