鉄道と法

wikipedia鉄道営業法では、次のような記述があります。

鉄道営業法(てつどうえいぎょうほう;明治33年3月16日法律第65号)は、鉄道運送に関する民法及び商法並びに刑法の特別法である。最近の改正は、平成11年(1999年)12月22日法律第160号。

「最近の改正」で平成11年の中央省庁改革を挙げているのに平成18年法律第19号の改正を挙げていないのはさておいて、「民法及び商法並びに刑法の特別法」という記述はどういう意味でしょうか。たとえば鉄道営業法

第1条 鉄道ノ建設、車輛器具ノ構造及運転ハ国土交通省令ヲ以テ定ムル規程ニ依ルヘシ

第19条 鉄道係員ノ職制ハ国土交通省令ヲ以テ之ヲ定ム

との規定は、どのあたりが「民法及び商法並びに刑法の特別法」なのでしょう。もし仮に、広い意味でそれらの特別法というならば、(組織のあり方や運営方法について規定する)ほとんどの法律が「民法及び商法並びに刑法の特別法」になることになり、わざわざ書く意味がありません。
 
それはともかくとして、この鉄道営業法では、省令を定めることを規定しているものが多くあります。その一つの例が

第4条 伝染病患者ハ国土交通大臣ノ定ムル規程ニ依ルニ非サレハ乗車セシムルコトヲ得ス

です。これによる規程が伝染病患者鉄道乗車規程であり、現在でもJRの規則がこれに従っています。たとえばJR東日本の旅客営業規則には、以下の規定があります(他のJR旅客各社にも同様の規定があります)。

(伝染病患者に対して発売する乗車券)
第23条 伝染病患者に対して発売する乗車券は、貸切乗車券に限る。
(注) 伝染病とは、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(平成10年法律第114号)に定める一類感染症、二類感染症、指定感染症(同法第7条の規定に基づき、政令で定めるところにより同法第19条又は第20条の規定を準用するものに限る。)及び新感染症をいう。

ここでは「伝染病」という語を使用していたり、貸切に限定したりしています。伝染病患者鉄道乗車規程をみてみると、たしかに

伝染病患者鉄道乗車規程(明治33年逓信省令第38号)
第4条  伝染病患者ハ貸切車ヲ以テ運送シ普通旅客ト其ノ車両ヲ区別シ当該掛員ノ外一切之カ交通ヲ遮断スヘシ

となっています。この省令は明治33年のものですから、旧伝染病予防法の頃です。古い省令だけに条文も古く、

第5条  伝染病患者ヲ搭載セル車両ハ其ノ入口ニ「伝染病者」ノ四字ヲ掲示スヘシ

などは、貸切である時点ですでに公衆から隔離されているのにわざわざ掲示を要求しているあたり、いかにも古い時代の規則という感じがします。しかも「四字」との文言は、明らかであるゆえに不要でしょう(あるいは平仮名書き等を禁止したものなのでしょうか)。
 
なお、道路交通法の車両に関して、
車両の通行の許可の手続等を定める省令
の第4条第13号では、

13 伝染病予防法明治30年法律第36号)第7条の規定による伝染病患者の収容又は同法第19条の規定による伝染病の予防活動のため使用される車両

とありますが、伝染病予防法が廃止(平成10年)されているのに規定が改正されていません。
 
鉄道営業法の委任による規定の一つに、鉄道に関する技術上の基準を定める省令(平成13年国土交通省令第151号)があります。これに関して、ガソリンカーと刑法第129条の「汽車」との関係を示した判例(大判昭15.8.22刑集19巻540ページ)には、次の文言があります。

現ニ国有鉄道運転規定軌道建設規程等ニ於テモ汽動車ハ蒸気機関車及客車ニ準シテ之ヲ取扱ヒ居レル事実ニ徴スルモ之カ取締ニ付テモ亦両者間何等ノ差等ヲ設クルヘキ理拠アルコトナク
【「規定」は原文ママ

当時の国有鉄道運転規程(大正13年鉄道省令第3号)では、確かに気動車蒸気機関車・客車に準じていました。ところがその理屈だと、こんどは電気機関車が、規程で独立の項を設けていたために蒸気機関車に準じているといえず、また汽車でも電車でもないために、これを転覆させた場合に往来危険罪や転覆罪が成立するかどうかが議論になったはずです。
現在では、省令の第68条第3項で「内燃機関及び蒸気機関」とあるので、もはや「準じて取り扱っている事実」がなくなっています。
 
ところで、「汽車・電車」といえば、旧伝染病予防法での汽車検疫があります。

第18条1項 伝染病流行シ若ハ流行ノ虞アルトキハ都道府県知事ハ検疫委員ヲ置キ検疫予防ニ関スル事務ヲ担任セシメ及特ニ船舶汽車電車ノ検疫ヲ行ハシムルコトヲ得

さて、ガソリンカーの検疫は可能なのでしょうか。
刑法における汽車・電車につき、立法者意思としてガソリンカーを含めないという説があります*1帝国議会での質疑において、なぜ客体を限定するのかとの質問に対して「新しい客体があらわれれば、その時点で条文を改正して追記すればよい」と答えていて、しかもそれにもかかわらず改正がなされていないということは、立法者がガソリンカーを客体として加えるつもりがないと考えざるをえない、というものです。
ただ、旧刑法明治20年代前半の改正草案では、この文言は「汽車」に限定されていたのに対して、改正作業の途中で特段の説明もなく「電車」が追加されているのです。電気窃盗事件を受けて窃盗罪の客体に電気(のみ)を追加する改正案が登場するのが明治39年頃ですから、どうもこの当時の立法関係者の間では、電気に対する特別の意識があったようです。上野の内国勧業博覧会東京市路面電車開業を目前にして、電車に対する特別な思いがあったのでしょう。そうなると、センセーショナルな事件に直面するとすぐに法改正へと動き出す近時の立法動向とそれほど大差はないのかな、とも思えてきます。
ところが、この伝染病予防法では、第19条1項6号で

第19条1項 都道府県知事ハ伝染病予防上必要ト認ムルトキハ左ノ事項ノ全部又ハ一部ヲ施行スルコトヲ得
6 汽車、船舶、製造所若ハ多人数ノ集合スル場所ニ医師ノ雇入其ノ他予防上必要ノ設備ヲ為サシムルコト

としています。第18条ではあった「電車」の文言がないわけですから、当然、電車やガソリンカーに医師を雇い入れることはできなかったのでしょう。
 
ところで、この汽車検疫ですが、汽車検疫規則(明治30年内務省令第19号)によっていました。伝染病関連という点では同じなのですが、検疫は鉄道営業法による委任ではなく、内務省管轄だったようです。

*1:齊藤誠二罪刑法定主義の周辺」斎藤静敬古稀207ページ。