森裕「裁判員裁判における鑑定事項と精神医学的判断について」

はじめに
裁判員裁判では、「犯行時の被告人の精神状態」といった鑑定事項に対して、どのような精神医学的判断が据えられるべきなのか。
 鑑定事項と精神鑑定
*「判断対象」(精神状態)、「判断方法」(精神医学的方法)、「判断結果」(鑑定事項の帰結)の枠組みに対して、実務・刑法学説からは、鑑定事項が及ぶ射程などについての検討が重ねられてきた。しかし、鑑定事項や判断構造は大きく変わることがなかった。
 鑑定事項の転向
最判平成20・4・25では、「生物学的要素ならびにそれが心理学的要素に与えた影響」の判断は精神医学の本分である、と判断された。これは、その先の責任能力の結論は鑑定の判断結果に含まれるべきものではない旨が、間接的に明らかにされたものといえる。
*司法研究(「難解な法律概念と裁判員裁判」司法研究報告書61輯1号42頁)では、鑑定事項について、
+犯行時の被告人の精神障害の有無・程度といった医学的所見
精神障害が反抗に与えた影響の有無・程度について精神医学の見地から推認できる事実
とされた。これまでの鑑定事項と比べると、対象範囲は狭められており、純精神医学的な内容に限定したものと理解できる。
*しかし、この限定は十分なものではない。精神医学的なものについて「程度」について言及されうる余地が残っているため、程度判断(「著しい幻聴により」)が法的な責任能力判断に伝播しかねないと思われる。
*さらに、鑑定事項は、判断対象・判断結果について、範囲だけでなく内容そのものも規定しうる。
*鑑定事項の内容としては、「精神症状がどのような機序を介して犯行に影響を与えたか」(最決平成21・12・8)とするほうが、鑑定人の裁量が差し挟まれる余地はもはやなく、裁判所が求める判断結果がダイレクトに提示される。
 複数鑑定と責任能力判断
*放火殺人の事例(大阪地判平成23・10・31)では、複数鑑定での診断名相違が起きたが、診断基準について深入りせず「妄想はあってもそれに影響されることなく、主体的に判断し行動できた」と判示した。
*裁判所が精神鑑定に求めるものが「精神症状がどのような機序を介して犯行に影響を与えたか」の解明である、とする責任能力判断の構造がとられる限り、診断名相違の問題は克服しうる。
 精神鑑定における定性的判断と法的判断
*鑑定事項が「精神症状がどのような機序を介して犯行に影響を与えたか」という内容であれば、精神医学的判断の内容にも変化が生じる。
*これまでの精神鑑定では、「著しい幻聴」などの程度判断(定量的判断)であるといえる。これによって、精神鑑定の結論は決定してしまっているのであり、公判期日では、「著しいか著しくないか」という本来純精神医学的な内容が当事者によって争われることになる。
*しかし、鑑定事項として「精神症状がどのような機序を介して犯行に影響を与えたか」という内容が定められた場合、求められるのは精神症状の存否やそれと犯行との因果的関連性であり、定性的判断である。
責任能力判断(法的判断)の資料となるべき精神機能の評価は、精神症状と精神機能との因果的関連性を検討してゆく過程に、含まれてくる。
*そうであるならば、精神医学的事実(定性的判断)を総合的判断の資料とし、「精神障害のためにその犯罪を犯したのか、もともとの人格に基づく判断によって犯したのか」(司法研究)といった評価スケールを利用しながら、「法規範の側からの要求」を入れた法的判断が可能になるといえる。