民法の個数

前回(id:kokekokko:20051125)のつづきです。

(7)相続税法など

制定当時の相続税法では、家族法として明治31年法律第9号を引いていました。

相続税法(昭和25年3月31日法律第73号)【公布当時】
第七条 【本文略】但し、当該財産の譲渡が、その譲渡を受ける者が資力を喪失して債務を弁済することが困難である場合において、その者の扶養義務者(民法(明治三十一年法律第九号)第八百七十七条に規定する親族をいう。以下同じ。)から当該債務の弁済に充てるためになされたものであるときは、その贈与又は遺贈に因り取得したものとみなされた金額のうちその債務を弁済することが困難である部分の金額については、この限りでない。

ところが、昭和39年の改正によって、この取扱いは改められました。家族法でも明治29年法律第89号が引かれる一方で、明治31年法律第9号を引いた部分は削除されてしまいました。

相続税法の一部を改正する法律(昭和39年3月31日法律第23号)
 相続税法(昭和二十五年法律第七十三号)の一部を次のように改正する。
 第三条の次に次の一条を加える。
(遺贈に因り取得したものとみなす場合)
第三条の二 民法(明治二十九年法律第八十九号)第九百五十八条の三第一項の規定により同項に規定する相続財産の全部又は一部を与えられた場合においては、その与えられた者が、その与えられた時における当該財産の時価(当該財産の評価について第三章に特別の定めがある場合には、その規定により評価した価額)に相当する金額を当該財産に係る被相続人から遺贈に因り取得したものとみなす。
 
 第七条中「(明治三十一年法律第九号)」を削る

このような扱いの揺れは、家族法改正についてもありました。

民法等の一部を改正する法律(昭和51年6月15日法律第66号)
民法の一部改正)
第一条 民法(明治三十一年法律第九号)の一部を次のように改正する。
  第七百六十七条に次の一項を加える。

では、家族法として明治29年法律第89号を引くという扱いは、いつごろ定着したのでしょうか。
昭和22年民法改正について、草案の時点では、昭和22年改正法は口語体ではなく、また改め文の形式を採用しており、これに対して批判が相次ぎました。

今次改正はこの点で依然文語体・片仮名の従来の法文調を保存している丈けでなく、旧来の条文の改廃という形を採つている為に「第何条削除」とか、「第何条の『……』を『……』に改める」というような規定の仕方をしているので、一々旧法を対照して見ないと意味がわからないという不便がある。【中略】そして技術的には民法典の改正とせずに家族法(あるいは「親族法」、「相続法」)という風に単行法となし、全く新しい法律にする方がよい。
民法改正案研究会「民法改正案に対する意見書」法律時報19巻8号(昭和22年)3ページ】

ここでも、「技術的には」現行法が一つの民法典である、という前提があります。

(8)平成11年の広中論文と答弁

広中俊雄教授がこの問題について、「民法は2つと解すべきだから、現状の改正方法は立法過誤ではないか」とする論文を公表しました。それに対して、平成11年に法務省民事局長が明確に答弁しています。

