時事ネタ。

はてなで書いてから実感したことですが(それまでアクセスをチェックしたことはありません)、時事ネタを書くとアクセス数が増えるのです。
「なんだ、アクセスアップは良いことじゃないか」と思われるかもしれませんが、アクセス数が増えるということは、話をよく理解していない人の訪問も増えるということです。的はずれな批判とか、前提を理解していない批判とかを受けるとイヤなので、ニュースへの言及を積極的にしようという気は私はあまりありません。

そうはいっても、時機を逸して他人の記述へ言及するというのも失礼な話なので、今日は青色LED判決の話。
雑記さまの記事から。

今回の地裁判決は多方面で驚きを以て受け止められているようである。批判的な意見も少なくなく,私自身も検討の余地はあると思うのだが,判決を批判する場合の着眼点について職業病的な指摘をしておきたい。一言で言えば,立法論とは区別した批判をすべきということである。

とはいうものの、特に法律解釈学の研究者が判例批判する場合は、判例の法解釈・あてはめへの批判であると思いますが、どうでしょう。
「被告人の行為は、法○○条の規定に従って、有罪とする」という判決に対して「妥当性を欠く」と批判した場合(よくある批判です)、その法規定を批判しているわけではなく、当該事案を有罪とした裁判所の判断をこそ批判しているわけで、規定がおかしい時にはわれわれははっきりと規定の問題だと書きますよ。

雑記さまの記事中の引用、たとえば

発明してしまったらそれは自分のだっていう姿勢は何か違うと思う(Wasted Time・1/31)

というのは、第一に、特許法35条4項の「相当対価の算出方法」について

上記のような特殊事情の存在する本件においては,本件特許発明は限りなく自由発明に近い発明というべきであって,本件特許発明をするに際し,従業員発明者である原告の貢献度は100%であり,他方,使用者である被告会社の貢献度はゼロというべきである。

とした原告の主張を批判していて、そして第二に、それに対して

本件は,当該分野における先行研究に基づいて高度な技術情報を蓄積し,人的にも物的にも豊富な陣容の研究部門を備えた大企業において,他の技術者の高度な知見ないし実験能力に基づく指導や援助に支えられて発明をしたような事例とは全く異なり,小企業の貧弱な研究環境の下で,従業員発明者が個人的能力と独創的な発想により,競業会社をはじめとする世界中の研究機関に先んじて,産業界待望の世界的発明をなしとげたという,職務発明としては全く稀有な事例である。このような本件の特殊事情にかんがみれば,本件特許発明について,発明者である原告の貢献度は,少なくとも50%を下回らないというべきである。

とした裁判所の判断に対して「そんなに貢献していないんじゃないの」という批判であると思えます。私には特許法35条への批判であるとは思えませんでした。

また、私のほうも余談ですが、

余談として,今回の訴訟における被告側の主張は,訴訟戦略としてあまり賢くないように思える。「一銭たりとも払わん」という感じで印象が悪すぎる。

というのはそのとおりですね。というよりも、本当に会社は「一銭たりとも払わん」(=「本件特許権の相当対価がゼロであることは明らか」)って言っていますしね。