浅田和茂「刑法総論」

特に責任の部分の記述が重厚でした。アクチュアルなどよりもかなり。
 
責任能力
コンヴェンションについて浅田説は、「生物学的要件が認められれば、心理学的要件は事実上推定されるべき」という立場です。これについては284ページ脚注7で以下のように述べています。

筆者は、かつて、裁判官の自由心証主義の合理的コントロールという観点から、鑑定結果の拘束性を示すものとしてコンヴェンションの必要性を主張した(浅田・刑事責任能力下285頁以下参照)。しかし、その後、分裂病イコール責任無能力とすることは分裂病不治論を固定化させる、という批判を顧慮し、現在は「ゆるやかな事実上の推定」にとどめるべきであると考えている(同324頁、246頁参照)。

「ゆるやかな事実上の推定」では、どのような推定なのかがわかりにくい気がします(その意味で旧説は魅力的でした)。私は、「ゆるやかな事実上の推定」が抽象的なものにとどまったままでは裁判官に鑑定結果を拘束できないので、コンヴェンションの例外要件を明示すべきである、と考えます。つまり、具体的にいかなる状態のもとにあれば精神病であっても責任能力が認められるかを、明らかにすべきであると考えます。
 
また、287ページでは、弁識能力について、弁識無能力を違法性の錯誤の一場合と解する考え方を挙げ、

しかし、そのような考えは、違法性の意識の可能性を独立の責任要素とする責任説および責任能力を(責任前提ではなく)責任要素としてのそれと同列に置く責任要素説を前提とするものである。これは、責任能力規範的理解の行き過ぎであって、本書の立場とは異なっており、賛成できない。

としてこれを批判しています。故意説を主張している点も含めて、浅田説は責任の規範化に対して歯止めをかけようとする傾向があるようです。この部分は近時の学説の傾向と合致しているようで、要するに「責任にかかる要件という点で同じだからといって、同一の基準で検討するわけにはいかない」という見解です。これは特に故意説と親和性がありますが、そうでなくとも、各々の責任要件間については独立性が保たれている傾向があるようです。私はあまりそうは考えないのですが。
 
■事実的故意と違法性の意識
浅田説では、故意を責任要素として*1、なおかつ違法性の意識を故意の要素としていますが、それでもなお事実的故意(構成要件該当事実の認識)を故意の要素としています*2
ただ、これについては、違法性の意識と切り離された(333ページには「しかし、違法性の意識は、やはり犯罪事実の認識とは別のものとして観念するほうが妥当である」とあります)事実の認識が、なにゆえに責任を基礎づけるのか、という問題があります。もし行為者の主観面になんらかの表象があるという一点で責任が基礎づけられるのならば、それは心理的責任論の立場であり、また、もし行為者の主観面に対して規範的評価をしたうえで責任を基礎づけるのであれば、それは違法性の意識の問題であり端的に違法性の意識を検討すれば足りる、という批判があてはまります(たとえば高山など)。
 
そして、この点について浅田説ではさらに検討されています。責任説からの批判として「心理的活動形式(=故意)と規範的な意識(=違法性の意識)とは異なる」というものがありますが(たとえば内藤)、それに対して本書330ページではこのように答えられています。

しかし、違法性の意識自体は行為者の心理状態であって、意思形成過程において反対動機形成の可能性を問題にするのは、それによって行為時に違法性の意識が欠ける場合があるからであり、前提が異なっているといわざるをえない。

つまり、「違法性の意識」については規範化されずにあくまでも心理状態にとどまり、これと事実の認識とがあわせて責任判断の対象となる、ということになるわけです。ここでも、責任要素の規範化に対して否定的な浅田説の方向が見えると思います。
なるほど、この見解だと、一般人には違法性を意識することが可能でも本人にとって不可能ならばそれは帰責できない、という立場を堅持できます。ただ、個人的には、やはり属性の認識(浅田説は、意味の認識を故意に要求しつつ、なお裸の事実の認識をも要求します*3)と切り離された認識(認知)は、責任を基礎づけえないという考え方のほうが妥当だと思います。
 
■そのほか
520ページでは監獄法改正についての記述があります。そこでは、1979年要綱案に基づいた「刑事施設法案」「留置施設法案」の2法が廃案となったという記述があり、その後で、

とりわけ留置施設法案は、代用監獄(監1条3項)を恒久化することを企図したものであって、日弁連を中心とする批判が強く、翌年、両方案とも廃案となった。そして遂に、2005年5月18日、刑事施設法案に基づいた刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律が成立した。留置施設法案との抱き合わせが断念されたことにより、実現したものといえよう。

と説明されています。
ですが、「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」は、その附則第15条で、(監獄法改正という形式により)留置施設について規定しており、そこではしっかりと代用監獄は残っています。というわけで、法務省は「留置施設法案との抱き合わせを断念」などはしていなかった、というべきでしょう。

*1:297ページ

*2:300ページ

*3:299ページ