第146回参議院 法務委員会会議録第4号(平成11年11月18日)
○橋本敦君 私は、法案の内容に入る前に、形式的な問題ですが、広中俊雄教授が法律時報の七十一巻六号で指摘されております表記の問題について政府の見解をただしておきたいと思うのです。
 言うまでもないことですが、我が国の日本民法典は二つの法律によって生み出されたという経緯があります。一つは法律八十九号、明治二十九年、民法第一編、第二編、第三編。第二の法律は明治三十一年の法律第九号で、民法第四編、第五編、こうなっています。したがって、民法全体を表示する場合は法律八十九号、法律九号、この二つの表示が必要ではないかという問題がこういう経緯から出てくるわけでございます。しかし、その後の経過の中では、定着した立法実務の中では、この法令の番号、公布年の表示は八十九号を主として書いているということで実務的に来ているわけです。
 私は、こういう経過を考えてみますと、広中教授が言っておられますように、こうなった大きな経過というのは、戦後の昭和二十二年の法律第二百二十二号による民法改正によって民法典の性格を根本的に一変させることになりまして、個人の尊厳と両性の本質的平等、これを統一的な理念として親族編、相続編の抜本的な改正がなされ、そしてまた、こういう関係から全体を一つとして、区別することなく民法の一部を次のように改正するというやり方でこのときやられた。国民の意識としても、広中教授が指摘されておりますが、民法を二つのものじゃなくて一つのものとしてとらえるという市民的感覚というのは今日我々の中に定着していると言ってもよいわけでございますから、そういう意味では、民法典が、成り行きは二つの法律でできたけれども、一つの民法典ということで存在しているという規範的意識が国民の中にあるわけでございます。
 そこで、民法典を指摘する表示としてはこれを一つのものとしてとらえることとして、民法の括弧書きは常に明治二十九年、明治三十一年、この両法律の併記ということで八十九号、九号、これを併記するというのが一番合理的ではないかという指摘がされているわけでございます。
 しかし、今回の民法改正法案ほか関連三法案については、これはいずれもこの点については法律第八十九号だけが括弧書きで指摘をされているわけでございますが、この表記の問題、民法典の成り行き、生い立ち、経緯、今日までの経過を含めてこういうことになってきたこと、そしてまた、政府としては今後この点は二つきちっと表記をするということにするのか、このように一つだけでいくということにしていくのか、その点について政府の見解をお示しいただきたいと思います。
○政府参考人(細川清君) これは、昭和六十二年の養子法の改正のときにも同じ問題があったわけですが、そのときも今回と同じような法律番号の表記をしております。そのときに、内閣法制局とも打ち合わせまして、今後とも民法はこの一本の、要するに御指摘の明治二十九年法律第八十九号で引用するのが適当であるという結論になったわけでございます。
 理由を簡単に申し上げますと、私どもの考え方は、民法の第四編、第五編は、一編から第三編の追加的改正であるというふうに理解するわけです。そして、我が国の立法実務におきましては、既存の法律の一部を改正する法律、つまり追加的改正を含めまして既存の法律の一部を改正する法律は、改正の対象たる既存の法律とは別個独立の法律ではあるけれども一部改正法が施行されたときには一部改正法の本則の定める具体的内容は既存の法律に溶け込み既存の法律とは同一性を持って存続するとの理解に立つ、こういうことでございまして、例えば刑法は全部今平仮名になっておりますが、あれも法律番号としては一番最初の明治時代に制定をしたときの番号になっていますのも今申し上げたような考え方に立つものでございます。
○橋本敦君 今回の民法の改正ということになりますと、内容的には法律第九号、民法の第四編、第五編ということにかかわってくるわけです。にもかかわらず、それはいいんだよと、今おっしゃったようなことで。ということは、これはもう政府の内閣法制局も含めた統一見解として今後もこれでいいんだということで処理されていると、こういうことですか。
 そうしますと、こういう意見が、広中さんのような意見がいまだにあるんですが、この問題についてはもう政府としては、見解の相違ということで、これでいきたいと、こういうことでいいんですか。
○政府参考人(細川清君) 御指摘のとおりでございます。法律の題名の下に括弧書きを書くのは、要するに法律を特定するためにだけやっているわけで、それ以外の意味もないわけですので、それでよろしいんではないかというのが現時点での私どもの考え方でございます。
○橋本敦君 いろいろ議論は残るかもしれませんが、その点はそういう意見のようですから、これでおいておきたいと思います。

(9)まとめ〜若干の疑問〜

ここまででみてきたように、「民法は1つであり明治31年法は明治29年法の一部改正法である」という考え方は非常に根強いです。私も基本的にはその線に乗るのですが、ここではそれに対する若干の疑問を提示することでまとめにかえます。
 
・この説は、「戦後の家族法改正に際しては、明治29年財産法の改正という形式を採用している」という点を論拠の一つにしますが、しかし、そもそもの明治31年家族法が、明治29年財産法の改正という形式を採用していません。明治31年法には「明治23年家族法を廃止する」としか書かれていないのに、それを「明治23年家族法を廃止し、かつ、明治29年法を一部改正する」と読むのは少々無理があるのではないでしょうか。もし仮にここで、改廃について何も書いていないのならば、「これは当然に、明治29年法の一部改正法なのである」という主張も成り立つことができます。しかし明治31年法が、明確に「明治23年家族法の全部改正法である」旨を記述しているのに、さらにまして明治29年法の改正法であるというのなら、明治31年法はなぜそれを明記していないのでしょうか。
 
・そして実質的にも、旧財産法と旧家族法とは別個の法律であり、現行法はその両者をそれぞれ全部改正したものでした。ならば、現行法でも、これら両者は別個の法律であるとするのが自然ではないでしょうか。